不揃いな妖精たち

ゆかり

舞台稽古

「ストーップ! ストップ! ストップ!」

 由紀子ゆきこが皆の動きを止めた。 

「ちょっとぉ。みんな、妖精なのよ。もっとこう、軽やかに動けない?」

 丸めた台本で自分の左掌を叩きながら言う。半笑いだ。


「ええーっ?! こんなに軽やかに跳んでるのに?」

 妖精役、3亮子あきこが不満げに返す。

「どこが軽やかなのよ。足音がこだましてるわよ」

 で副部長の由紀子は、今回、演出を担当している。


 他の妖精たちは。互いに顔を見合わせながら口々に

「そうかなぁ?」

「結構、良いカンジだったよねぇ?」

「これ以上は無理、ムリ」

「食事の量を減らすしかないな」

「うん。体重の問題だ、これは」

 などと言い合い最後には笑い崩れ、その様子に由紀子は目を細める。


 由紀子はこの高校に入学して直ぐ演劇部に入った。小学生の時に学校で「杜子春」の舞台演劇を見て以来、自分も演劇がやりたくて仕方がなかったのだ。しかし、小学校にも中学校にも演劇部は存在せず、夢は募るばかりだった。それが、思いがけずこの高校にはあったのだ。

 が、当時部員は4のみの5人。たちが卒業してしまえば由紀子ひとりになってしまう。そうなればおそらく廃部。

 だから入部後は部員獲得のために手段を選ばず奔走した。

 


「じゃあ、由紀子にお手本見せてもらおうか」

 大道具の幸江さちえが舞台袖から現れた。由紀子とは同学年。この演劇部の部長だ。

 由紀子が廃部を恐れて最初に引っ張り込んだ同志。


「お、おう!」

 幸江に言われ、由紀子は舞台に上がる。

 舞台袖の音響係、瑞希みずきに合図を送ると、妖精登場場面の音楽が流れた。瑞希も由紀子が引っ張り込んだ同学年の仲間である。


 由紀子は大きく深呼吸すると、舞台右から軽やかに現れ舞台上を円を描くように移動してゆく。

 今は稽古だから木々の代わりに椅子が並んでいる。その間を音もなく通り抜けたかと思うとピタリと止まり、椅子木々の間をまわりこんでは覗き込み、隠れては現れる。


「ほえぇ~。やっぱり由紀子は違うねぇ。衣装も付けてないのに妖精に見えちゃうもんねぇ」

 幸江が感嘆の声を上げる。さっきまで不満の声を上げていた下級生たちも目をキラキラさせている。


 由紀子と幸江、瑞希の三人にとって今年は高校演劇最後の年だ。この演目は春の発表会用のもので、下級生を育てる事に重点を置いている。そのために由紀子は演出にまわり、幸江も瑞希も裏方に徹していた。ここで弾みをつけて秋の地区予選には念願の予選突破を目論む。

 秋の大会は地区予選に始まり、都道府県大会、全国大会と続く。由紀子たちはいつも地区予選落ち。今年こそは、と燃えているのである。


「由紀子さん、足音全然しないの、どうして?」

 妖精役の2年生、貴子たかこが首を傾げて尋ねた。

「つま先からそうっと着地するの。全身を使って柔らかくふわりと。それから指の先から耳たぶまで神経を使ってね。自分は妖精だって信じてやってみて。人生で妖精になれる事なんて今しかないわよ、きっと」

 それを聞いて下級生たちは俄然やる気になったのか、足首を回したり、跳んでみたりして探り始める。


「こうかな?」

「こんな感じ?  あ、ちょっと軽くなったかも。足音もしないわ」

「抜き足、差し足、忍び足ね」

「それ、ドロボーだから」

 ふふふ、と新米妖精たちは笑う。


 由紀子は1年の時に同級生を口説き落として、何とか6人ほどの新入部員を確保した。卒業を控えた先輩達からは「何よりの御餞別だわ」と喜ばれたが、2年になってから3人の部員が去っていった。それぞれが様々な事情で学校を去ったのだ。

 ところが、この年はどういう訳か新入生がバタバタと入部してくれた。入学式のあとの歓迎会で、寸劇を披露したのがウケたのかもしれない。おかげで部は存続し今に至っている。



「バレエとかやってたら上手くできそうね」

 ふと、妖精のひとりが呟く。

「そうね。だからプロはバレエも勉強するのよ。日舞も。私たちは精々発声練習と柔軟体操くらいだけど」

 幸江はいつもドンと構えていて頼もしい。顧問の教師と世間話をしている様子を見た下級生の間で年齢詐称疑惑が浮上しているほどだ。


 この高校は女子高だから、部員も当然女子しかいない。男性の登場する台本は演じにくい。それで今回は森の妖精たちが緑を守るために奔走するという話を選んだ。これなら女子だけでも何とかなる。

 


「そろそろ次の場面行ってみる?」

 場面1と2がなんとかカタチになってきたので、練習は場面3に移る。

「みんな立ち位置はOK? 音楽とライトもOKね。本番では紙吹雪も使うけど、今日はだけ、小道具さんOK? じゃ、場面3。トリの降臨、スタート」



『今日は満月。きっと良い事があるわ』

『森の動物たちは帰って来るかしら?』

『私達、あんなに頑張ったんだもの。きっと大丈夫』

『お星さまに祈りましょ』『うん。祈りましょ』

 暗転。

 スポットライトが舞台奥中央を照らす。本番では木々が左右に分かれて、そこに不死鳥が現れる。練習ではカーテンで代用。カーテンが開く。


 クライマックス! トリの降臨の場面だ。

 

 ホリゾント幕の中央に神々しい不死鳥が現れるはずなのだが……現れない。


「えっ?」

「あれっ?」

「ノンちゃん?」

 ノンちゃんは今年の新入生でただ一人、キャストに加わった。ノンちゃんは愛称で、野木明子のぎあきこが本名。しかし「あきこ」はもう一人いるから苗字からとってノンちゃん、という事になった。

 そのノンちゃんが定位置にいないのだ。さっきまでは確かにいたのに。


妖精たちは口々に名を呼びながら捜しまわる。

「ノンちゃーん」

「ノーン?」

「出番だよぉ」


 そのとき、不死鳥が現れるはずの台を見に行った一人が叫んだ。

「やだ! 大変! ノンちゃんがっ!」

「えっ? どうしたの? ノンちゃん、居たの?」

「ノン?」

「ノンちゃーん」

 慌てて駆け寄る部員たち。目にしたのは台の陰に倒れているノンだった。



「結局、寝てただけってこと?」

「そう。人騒がせよねぇ。本番じゃなくて良かったけど」

 顧問と話すのは部長の幸江。新入生でまだ今の生活に馴れていない野木明子は睡眠不足で爆睡してしまったらしい。


「でもね、今回はまあ笑い話で済んだけど、問題だと思ってるのよ、私達教師も」

「え? どういう事ですか?」

 由紀子も思わず話に加わる。

「あなた達、頑張ってるけど大変でしょう? 仕事して学校に来て部活まで。部活がなければみんなと一緒に会社の送迎バスで帰れるのに、部活の後はバスと電車を乗り継いで寮まで帰ってるんでしょう?」

「それもまた楽しいんですけど。でも確かに大変っていえばそうかも。寮の御飯にも間に合わないし、交通費もいるから、お財布もつらいし」

「でしょう? 野木さんは1年生で馴れてない上に大学進学も考えてて、睡眠時間削って勉強して、学費も自分で貯めようと思ってるんですって。でも部活もやりたいって。欲張りだからって笑ってたけど」

「先生、学校から各会社に掛け合う事って出来ないですかね?」

 暫く考え込んでいた幸江が言った。

「そうなのよ。私達もそれを考えてて。部活の生徒のためにバスを出してもらえないか、寮の食事を取り置きしておいて貰えないかって」



 この学校は昼間二部制の定時制高校だ。

 生徒たちは週替わりで早番と遅番で働き、早番の時は朝5時から仕事、昼過ぎに仕事を終えて学校に通う。遅番は逆で朝から学校に来て、昼過ぎから22時まで働く。

 中学を卒業後、様々な事情から地元の高校には進学せず、この学校近くの紡績会社に勤め、会社の寮で生活し、それぞれの会社からこの学校に通う。そんな女子達の学校だ。

 勤める会社もバラバラなら、出身地もバラバラで、それこそ北は北海道、南は沖縄までと幅広い。おかげで地域の多種多様な文化にふれられるというメリットはある。

 が、その年齢で親元を離れた寂しさから、悪い大人に引っかかって姿を消す生徒も一定数いるという。



 これは今から随分前の女の子たちの話だ。彼女らも今はもう孫の居る年齢。

 この学校も随分前に閉校になった。

 

 由紀子は時々思い出す。

 あの頃、睡魔と戦いながら同じ時間を過ごした皆は今頃どうしているだろう? 

 卒業の前に去って行った友人も、演劇を続けたいと東京に出て行った後輩も。

 そう言えばあの時爆睡していたノンちゃんは、初心を貫いて大学進学を果たしたと聞いた。そればかりか彼女は4年生の時に部活と並行して生徒会の会長まで立派に務めたらしい。まったく頭が下がる。

 あのあと、結局、学校が各会社に掛け合ってくれて、部活をする生徒たちのために便宜が図られるようになった。それもある意味ノンちゃんのおかげだ。

 恨めしいのはそれが由紀子の卒業の年からだった事。恩恵にあずかったのは半年ほどだった。

 卒業するだけでもしんどかったあの頃。それでも由紀子にとっては間違いなく青春だった。

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