世、妖(あやかし)おらず ー儚消巫女ー

銀満ノ錦平

儚消巫女


  あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 何故9回見たとはっきり覚えているかと言われれば、その夢の中にいる人物がカウントしてくれているからである。


 女性だった。


 長い髪を束ねた巫女服を着たその人物は私に語弊を向け、顔は憶えていないが険しかったり悲しそうだったりとまちまちの表情を私に見せつけてきた。


 しかし、明るい感情ではなかったのは間違いないと確信している。


 泣きそうな顔の時なんか私を語弊で叩きつけたりしてその後に8の数字を言い終えた後に目が覚める…なんてこともあった。


 そもそも夢なのだから非現実的な内容に陥るのはわかるが…それでも何処か現実の世界にいる様な感覚にも陥ってしまう。


 曖昧なのだ。


 そして今日見た夢では、巫女は無表情だった。


 無表情のまま立ち尽くしてる私を見て、9…と言い終えた後にまた同じ様に目が覚めてしまった。


 カウントダウンがいつまで続くなんてそんなものわかりようがなく、色々と脳内を隅々まで記憶を探ったが別に近い日に神社に行った覚えも、あの様な可愛らしい風貌をした巫女に色んな暗い表情でカウントダウンされる記憶もない。


 そんな記憶があるなら一番に憶えているはずだ。


 神社の関係者に知り合いなんかいないし、ましてや巫女になる人にも知り合いなんかいない。


 それなのに何故あんな夢を見てしまうのか全くわからない。


 ただ、いつも見る夢とは異質な雰囲気を出していたのだけはわかった。


 記憶に残りすぎているのだ。


 夢というのは色々と不可解な状態や異常な風景を曖昧な意識で立たされることが多いが、そこには必ず過去起きた出来事による深層心理などが関係している場合が多い。


 この前は大学の単位が僅かに取れず焦ってしまう夢を見てしまったが、私自身はちゃんと大学を卒業している為になんでこの様な夢を見てしまったのかと少し脳内を掘り出したことがあった。


 結果、確か2年の時に油断してしまいギリギリで単位を取った記憶が蘇ったのだ。


 取れなかったわけでは無いが、それでもあの取れ無いかもという焦りが記憶に残留してしまった結果、焦る夢を見てしまったというわけだ。


 要は、焦るというキーワードと単位というキーワードが夢であやふやになってしまったせいで取れない単位に焦る夢などというものを見てしまったのだ。

 

 しかし…だからこそ、ここ数日見ている夢が何なのかが全く理解できないのだ。


 巫女が悲顔しながら数字を数え、更に語弊で私を叩いたりしている…意味がわからない。


 何かを払ってるようにも見えるし、ここに来るなと私自身を追い払ってる感じでもある。


 私はちゃんと現実にいる筈なのに。


 巫女自体は可愛いが起きた後の目覚めはとても悪く本当に寝不足になってしまうかもしれない程にきてしまっている。


 今は9だがもし10を唱えられてしまったら…私はどうなるのかが未知数でもしかしたらこの世から消えてしまうんじゃないかとあり得ない妄想に囚われているんじゃないかと混乱さえすることだってある。 

 

 ただの夢なのに…いや、自分の深層心理があり得ない妄想世界として繰り出される自分自身の夢だからこそ見てもない聞いたこともない異質な人物と行動を嫌悪しているんだと思う。


 そもそも数字がこの先も続くのか…それとも9という中途半端な数字で終わりなのか、10というキリの良い数字で終わるのかさえもわからない。


 そもそも、数字というのは人間がこの世界をより分かりやすく区切る為に作られたシンボルである。


 他の生き物はそんな数字に囚われない。


 四季は本能や環境で察する事ができるが我々人間にはそれを察する本能は薄まってしまったんじゃないかと私は考えている。


 その為にこの1年という区切り、更に細かく12ヶ月を定め、我々は生活環境を安定させている。


 しかし…夢の中ではそんな時間は無用の世界のはずだ。


 数字なんかそれこそ必要が無い世界のはずで、数字をただ言うだけならそれはただ数字を言葉で口にしているというだけだから違和感はあれどおかしな夢として納得できる。


 だがこの夢に出てくる巫女のカウントダウンは確実な数字を数えている。


 夢が地続きしてるなんて都市伝説かネットで拾った不思議な話くらいでしか目にしなかった為か現実感がとても薄い…いや、夢だから現実では無いのだが。


 なら本当は逆だったら…と仮定してみる。


 今私が夢について悩んでいると思われるこの現実こそが夢ではないのか。


 それなら、本当の私は目の前に巫女がいてシーンが途切れる…例えば瞬きをするごとにカウントダウンをしているとすればそれはそれでおかしい。


 というかそれなら私は瞬きをそうとうゆっくりしていなければその巫女もタイミング良く数字を投げかけることなど出来ないはず。


 だからといってそれが現実ではないとは言い切れない。


 世の中は不思議なことばかりだ。


 生物に都合の良い世界に住んでいて人間には都合の良い知能が与えられ、知能に都合の良い数字による区切りが与えられ、数字に都合良く世界が回っている。


 都合が良くて我々が生まれたのか我々が生まれたから世界が都合良くなっていったのか…多分どちらでもないしそもそも偶々地球が誕生して、偶々生物が生活できる環境が出来て、偶々生物が産まれて、偶々頭の良い我々ヒトという生物が誕生した。


 全て偶々…偶然の産物である。


 その偶然の産物にヒトが勝手に時間という概念を加えさせしまった結果、そこに数字を入れて区切りを付けてしまったのだ。


 今思えば恐ろしい。


 生物の死さえ、区切りをつけてしまったのだから。


 死に早い遅いなんて概念は無い方が良いのだ。


 動かなくなったらそれまでで、動いたらまだ動組んだ位の見識で良い。


 そもそも死なんて概念を作り出したのもいけない。


 悲しみという感情を持っていかなければならないしもし悲しみを表に出さないならそれは冷たいだの感情認識が薄いだのと貶されてしまう。


 必要のない、余計な感情や概念など本来いる必要が無いのだ。


 なら何故夢を見る。


 生物はある程度の感情を持っていればそれだけでいい。


 だけどそういう生物でも夢を見る。


 だが生物はそれを夢と認識していない…やはり夢という言葉で済ませているのは我々人間だけなのだ。


ならこの様に考えている私自身がその人間の言葉で言う夢そのものかもしれない。


 今まではただずっと立ったままだった。


 周りは段々と風変わりをしていくのに私だけはただそこに突っ立っていた。


 風味を変えられるわけでもなく、周りからも慕われることも無く…生物という概念を覚えたのも最近だったりもした。


 …生物という概念?何故ヒトのはずである私がそんな馬鹿な考えをしているのだろうか?


 私はこの様に言葉も頭で浮かべることもできるし偶に同じ人とも話している。


 しかしそれを言葉として捉えることが元々なかった世界にヒトは言葉という区切りを付けた。


 鳥も魚も虫も牛も羊も猿も微生物もヒトさえも…言葉という区切りがなければただの生き物…いや、生き物という言葉も区切りなのだから結局はただの【無】でしかない。


 暗い世界だけが無ではない。


 音のない世界だけが無ではない。


 言葉の区切り、数字の区切りがなければこの世は結局【無】でしかないのである。


 それなのに私は自分を自分と認識している。


 自分という言葉が無ければ私はただの【無】でしかない。


 【無】がただ【無】を完遂させているだけである。


 なのに意思という生態反応を見せ、知識が高いだけで傲慢なヒトは言葉という区切りを発明し、世の理すらも区切ってしまった。


 可笑しい与田話にすらならない。


 なら生物ではない【物】がもし生物としての…ヒト言葉を借りるなら意思、意識、心、精神、魂の区切をもってしまったら…。


 きっとその物はきっと自分を利用している、作っているヒトを見てどう考えているのだろうか。


 利用してくれてありがとうと感謝を示すのか、それとも俺を使いやがってと訝しむか。


 どちらにしてもそこで誕生した時点で意識を持っていれば、何年も…何十年も時を同じ立ち位置で過ごす事に精神は持つのだろうか。


 …え…払い…え


 頭に響く女性の声が綺麗に鳴る鈴とぱさぱさっと語弊を振る音が思考を崩されていく。


 私は、物なのか者なのかモノなのか…。


 私のこの思考している現実こそが夢なのかもしれない。


 無を有を区切らない世界で私の意思は何処にある…。


 記憶も曖昧ながらも何処か自分がそこに居たと確信させる夢という恐ろしくも儚い世界の存在。


 夢うつつに現世を物語る私が夢で謎の巫女が私を叩いてる夢こそが現実…。


 私はもう一度眠りにつく。


 先程起きたばかりなのにもう私は瞼を閉じていく。


 この先、あの数字が10になった時…私はどうなってしまうだろう。


 そんな恐怖感と並行して好奇心にも苛まれつつ、私は再び眠りについた。


 






 漸く、この日が来ましたね。


 貴方は良く我慢いたしました。


 私がおっしゃった通り、このモノは永遠の狭間にせき止められた哀れな存在となっておりました。


 そもそも、数字というのは世の万物に対しての分かりやすく区切りを示すもの。


 物がそこに置かれているならそれは1つという区切り。


 隣に物がまたあったらそれは2つある…という区切り。


 区切り区切り区切り区切り…もう私は区切られたくないという意思がこのモノから溢れ出ておりました。


 何百年ここに居たんでしょうかね…。


 きっとここで同じ姿の人々を見ている内に自分を人と勘違いしていったのでしょう。


 喜怒哀楽…いや、皆の証言を照らし合わせるなら怒と哀を中心とした表情をしてらっしゃったみたいでしたね。


 モノ…いや、物というものは歳を取ると意思が生まれると言います。


 これは魂が入るとか魂がそこで誕生するとかそういうことではありません。


 魂にいつの間にかなっているんです。


 それは誕生するとは違います。


 無から有が産まれるわけでは無いのです。


 人が認知した時に、いつの間にか出来てしまうんですよ。


 意思のあるないの区切りは何処なのか分かりません。


 ただ、1つ知る方法があります。


 夢です。


 生物は夢を見ます。


 頭の中にある記憶を無理に整理しようとする結果違うピースをはめ込んでしまい、不可解な事象や起来たことのないストーリーを生んでしまうんですよ。


 ならもし【物】が夢を見るとしたら…。


 それはきっと人間が行動した夢を見るのでしょうね。


 本来、無れないはずの人間になってしまっていたという儚い夢…ただこれはその夢を見すぎたんでしょうね、周りに話しかけるように自分自身を動かす程に魂に執着心が芽生えすぎたんでしょう。


 だから、その執着心を薄くさせる為に敢えて私はこれを払う時に感情を出すんです。


 貴方はここにいてはいけない!


 貴方は存在してはならない!


 貴方は執着してはいけない!


 早くここから出ていきなさい!


 これを悲しんだり怒ったりを繰り返しながら払うんですよ。


 で、その合中で


 払いたまえー 払いたまえー…と唱えるんです。


 そしたら段々と夢と思われる方が現実となって来るんですよ。


 現実と夢の区切り…この場合は境目って言った方が分かりやすいですかね?それをはっきりさせるんです。


 ここも老化が進んで、きっと自分が何の目的で作られたのかもわからなくなってきてしまったんでしょう。


 とうとう、自分自身が人間だという【夢】を見てしまった。


 そして自分を人間だと思い込んで、人間の様に接する振りをしようとしてたんです。


 ただ、その新鮮な妄想とは裏腹にこの社はもうボロボロでした。


 だからその念を解くんです。


私が今からこの語弊を振りながら募らせた感情を出し切るように10…と唱えます。


 10は…まぁ言葉遊びではありますが遠縁を表すので10円だけは入れないようにしてる人が多いらしいです。


 勿論これは別に絶対そうなるというわけではありませんし、それなら5円で御縁を結ぶなんてのも一緒なんです。


 ただ人っていうのは悪い事は信じないで良い方向に向いそうな内容にだけ食い付いて信じ込んでしまう生き物です。


 だから、10円で遠縁になるなんて迷信は信じないのに5円で御縁ができるという迷信は信じてしまう。


 お陰でありがたい気持ちには変わりませんが賽銭箱には5円が多かったです。


 10円もありましたが比較的少なかったしやはり、その半分で済ませられるし縁起の良い言葉合わせな5円の方が入りやすかったんでしょうね。


 迷信だとしても言葉合わせだとしても、これを言葉にして大人数が思い浮かべれば大きな意思となり、言霊としてこの社に蓄積されるんですよ。


 そうしたら、言葉遊びだとしても現実の様に振る舞われ流行り、日常になっていくんです。


 だから、この私の感情を込める払いも現実になるし真実にもなる。


 この社には覿面でした。


 今までこの社で起きていた怪現象が減っていったんです。


 感情を出し切るということは物であれ者であれモノであれ響くものです。


 それに…ここには世話になりましたから。


 神主も亡くなり、ここも廃すると決めた時に私は私のやり方で清めようとしました。


 ただ、どうせもうここで働いていたのは今は私しかいなかったので私なりに感謝も込めて社…いや、彼を払う事にしたんです。


 何故そこまで気にかけるかって?


 理由は下らないものですよ。


 夢を見たんです。


 誰の目線かは分かりませんが私の後ろ姿が映されてました。


 お食事の準備をしている私…ここ神主のお手伝いを忙しそうにしている私…入口周りを丁寧に掃除している私…まさか、着替えをしている私もそこに映されてたんですよ、おかしいでしょ?…けどそれがどれもこの彼から見たら納得できるような目線ばかりだったんですよ。


 彼の意思が見せてるなら可能な場面ばかりだったんで、恐らく何かを訴えたかったのかもしれません、実際にその辺りから怪現象が起き始めたのも事実だったんですよ。


 ただ、ここまで老朽化してたら…まぁ何かしら起きててもおかしくはないですしきっと自然に起きていた現象を勘違いしてたのかもしれません。


 それでも人という生き物は、物に何かが宿ると信じています。


 たとえ道端に落ちてる石ころでも踏んでしまったり蹴ってしまったりしたら申し訳なく思ってしまう…そのくらい謙虚なのがいいんですよ。


 だから私もその精神でお世話になった彼を祈り弔います。


 …そろそろいいかな。


 じゃあ、そろそろ魂を抜かせていただきます。


 私はゆっくりと瞼を閉じ、今までの感謝を込めて最後のカウントダウンを呟いた。


………10。




  


 


 


 


 


   


 


 


 


 








 


 


 


 


 


 




 


 


 


 


 


 


 


 

 


 




 


 


 


 


 


 


 


 


 




 


  




 


 




 

 


 


 

 


 

 


 

 


 

 


 


 


 


 


 


 



 


 


 


 


 

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