妖精病

二枚貝

妖精病なる病あり

「そういえば田中〜見てこれ! じゃーん!」

 駅のホームで電車を待っている時だった。直前までスマホをいじっていた伊織がふと顔を上げ、わたしにいきなり手の甲を見せつけてきた。

「ついにかかりましたよ、妖精病! ほら、ほらほら!」

「何? どこ?」

「見てほら、ちいさいけど、指の付け根! しかも左手の薬指なのすごくない!?」

 見ると確かに、ちいさいがはっきりと濃いアザが浮かんでいる。パッと見ただけだと小さい石のついたリングをつけているみたいにも見える。

「妖精病占いだとね、左手の薬指に現れるのは前世の恋人とまた出会えるかもなんだって! でも色ついてる部分がちいさいから、出会える確率低いっぽいんだよね」

「でもこれから大きくなるかもよ?」

「そだよね、妖精病、育つこともあるって言うしね」

「全然あるよ。わたし元々二の腕にぽちっと出ただけだったのに、気づいたら肩の方まで広がってたし」

「田中のいいよね〜花みたいな模様でかわいいじゃん、偶然でそんなに可愛くなることある? って感じ」

「夏場にオフショル着てると、たまにタトゥー入れてんのって聞かれるよ」

「え〜お得じゃん、タダでそんな模様入ってるの。田中のは? どんな意味があるの? 大きくて複雑な模様ってレアなんでしょ? 幸運が待ってるかもみたいなやつでしょ?」

「調べたことない。占い、信じてないし」

「うっそ、めちゃくちゃ当たるんだよ? どこのSNS行ってもタグいっぱい流れてるし」

「写真撮ってタグつけて流すやつでしょ? あれ、不用心すぎると思うけどね……」

「うちのママみたいなこと言わないでよねー。だってロマンチックじゃない? 同じ場所に同じ妖精病が発症したら、前世の恋人っていうじゃん!」

 あたしの推し、左手の指三本に発症してるんだよね、ね〜どうしようあたしも同じ感じに育っちゃったら! 伊織はひとりで楽しそうに浮かれている。

 そんな伊織を見ながら、わたしは右手で肩を押さえていた。制服の薄いブラウスの下に、紅茶みたいな色の点々と散るアザがあることを強く意識しながら。

「占いもだけど、いろんな説があるよね、妖精病。前世の死因になった場所に症状出るって言うひともいるよね」

「ね〜、まあ左手の指が死因って何って感じだけど!」

 そう言って、伊織は自分の指に目を落とし、ふふっと笑う。

「でもさやっぱり、妖精が目印に気に入った人間につけてってるって思うんだよね〜。ねえ二年のさ、立花先輩知ってる? 書道部できれい系美人のベリショのひと」

「知ってるけど」

「妖精病が発症してからめっちゃ変わったんだって、全国大会行ったり死ぬほどイケメンの彼氏ができたり、もう絶対強い守護妖精に気に入られたんだ〜ってみんな言ってるよ! うらやまし〜い!」

「はは」

 わたしは何も言えず、愛想笑いでごまかす。


 *


 乗り換えで伊織と別れて、2駅だけ乗って、また電車を降りる。

 いつもならそこからバスで家に帰るけど、今日はそうしなかった。バスロータリーを迂回してから歩道に出る。歩きながら、左の肩を指でぎゅっと押さえる。ブラウス越しでもわかるくらい、マーキングされた箇所――伊織流に言えば妖精病が発症したところ、だ――が熱を持っている。

「レンドール。いるんでしょ」

 ぼそっとつぶやくと、いきなり、目の前にぬっと黒い長身の男が現れた。もううんざりするくらい見慣れてしまったその姿はわたしにしか見えない。

「伊織の話、盗み聞きしてたの? あんた本当に最低、最悪」

「私に隠し事ができると思わぬことだ」

「ゲロきもストーカー、死ね」

「お前を残して死ぬものか、マリ」

 レンドール、わたしにしか見えない悪魔。艶々した黒髪に真っ黒な切長の目、真っ白い肌に完璧なパーツが完璧に配置された化け物じみて綺麗な顔でうっすら笑って、レンドールは言った。

「それに、知りたくはないか。お前の友に徴をつけたのが、何者か」

 一瞬わたしは足を止めそうになる。それを見て、レンドールは気配だけで笑う。

「案ずるな。あの程度の徴など、小者のしわざに過ぎぬ。お前の友の目に留まることも、実体化することもできぬだろうよ」

「そりゃそうね、安心したわ」

「よかったな、マリ。友に所有印を刻んだのが、私のように強大な魔ではなくて」

「…………」

 世にいう妖精病、原因不明のあざは、その正体についてあることないこと囁かれている――でも、わたしは真実を知っている。

 あれはただのマーキング、たちの悪い悪魔が自分の獲物につけた印に過ぎない。とはいえ悪魔の力の強さはあざのサイズと模様の細かさに比例する。最低での手のひらくらいの大きさをつけられる悪魔でないと、人間の目に見える姿を取ることはできない。

 さっき、わたしは伊織に言わなかったことがある。わたしのあざは年々成長して、今では背中のほとんどを侵食するまでに大きくなっている。

 わたしに印を刻んだのはレンドール、魔界の大公爵にして次期魔王候補だという。それがどれほどすごくてどれほど強いのか、わたしは知らないけれど、ひとつ言えるのはわたしじゃ手に負えないくらい、めちゃくちゃな力を持っているということだ。

 わたしはもうレンドールから逃げることができない。お祓いに行ってもダメ、海外へ行ってみてもだめ、海に身を投げたり首を吊ってみたりビルから飛び降りてみたりしても、駄目。文字通り死ぬほど痛い目を味わった後で生かされて――わたしは、死ぬこともできない。

「ねえ、レンドール。ひとつだけ教えて。伊織はわたしみたいに不幸になったりしない?」

 するとレンドールはじっとわたしを見つめる。腹立つくらいに長くてびっしり生えたまつげにかこまれた、闇をどろどろに煮詰めたみたいな瞳で。

「このレンドールに愛されて、お前が幸せにならぬことなどあるものか」

「じゃあ言い換える。伊織を選んだ悪魔は、あんたみたいに人間に影響が出るようなことができるの?」

「さほどの力はない。せいぜいがあの娘から多少の精気を吸い取る程度だろう」

「なら、いいわ」

「私はお前を愛しているぞ、マリ」

 文字通り悪魔の囁きが、わたしの耳に吹き込まれる。

「私はお前を探し出すまでどれほどの苦労をしたことか」

 そう、悪魔は目印として、人間の魂におのれの紋章を刻み込む。それが獲物として選ばれた人間の体の一部に出てきたものが、人間界では妖精病と呼ばれている。

 わたしのあざは服で隠れる場所だったし、最近の女の子みたいに#妖精病とかいってSNSに写真をあげることもしなかったから、レンドールはわたしを探すのに手間取ったという。この気取った悪魔がSNSのタグ巡回をしてわたしを探しているところを想像するとあまりの間抜けさに笑えてくるけど。

「探してくれとも愛してくれとも頼んでないけど」

「頼まれずとも。愛しているのだから、当然だろう」

 悪魔のいう愛は、人間のいう愛とは違う。悪魔の愛は条件つきで打算的だ。レンドールが欲しがっているのはわたしの魂、頭蓋骨、右手の小指、少量の血。なんでも貴重な魔術の材料になるらしい。

「愛されてるのに不幸になるって馬鹿げてる」

 わたしはつぶやいて、コートの上着からスマホを取り出して、それから家につくまで液晶画面から顔を上げなかった。 

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妖精病 二枚貝 @ShijimiH

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