魂注入工場
CHARLIE(チャーリー)
魂注入工場 四百字詰め原稿用紙 七十四枚
一
二〇二四年四月の終わり。ジャケットを羽織っていては汗ばむほどの陽気になった。新型コロナウイルスが流行り始めてから初めて、わたしは電車に乗っている。サージカルマスクを付けている人は、わたし以外にもまだ結構多い。久しぶりの一人での外出。両親と夫を家に残して来た。
電車を降りる。コロナ禍以前はよく訪れた、神戸市営の貸会議室へ足を踏み入れる。
「おお木邨さん。いらっしゃい! こっちこっち。きょうは新しい女性が来てるねん。女性同士固まったほうがええやろう」
長身で骨太、初老の部会長がわたしを手招きする。
「はい」
わたしは答えて会議室の一番奥、最後列に腰を下ろしている女性に視線を送る。
「じゃあ木邨さん、あの人――ヨシダさんっていうんや。頼むわな」
部会長の太い声に背中を押されるように、「ヨシダさん」という女性に歩み寄って行く。思わず、前へ進める足が、ゆさゆさと震えて来る。
「どうしてこんな人がこの集まりに加わっているのだろう?」
強い違和感、不快感、憎しみにも似たものが込み上げ、混乱する。
気象予報士試験に受かってから六年半。任意に入会することができる気象予報士会というのに入った。そこで出会うのは予想に反し、それぞれにわたしのように気象以外の仕事を持っている人たち、そして部会長のように、定年退職をしたおじさんたち、殆ど男性だ。三か月に一回行われる勉強会、兵庫部会では、ほぼ毎回女性はわたし一人だった。しかも去年五十歳になったわたしが、中でも一番若いようで……合格するまでに持っていた印象とあまりに違うから驚いた。そう言えば受験のときの男女の比率も、男性九、女性一くらいだった印象がある。
そんな中で得た最大公約数は、気象予報士というのは、運の強いオタクの集まりだ、ということ、自分も含めて。
なのに……今部会長から紹介されたこの女性。年はたぶんわたしと同じくらい、四十代後半か五十代に入ったばかりだろう。丸く小さな目は澱み、おどおどと瞳を泳がせて、
「はじめまして」
と、くぐもった声でわたしにあいさつをして来るが、視線が交わることはない。この人は他人と目を合わせることができないのだ、とわたしは、近親憎悪に限りなく等しい嫌悪感から見抜きながら、腰を下ろす。
机の上へ筆記具を並べながら、左横に座る彼女をちらりと見る。
水死体を思わせるようなぶよぶよとした丸顔に、赤い吹き出ものをいくつも出している。濁った眼球、それを覆う深海魚のような腫れぼったい上瞼……。
わたしが割り出した「最大公約数」は、再考の余地があるのかもしれない。とても彼女が「運の強い人」には見えない。
しかも。
彼女の苗字は「ヨシダ」。
わたしはいやでも、「昔のこと」を思い出さずにはいられない。これまで極力考えまいとして生きて来た、「はるか昔」のことを……。
二
「あの頃」を、何年前と計算すればいいのかわからない。
ともかくあの頃、一九九九年六月、二十六歳になる五か月前。わたしは、大阪市内に在る郵政省――まだ公社化も民営化もされていない、国営の頃だ――の寮で一人暮らしをしていた。幼なじみで派遣会社のコーディネイターとして働く田中伸子と、盆休みを利用して香港へ旅行することになった。初めての海外旅行でパスポートを取得しなくてはならず、わたしは五月の終わりに、兵庫県南東部の実家へ帰省した際両親に、戸籍抄本を取り寄せて、寮に送ってくれと頼んでいた。
勤めていた郵便局はとても忙しく、午後五時半の定時に局を出られたことは一度もない。寮から職場までは自転車で約三十分。帰宅するのは毎晩午後八時前後だった。
そんな職場だから、その年の三月末に異動で出て行った男性の送別会と、入れ替わりに入ってきた女性の歓迎会は、六月になってようやく行われた。
歓送迎会の夜。帰宅したのは午後十時を過ぎていた。部屋に戻ると固定電話の留守番電話にメッセージが届いていると、楕円形のランプが赤く点滅している。寮の浴室は共同で、十一時までしか使えないので、留守電を確かめずに風呂へ向かった。
風呂から戻り留守電を再生する。実家の母からだ。
「何しとん……きょうに限って……帰ったら、何時でもええから電話してきてな」
日ごろは午後九時には眠る両親だ。しかし「何時でもええから」と言っている。
わたしは家へ電話をかけた。母が出た。
「戸籍抄本取ってきたんやけどな……」歯切れが悪い。気が短いわたしは、眠いし、疲れているし、早く言えやと苛立つ。「あんたももうおとなやから……ほんまはな、あんた、うちの子と違うねん。ナオちゃんの子やねん。ナオちゃんは前に違う人と結婚しててな、あんたを妊娠してるときに離婚してん。それで、もう堕ろすことができひんかったから『仕方なく』生んで、子どものなかったウチらが育てることにしてん」
ナオちゃんというのは、母の妹だ。母方の親戚は、ナオちゃんの娘もわたしの両親を「トシさん」「みっちゃん」と呼んでいた。
気象を勉強した今、自然現象というものが地球という生きものの生存の証だと理解しているわたしが、こういう表現を用いるのは不本意なのだけれど、このときのこの気持ちは「地震」としか喩えようがない。崩れる筈がないと信じていた「地盤」、「両親」というものが、その電話のやりとりや、その後郵便で届けられた戸籍抄本に書かれた「養女」という文字によって、あまりにもあっけなく、事務的に、破壊されてしまったのだ。
電話をどうやって終えたのか記憶にない。
そのあと一、二か月、わたしは無意識を混乱させていた。そうして「感情の発現」というのは、過去の経験に基づいているものだということを知った。これまでに体験したことのない事態に直面したわたしは、自分が何を感じているかを明確に捉えることができず、ただただ混乱し続けるしかなかった。
郵便局の窓口で、ベビーカーに乗った赤ちゃんを連れた若いお母さんを相手に学資保険の説明をするとき、マニュアルに沿って話を進めるならば、
「高校を出たときに満期を迎えてそれでおしまいというのではなく、その後大学に進学された場合のためのことも含めて、今のうちから計画的に資金を貯えていく方向でお考えになられることをお勧めします」
と言わなければならない。
そんなとき。自動的に口を動かしながらも、無意識の混乱が、発達する積乱雲のように顕在化して来て、
「アタシは実子でもないのに、私立の四年制大学に進み、一人暮らしまでさせてもらった……なんてことをしたんだろう」
という鈍重な自己嫌悪が、心に深く、大きな傷を刻んでいくのを実感した。
相続の説明をするとき。これも平均すると週に一度はあった。お客さんが見せるコンピュータが印字した戸籍謄本、除籍謄本、住民票、クセの強い小さな文字で書かれた、至極読みづらい腹戸籍などを指さしつつ、養母の浅はかさを怨まずにはいられなかった。
確かにあの電話の中で母は、
「一生あんたには隠しておこうってみんなで決めてたし、近所の人らからも告げ口されんであんたはこれまでラッキーやったのに。香港なんか行くって言うから、こんなこと言わなあかんようになってもたんやで」
と、まるでわたしが悪いような言いかたをした。
実母であるナオちゃんも、銀行で働いていたことがあると聞いたことがある。窓口の職員が相続について詳しいことくらい、容易に想像できるはずだ。
「一生隠し通せる」
と思っていたということは、わたしには、
「死に逃げ」
としか思えない。
何がラッキーやねん。
バカにするのもええ加減にせえよ。
そんな憎しみも、どんどん肥大していた。
混乱が終息する予感は、全く感じ取られなかった。
三
実家の傍に母方の祖父が一人で暮らしていた。その洗たく、家の掃除、食事の用意やあと片づけは、全て養母がおこなっていた。
わたしの実母に当たる「ナオちゃん」は、神戸市内に在る新興住宅地の、大きな家に住んでいた。小学校の校長をしている夫と、わたしより十歳年下の娘がいる。ナオちゃんは、小学校の事務員として働いていた。養母より四つ年下だった。
香港へ行く二週間前。母方の祖母の法事が祖父の家で行われた。当然ナオちゃんの家族も来る。わたしはその人たちに対して、どんな思いを自分が抱いているのかわからず、やはり戸惑った。
お坊さんが来てお経を読み、帰る。養母、ナオちゃん、従妹、三人の女性たちが、奪い合うように出しゃばって、手分けして、お供えのお菓子を分ける。
わたしにはそういう喧噪が性に合わない。この一族が気に入らない。
三人の女性たちは仏間から、お坊さんに出したお茶やお菓子を下げ、自分たちで飲むお茶の用意をするために、台所へ行く。
台所では使った食器を、三人の女性たちが、取り合うようにして洗ったり、ふきんで水滴を拭き取っているようだ。三人もかけてすることだろうか? わたしは白けている。そうしていつも養母から、
「あんたは気のきかん子や。ナオちゃんの子の気配りを見習ったらええのに」
と……いつも誰かと比べて貶められるのだ。幼い頃からずっとそうだった。一緒に香港へ行くことになっている田中伸子とも、ずっと比べられて育って来た。
仏壇のある部屋では養父と、ナオちゃんの夫を相手に、祖父が、最近ますます腰が曲って来て、どこへ行くのも億劫になっていると話している。わたしは立ち上がる気力もなく、聞くともなしに祖父の話を聞き流す。
三人の女性たちが冷たい麦茶を透明のグラスに入れて持って来る。
この三人の女性たちの身の上話が始まると、もうあまり大きな声を出せなくなっている祖父は、娘や孫が話をしているのを、にこにこと笑って見ているだけになる。
やがて。ナオちゃんたちが車で神戸へ帰る。
わたしの養父母も、正座を崩してぼんやりしているわたしに、「帰らへんの?」とだけことばをかけ、祖父の元から去って行く。
わたしは一人ぼんやりと、仏壇の中央に飾られた、阿弥陀如来の絵を眺めていた。
「スミちゃん」
祖父がわたしを呼ぶ。
振り返る。
「ナオちゃんのこと、気にしとんか」
わたしはうなずく。黒いパンツの太ももの上に、涙が落ちた。初めて泣いた。
「スミちゃんのお父さんはなぁ、ヤマちゃん、いうて、スミちゃんとよう顔が似とる。眉がはっきりして、鼻が小そうて。スポーツマンやった。
結婚式のときの写真、見せたろか」
祖父はわたしが返事をしていないのに、曲がった腰に左手を当てて、ガニ股で隣の部屋へ行き、右手に黄ばんだアルバムを持って戻って来る。
「これや」
よくある集合写真。わたしの視線は中央に座る新郎新婦ではなく、三十年ほど前の養父母を探す。
「ヤマちゃんはなぁ、ナオちゃんと離婚したあと別の人と再婚してな、娘ができたそうや。詳しいことは知らんけど、ヤマちゃんは自殺したらしいで。そのあと――ドラマみたいな話やし、嘘かホンマか知らんけど――遺された嫁さんは娘に、『何が一番したい?』て尋ねて、娘が『東京ディズニーランドに行きたい』言うて。そんなら嫁さんが『東京ディズニーランドに行ったら、そのあとで一緒に死んでくれる?』て約束して、ほんまにそのまま二人で無理心中したそうや。
ナオちゃんのこと聞いたら、小説のネタになりそうな話がぎょうさんあるで」
「以前」のわたしは小説を書いていた。その勉強をするための大学、大阪芸術大学の文芸学科へ進んだのだった。
実父の顔はよく見なかった。いや。見ようとしなかった気がする。憎しみを抱いてていた。わたしは養父が好きだった。養父は養母を愛していた。わたしさえいなければ、養父母はもっと裕福でおだやかな老後を、二人で過ごせていたかもしれないのに、と、自分の存在をも憎むようになっていた。
四
香港に行った。初めて降り立った「異国」は関西国際空港のように、陸から長い橋を渡った海の上に在る、新しい空港だった。
ツアーの二日目にオプションのツアーを組んでいて、その中に漢方薬局に立ち寄ることが組み込まれていた。わたしは大学を出てすぐの年、半年ほど整形外科の調剤薬局で受付のアルバイトをしていたから、薬の知識が少しはあった。楽しみにしていた。
日本語が上手で、長い黒髪を肩の下まで垂らした女性がある商品の説明をするとき、わたしを指さした。
「あなた。体悪いでしょう」
「はぁ?」心は悪いかもしれないが、体は悪くないつもりだ。「いいえ。元気ですよ」
「あとで話しましょう」
と言ってその女性は、別の商品の説明を続けた。
その人が売りたい、謂わばイチオシの商品を三つ四つ説明し、みんなが解散したあと、その人はわざわざわたしの傍へやって来た。
まず田中伸子を見て、
「あなたは全然問題ない」
と言ってから、
「あなたの肌は絶対にヘンです。この薬を飲んだら、肌が綺麗になります。金儲けではなくあなたのためを思って、この商品をお勧めするんです」
と、熱心に勧めてくれる。
しかし、
「アタシ、お金ないんです」。
肌が綺麗になったところで心の問題が解決するもんじゃないし、肌が綺麗なことがなぜいいことなのかもわたしには理解できない。わたしには全く美容やファッションへの関心がなく――それは「今」でもあまり変わりはない――、その点で大きく田中伸子とは異なっていた。
「クレジットカードは? カードでもいいですよ。特別に三割引きにしますから」
ゴリ押しだ。
わたしは、値引きされても四万円以上する漢方薬を買わされた。あの頃の月給の、五分の一も使ったことになる。
まるで「人間失格」の烙印を押されたみたいで、とてもいやな気分だった。
そのとき田中伸子が言った。
「スミちゃんって目がクリっとしてて可愛いのに、肌が汚いから損してるやろなって、ずっと思っててん」
優等生の、劣等生を見下す口ぶりだった。
その旅先のホテルで、田中伸子に出自のことを打ち明けた。田中伸子はそのことを知っていた。私立高校を受験するために戸籍抄本が必要で、それを田中伸子のお母さんと見たときに、お母さんからわたしの生い立ちを聞かされたと言った。
わたしは、私立高校の受験のときのことを記憶していない。養母が巧妙にごまかしたのだろう。
そうやってみんながグルになって、わたしを騙していたのだ。
世間のあらゆるものを、強く憎むようにもなっていた。
それにだんだんと、「ついでにバレた」、ということ自体、許せないと感じていることも、わかってきた。
「高校入試に戸籍抄本が要るついで」
「パスポートを取るついで」
そういうものだろうか? ましてや電話で済ませていい話か?
せめて、十歳の誕生日とか、成人になったときとか、キリのいいタイミングを見計らって、けじめを作るのも親の役目ではないのか?
色んなズルさに蔑まされていることを痛感した旅だった。色んなものが、寄ってたかってわたしを堕とそうとしている。
いつまで続くのか? 次はなんだ? なんでも来てみろ。
もはや投げ遣りにさえなっていた。
五
三泊四日のその旅行の帰り。空港へは辿り着けたものの、関空からのJAL便は「遅延」。台風が香港に近づいているためだった。結局十二時間、離陸が遅れた。そのあいだに空港の外では、中華航空機が横転するという、香港の空港が新しくなってから初めての事故が起きていた。
その次の月、敬老の日の頃だった。祖父が突然他界した。わたしの混乱に心を寄せてくれた唯一の人であり、実父について話し聞かせてくれたただ一人の人を失ったことで、わたしはますます何もかもがどうでも良く思えるようになって来た。一方で、不安が募り、心細くもなった。
一連の葬儀のときも、ナオちゃんは夫の蔭に身を寄せて、わたしからは距離を置いた。
通夜の夜。わたしたち家族が祖父の夜伽をすることになった。養父母と過ごす久しぶりの夜。
酒の勢いもあってすぐに眠りに入った養父のいびきを聞き、大きな安心感を得た。
「この人たちが本当にアタシの両親なら、アタシはこんなに混乱しなかったのに」
六
およそ半年後。二〇〇〇年に入った頃からだったろうか? 仕事中、
「たばこの火を消したかな?」
「炊飯器をカラだきしたままじゃないかな?」
「ガスコンロの火、ちゃんと消したかな?」
「エアコン、止めたかな?」
仕事中不安になり、職場から寮へ電話をかけ、寮長さんに確認をお願いした。
あまりにもそんなことが多いので、寮長さんに申し訳なく、昼休みに職場を抜け出し、昼食を抜いて、寮まで確かめに自転車で戻ったことが幾度もある。
こういう症状を「強迫神経症」と呼ぶということも、「ずい分あとになってから」、知った。
七
休みの日。大学時代の友人と連れだって、月に何度か小劇場の舞台を観に出かける以外、殆ど実家へ戻った。
そんな頃だった。午後八時までに帰ることがほとんどない職場。ましてや金曜の夜。帰宅してつけた、兵庫県のローカルチャンネルであるサンテレビ――大阪市の北東部、上新庄のテレビでも、サンテレビを受信できたのだ――で、わたしは初めて『STAR TREK』を観た。ピカード艦長を主人公とする『新スタートレック』を知ったのだ。
それはわたしが小説を書きたいと思った、原点を思い出させた。
小学生の頃に眉村卓先生の『ねらわれた学園』が映画化され、原作を読んだ。それからわたしは眉村先生のSF小説のファンになった。本を読む楽しみを、生まれて初めて教えてくださったかただった。
大阪芸術大学の文芸学科に進み、眉村先生がそこで教授をされていると知ったとき、「これは奇跡だ、運命だ!」と感じたほどだったのに……いつしかわたしは小説を書くことを、忘れていた。
八
眠れない夜が続き、仕事では夕方の締めの時刻、お金が合わないことが増え、わたしは四年間勤めただけで郵便局を辞めた。実家へ戻った。
長いあいだ海の上を漂った蝶が、ようやく安心できる越冬地へ戻れたような気分だった。あるいは親鳥の待つ巣に帰った雛鳥の心境……幼児返りもしていたようにも思う。
九
養母の炊くご飯は、わたしにはやわらか過ぎる。でも、こんなわたしのために食事の用意をしてくれることだけでも、有り難い。
養父は、既に勤めていた会社を定年退職し、町のシルバー人材センターからの要請を受け、町にある郵便局で「警戒員」として働いていた。局舎の隣に局長の実家があり、局長のお母さんに気に入られ、局舎だけでなく局長の家の植木の剪定や、草引きなどの雑務のために、警戒員の仕事のない日にも駆り出され、本来の役目より多い日当をもらって喜んでいた。
養父母は、昔は神戸に住んでいた。会社が新しい工場を造ったことに伴って養父が転勤することになり、こちらへ越して来た。しかし、家から職場まではかなりの距離があり、酒ずきの養父は車の免許を取らず、養母は養父の仕事への送迎のために、家を空けるわけにはいかなかった。母は、わたしが幼い頃には内職をしていた。折り紙やレターセットなどのファンシー文具がバラバラに、段ボール箱で届けられ、それを店先に出せる形に、或るものは糊づけをし、或るものはセロファンの袋に詰めた。たまに間違った形のボタンを見つけると、養母はわたしにそれをくれた。何に使うわけではないのに、養母とのあいだだけの隠しごとができたみたいで、とても嬉しかったことを覚えている。
実家に帰ってからのわたしは、『STAR TREK』のドラマによってSF、ひいては理系への興味が蘇えってきて、高校時代、大学受験の最中になぜだか――本当になぜだかさっぱりわからない――強く関心を持った、気象予報士試験の勉強を始めた。資料を集め、通信教育を受けていた。
眠りたいときに眠り、起きたいときに起き出し、見たいテレビをなんとなく眺め、気が向いたら勉強をして、日々を過ごした。たまに、大学時代の友だちで大阪に住んでいる子から、舞台を観に行かないかと誘われた。そのときだけは出費を惜しまず外に出た。
大学時代に一度舞台に立ったことがあった。それ以来、観劇することは大切な趣味になった。舞台に上がることに絶望し、或いは執着できなかったわたしは、そこに立っているだけでも汗が流れ出る熱い舞台で演じる人たちに、深い敬意を持っていた。その思いは「今」でも変わっていない。
六月半ばの或る日。珍しく朝十時に目が覚めた。わたしにしては早い。その日一本目のたばこに火をつける。外では梅雨の走りの雨が、しとしとと降っている。
養父は警戒員の仕事に行くと、前の夜、食事のときに言っていた。
寝起きのぼんやりした頭にニコチンがしみ渡る。活性化されてきた脳の部位が、少しずつ記憶を浮かび上がらせて来る。
小説を書く方法を学ぶために、わざわざ大阪芸術大学へ行かせてくれたのに、舞台に手を出したり、アルバイトばかりしたりして殆ど勉強をせず、留年こそしなかったものの、結局もう小説も書かなくなっている。小説を読むことさえしない。わたしが過ごしやすくなるためにと、家の二階を改修してくれたのは、わたしが高校二年の冬だった。
なのに、大学へ通うために羽曳野市で一人暮らしすることを許してくれて、仕送りも欠かさずしてくれたうえに、アルバイトでわたしが体を壊しかけていると電話で泣いたら、養母は翌日、わざわざ電車を二時間半乗り継いで、羽曳野まで駆けつけて来てくれた。
結局わたしが大学時代で覚えて帰ってきたことといえば、たばこを吸うという悪い習慣と、下宿の近所の小さなビデオ屋のおじさんから教わったさまざまな味覚と、観劇の楽しさと。その程度のものだったような気がする。堅めのご飯が美味しいと知ったのも、そのビデオ屋のおじさんの影響だった。
大学の最寄り駅がPL学園と近かったことも、わたしがあの大学を選んだことで体験した奇跡の一つと言えるだろう。わたしはプロ野球選手、桑田真澄さんを、桑田さんが高校一年生の頃から応援していた。尊敬し、憧れていた。だから自分の名前の「スミコ」の表記を、「澄」の文字を用いたものに変えられはしないかと、どれほど悩んだか知れないほどであった。
そうして大学を卒業し、実家でフリーターをしながら近畿郵政省の試験に合格したときも、わたしは親には内緒で、勤務希望地に「大阪府」と書いた。実家には一年居ただけで、わたしはまた大阪に戻った。
勝手ばかりしてきた。
たばこは根本まで吸う。百円ショップで買ったガラスの灰皿で、火をもみ消し、部屋を出る。
階下には、仕事に出ている養父の姿は、もちろんない。玄関の扉から外が透けて見える。車がない。母は買いものにでも出かけているのだろう。
七十に近い養父が、まだまだ元気で喜んで働きに行っているというのに、十一月で二十七歳になろうという娘のわたしは完全に引きこもっていて……不甲斐なく、情けない。
ようやく、混乱の正体がなんとなくわかって来ていた。それは、「自分」の遺伝子の半分が、鬼か悪魔か、ともかく得体の知れない何かで形成されているという、自分への不信感だった。どうやって修復すればいいか、わからない。阪神・淡路大震災を引き起こした活断層が、「野島断層記念館」として保存されているように、いったん壊れてしまった「地盤」は、永久にその痕を留めるよりほか手立てはないのだろうか? 修復する手立てのないその傷痕を、わたしはどう捉えたらいいのか。まだ鮮血が迸り続けている深く鋭い傷の痕。向き合いかたがわからない。共存する方法も思い付かない。
自分への信用を失ったわたしは、地面の割れ目に挟まって、ときが経つにつれて遥か地底へと心が堕ちて行くばかりで……這い上がる気力はない。
二階に戻る。
部屋の扉をあける。
と。
明るい部屋が広がっている。雑多な自分の部屋ではない、が、惰性で、足を踏み入れる。
十
辺りを見回す。細長くだだっ広い部屋。真っ白な壁、真っ白な天井。光源がどこにあって何なのかはわからないけれど、とにかく眩しいほどに明るい、横長の部屋。
三歩ほど前に、背中を丸めた太った男性が座っている。うす茶色の作業服を着ている。
その人の肩に手を当ててみる。
振り向いたのは、めがねをかけ、目が細く、頬の肉が垂れ下がったおじさん。えびすさまと似ている。
「ちょっと待っといてな」
そうしているあいだにもその男性の前には、ピアノ線のように細く透明な線が、降りたり昇ったりしている。その線は、パソコンのマウスほどの大きさの人形を降ろしている。人形が降りて来ると、男性は左手に人形を持ち、細い目を数秒閉じる。
「うん」
とうなずいてから、男性の右側の台に置かれている、魚の稚魚のようなものを人形の口に入れる。そうして男性の左の黒い台に載せると、それはベルトコンベアーになっていて、ずっと左へ流れて行く。白い壁を突き抜けて、どこかへ見えなくなってしまう。
「何してはるんですか?」
わたしは尋ねる。
「んん?」男性の前にまた新しい人形が降ろされる。その人はそれを手に取りまた目を閉じる。右手の台から稚魚を取り、人形の口に入れ、左の台に載せてから、「あ、しもた。間違えた。まあええわ」
独り言を呟く。
「あんたがおるから緊張して失敗したやんか」男性は、自分の前にある赤いボタンを押す。ピアノ線が止まる。「胎児に魂を入れとんや。ここは魂注入工場って言われとる」
「間違えた、って、どういうことですか?」
「いや……たまにやってまうんや……死んで生まれる筈の胎児に魂を入れてもたり、逆のことしてもたり……」
「アカンやないですか!」
「でも間違えてもたもんは、しゃあない」
「間違えて生まれた人間はどうなるんですか?」
「さあ……それはそれでその人の運命なんとちゃうか? オレの管轄外やからよう知らんけど。オレ、ほんまのこと言うたら、あんたらの言う一年のあいだに一回くらいの割合で、おんなじミスしてるんやで。せやけど世界は案外平和に保たれてるやろ?」
「それで済むって本気で思ってるんですか? それがもしかしたら戦争のきっかけになったかもしれんじゃないですか」わたしは、自分がこのおっさんのせいで、誤って生まれた胎児に違いないと確信した。「あなたは一体誰なんですか?」
「オレ? 人間からは神さまって呼ばれてるみたいやなぁ。神頼みなんかするもんとちゃうで。実体はこんなんもんや。ええ加減なもんやろ?」
おっさんはわたしを見上げて笑う。
「アンタの過ちのせいで、世界の平和とは関係のないところで、ひそかに苦しんでる人間がいるって考えたことないんか!?」
それでもおっさんは笑いながら、言う。
「あんた、うつか?」
「……たぶん」
「うつっちゅうはあんたらが思ってるよりものすごいエネルギーを持ってるもんでな。せやさかいこんなトコへ来る力もできるんや。
あんた、もし行きたいトコや会いたい人がおるんやったら、今念じてみ。今すぐに思い付かんかったら、思い付いたときにそこへ行きたい、いうて、強う念じたらええ。いつでも、どこにでも、すぐ飛んで行けるで」
「行きたい所や会いたい人?」
「せやで。思いのままや」
自ら「神さま」と名乗るおっさんは、わたしに背中を向け、黒いボタンを押す。上からピアノ線が降りてくる。
「実のお父さんに会いたいって思ってもええんか?」
自称神さまは「胎児」に「魂」を入れながら、
「ええんとちゃう」
と呟いた。
次の瞬間。
わたしは明るいマンションの一室にいた。
フローリングの床のこげ茶色が、ワックスで光っている。テーブルに老夫婦が向かい合って座っている。
女性は痩せていてめがねをかけている。男性はふっくらとしていて鼻筋が通り、目もとの彫りが深い。どことなく養父に似ていることが、ますますわたしを混乱させる。
この人たちは誰だ? どうしてわたしはここに来た?
「お前誰や」
背の高い男性。わたしより少し年上くらいの三十歳前後か。眉が濃いこと、鼻が小さいこと、さらには丸い目が……わたしと同じだ!
「ヤマシタさん? お父さん……?」
とすると、この老夫婦は父方の祖父母?
「スミコか……?」
その人は丸い目をさらに丸くする。
この人はこんな若くに自ら命を絶ったのか!
「……はい」
戸惑っているわたしは、敬語で話すことを無意識に選んでいた。実父とは言え初対面の年上の男性にほかならないのだから。
「お前、死んだんか?」
「いえうつで……」
「お前みたいなもん、はよ死んでもたらええんや。
オレは尚美のことは忘れたんや。お前のことはなおさらや。お前や尚美がおらんかったら、そのあとの嫁とは長続きできてオレが自殺することもなかったし、あいつらがあんなに早くにこっちへ来ることもなかったんや。
全部お前らのせいや。尚美にもそない言うとけ!」
実父は、つばを飛ばして罵ると、沸騰したやかんから出る湯気が、外気に触れてだんだんと薄くなっていくように、姿を消してしまった。
「アタシらのせいってどういう意味よ! なんでアンタは自殺したんよぉ!」
涙が出て来る……答えて欲しかった。
「逃げるなんて卑怯やわ……みんなズルいわ……」
涙が溢れる瞳を閉じる。
数十秒。
目をあける。
元どおり。自分の部屋が広がっている。
ベッドに潜り、泣いた。
生まれてきたことを、後悔した。
十一
世間が盆休みのあいだに郵便局が開いていることは、あまり知られていない。だから、台風が近づいていて雨も風も強いお盆の午後、車を出して郵便局へ行った。貯金の窓口で定額貯金から三十万円を、分割払い戻ししてもらう。
角刈りの職員さんが、端末に通帳をセットする。端末は通帳を飲み込む。
待合室のベンチでそんな音を聞くと、つい夢想してしまう。あの忙しい郵便局。せかせかと順番待ちをしている大勢のお客さんたちの焦りを全身で感じ、それに怯えながら、窓口で働き続ける自分もあり得たのだな、と。
郵政の寮にいた頃は、そこが大阪市内の北東の外れ、上新庄という土地だったとはいえ、寮費は水道代、電気代、ガス台と、駐車場代を含めても、毎月二万円も要らなかった。長期の休暇はあまりとらず、海外へ行ったのも結局あの香港の一度きりだったので、わたしにはかなりの貯金があった。
とは言え、それもいずれ尽きることはわかっている。貯えがなくなったとき、わたしは再び働く気になっているのか? もしも実子でないわたしのために、両親から年金をもらってまで生きるような事態になっては……そうまでして、生き恥をさらさなければならないくらいなら、いっそ死んだほうがましだ。
退職を決めたとき、養父母は温かく微笑んだだけだった。
「あんたが決めたんやったらそないしぃ」
幼い頃からそれが不満でもあった。
「ヨシダさま」
自分の名が呼ばれ、立ち上がる。金額を確認させてもらう。礼を告げて局舎を出る。
車の運転席に座る。ため息が出る。かばんを助手席へ放り投げ、ハンドルを両腕で抱え、俯く。また、心が堕ちて行く。
少し目を上げてフロントガラスを見る。香港の空港を思い出す。あの夜もとても暗かった。五メートルくらいあるガラス窓に大量の雨が絶え間なく打ち続けていて、水槽の中の小魚になったような気分になった。
今は午後だから、外はあのときほど暗くはない。だけど、まるで粘性の高いゼリーのように、フロントガラスを雨が覆っている。
なぜか、安心する。
ふと……「母胎回帰」ということばが浮かぶ。
母胎。
ナオちゃんはずっと、わたしと話をするのを避けている。
十二
その数日後。わたしは車の運転が苦手な養母と、運転免許を持たない養父を乗せた軽自動車で、神戸市長田区にある、養父の実家へ向かった。わたしが生まれる前には既に亡くなっていた、養父方の祖父の、お盆の法要なのだ。
養父の母と、妹、弟がそれぞれ独身で住んでいる。その家へ行く途中、阪神高速を走りながら、阪神・淡路大震災のときのことを思い出す。
あれはわたしが大学三回生の一月だった。後期試験が行われる日でもあった。羽曳野の古い文化住宅の柱にはひびが入ったようで、余震のたびにぐらぐらと、わたしが暮らす二階の床は揺れた。
朝十時ごろからだったろうか? 長田の町で火災が発生しているというヘリコプターからの映像がテレビに流れた。それを見たわたしは、祖母を思った。
もうだめだ!
祖母に会うことは二度とできないんだと思うと、失恋したときともまた違う、のどの奥のほうからうめくような嗚咽が、長いあいだ止まらなくなった。
しかし、祖母は無事だった。一緒に住んでいた養父の妹や弟にも、けが一つなかった。家にも損傷はなかった。長田区でも北のほうだったのが幸いしたらしい。
その春休み、わたしは実家へ戻った。羽曳野のアパートに帰るとき、JR兵庫駅から祖母の家へ向かう道にも通行止めになっている箇所がたくさんある中、祖母の家を訪れた。実家の最寄り駅近くに在るスーパーで買った、冷凍のグラタンを三つ土産にしていた。祖母がグラタンを好きだと、養母から聞いたことを覚えていたからだ。
養父の妹や弟は仕事へ行っていた。祖母が一人でちょこんとこたつに座っていた。背中が丸くなっていた。普段から声の小さく無口な祖母だったが、このときは、小声ながらもたくさんの話をしてくれた。
「年やさかい、毎日風呂に入らんでもかまへんねん」
そんなことを言って、歯ぐきの発達した口内を見せて、笑った。
わたしが郵便局で勤めるようになってからは、「敬老の日ゆうパック」というのに対し、局ごとのノルマがあった。それに貢献しなければならないという気持ちもあり、祖母を思うと震災後のあの笑顔が思い出され、わたしは毎年祖母にぬいぐるみを贈っていた。
わたしが退職して以来、養父の家族とは初めて会う。お坊さんが帰ったあと。皆何かを察してか、辞職の理由は訊いて来ない。叔父だけが明るい声で、
「スミちゃん、今何してるん? ヒマちゃうかぁ?」
と、わざと呑気に言った。
すると養父が自慢げに、
「こいつ気象予報士になるんやで」
と笑う。
養父はいつも、わたしについての些細なことを、心の底から誉めてくれる人だった。この人と血がつながっていないことが、一番わたしを苦しめたといっても過言ではない。だから、白い部屋から訪れたあのマンションのダイニングで、実父からは徹底的に疎まれはしたが、実の祖父が養父と似ていたことは、わたしには一つの救いであった。もしかしたら、自分に流れている血はそれほど悪いものでもないかもしれない、と。
時間だけはいくらでもあるし、新しいできごとも殆ど起きないので、印象的なことを、まるでキリンの咀嚼のように、何度も思い返しては、反芻しているのである。
「気象予報士って……あれ難しいんやろ? でもスミちゃん、高校もええトコ行ってたもんなぁ」
叔母が細い目で笑う。叔母も叔父も養父とは似ていない。祖父のことは知らないが、養父は祖父に似たんだろう。養父が一番ハンサムだということは、とても嬉しい。
「勉強してるだけで受かるって決まったわけやないから……」
水を差す、というか、自分では謙遜のつもりなのかもしれないけれど、こういうときに決まって出鼻を挫くのが、養母の役目だった。まあ事実、合格する保証はなかったのだけれど、どうせなら自分で言いたいことだった。
「がんばりや」
祖母が小さな声で、しわだらけの黄ばんだ顔で、にこにこと笑ってくれた。
わたしはまた泣きそうになる。
この人も本当の祖母ではない。
なのに、震災のあとで届けたグラタンも、日ごろ食の細い祖母には食べきれないかと思われていたのに、大喜びして平らげたとか、会うたびに、敬老の日に贈ったぬいぐるみを大事にしてくれているとか……本当の祖母だと思っていた。祖母はこの人以外考えられない。母方の祖母よりも父方の祖母のほうが、わたしには祖母らしく思えていた。
そのあとは、養父とその弟とが、仕事の話を始めた。二人はかつて同じ会社で勤めていた。まだ現役で働いているので、養父の昔の部署や、部下の様子を話し合っている。
わたしは、みんなが集っている奥の部屋から、仏壇のある表の部屋へ移る。かばんをそちらに置いていたから、用事のある振りをして、逃げた。
養父方の祖父は、わたしが生まれる前に亡くなっていた。だからわたしの守護霊――そのようなものが本当にあるとするのなら――は、きっとこのおじいちゃんなんだ、と、根拠なく抱いていた希望も、もはや完全に燃え尽きてしまった。
いとこのいないこの家系。盆と正月に訪れるたびに、居場所がないと感じていた。
ここに居てもいいですか?
仏壇の上に飾られた祖父の遺影に尋ねた。無論返事はなく……わたしを救出してくれる何かの気配は、この惑星の地表も地底も、対流圏やさらにそのずっと上層の熱圏まで飛んで行ったところで、どこを探してもないように思えて来る……。
十三
十月十二日は、香港へ一緒に行った、幼なじみの田伸子の誕生日。
自分から誰かに電話をかけること自体、久しぶりのことだ。
「ノブちゃん? 誕生日おめでとう」
「ああスミちゃん! 有り難う。
あんな、アタシ来年の春に結婚することになってん」
「そうなん! 前に、会社の同僚で親しくしてる子がおるって言ってた、その子と?」
「そうそう」
「良かったやん! おめでとう! ほんまにおめでとう」
「スミちゃん。
スミちゃんより先に結婚してもて……ごめんな」
「はぁ?」
「ううん。ええねん。
今何してるん?」
「気象予報士の資格を取る勉強」
「え? また公務員になるん?」
「気象予報士と気象庁とは関係ないよ」
よく誤解されるからわたしは苦笑する。ましてや田中伸子は派遣会社で働いていて、そんなことで大丈夫なのかな、と。
「働いてないんやったら、うちの派遣会社の仕事する? 登録するときにアタシの講習受けてもらうことになるけど」
「今どんな仕事があるん?」
「姫路の歴史博物館で、古文書を読む仕事があるけど……」
「ああ! 変体仮名やったら大学のときに習ったことあるし、辞典みたいなんも持ってるから、できるかもしれん」
「でもスミちゃん、交通費が高くつくから、たぶん採用されへんわ」
「そうやなぁ。それくらいのことやったら、近くにできる人いくらでもいそうやもんな」
単純なわたしには、全く悪意はない。
「スミちゃん。
スミちゃんには仕事もないし彼氏もおらへんのに、アタシだけ先に結婚してもて、ほんまにごめんな」
田中伸子は重ねて言って、電話を切った。
突然……。
劣等感。屈辱。裏切り……。
そんな感情が噴出する。粘性の低いマグマのように、溢れ出して、垂れ流されて、止まる様子はない。あるいはそれは魂をさらに深く抉られた傷が流す、赤黒い大量の血液かもしれない。
わたしは田中伸子のことを友だちとしか思ったことはない。幼い頃から一緒にピアノを習い、数学を学んだ。ピアノは田中伸子のほうが上手だったけれど、数学はわたしのほうができた。
養母は、わたしが田中伸子よりできたことを誉めることはせず、田中伸子より劣ることだけを取り上げて、わたしを責めた。そのときに受けた心の傷は残っている。それでもわたしは子どもながらにも、それぞれに得意分野が違うことは当然だと思っていた。
香港の漢方薬局店で肌がどうのと言われたときも、人は人、として聞いていた。確かにあのときの田中伸子から優越感のようなものは伝わったが、肌が綺麗だから人として勝っているとは限らない、とわたしは考える。
そこで思い起こす。
高校入試のとき。田中伸子とわたしはともに西高校を志望した。地元で二番目に偏差値の高い高校である。しかしその年の西高の志願者は例年になく多かった。教師たちは志望者の成績を熟慮し、合格できそうにない生徒を呼び出した。そのうちの一人が田中伸子だった。わたしは西高に合格した。田中伸子はワンランク下の北高校に進んだ。
「入るときは西高のほうが難しく、出るときは北高のほうがいい大学に進学する」
と地元では言われていたけれど、実は北高校の教師たちは、偏差値の低い大学を受験するくらいなら、浪人してもっと上を目指しなさいという方針を持っていた、と「あとで」聞いた。
田中伸子は、甲南女子大学へ進んだ。大阪芸大なんていう、わけのわからない学校を選んだわたしを嘲っていたのであろう。「せっかく西高へ行けたのにアホやなぁ」と。
わたしが郵便局を辞めて実家へ戻ったとき、なぜだか田中伸子は退職のお祝いとして、サボテンをくれた。
そのサボテンは、もらった翌月、五月、養母によって、枯らされた。
わたしは三泊四日で、広島の知り合いの元へ出かけた。そのあいだの世話を養母に頼んだ。ご飯が柔らか過ぎるように、何ごとにも「水の加減」を知らない養母は、サボテンにも大量の水をかけた。わたしが広島から戻ると、きれいな〇の形をして、サボテンは腐っていた。そこからの腐敗は早く、梅雨が明ける頃にはすっかり息絶えてしまっていた……。
あのときのサボテンも、退職への――つまりは「ドロップアウト」への、いやがらせだったのか!
これまでわたしの友人で、わたしより先に結婚した子は何人もいる。なのに、あんな言いかたをされたのは初めてだった。どちらかと言えば二十代後半、自由になるお金を持てて、一番楽しく遊べる時期に結婚して束縛されるなんて、もったいないとさえ感じていた。それすらもわたしの中では、優越感と呼べるほど強い思いではなかったのに……!
「くそお!」
わたしはまず、左手に持っていた従来型携帯電話をベッドに投げつけた。それからテレビのリモコン、ビデオデッキのリモコン、目覚まし時計。何かをどこかにぶつけたいけれど、田中伸子ごときへの苛立ちのせいでものを壊して修理にお金を使うのもばかばかしく思えて、頑丈そうなものばかりを、やわらかいベッドの上へぶつけ続けた。
放り投げたものを一気にベッドの上からフローリングの床へ落とし、わたしはうつ伏せにそこへ飛び込んだ。両親に聞かれないように、ベッドが音を吸収してくれるから、わたしはそこで呻き声を上げて泣いた。
「友だちやと思っていたのに、あの子にとってのアタシは、ライバルに過ぎなかったんや。アタシがあの子の知らんことを知っていたら気に入らんのや! 常にアタシの上でないと気が済まんのや……」
三十年近く、それに気づけなかった、惨めな自己嫌悪……。
「もーええ加減懲りた。辞めてやる。ぜーんぶ辞めてやる。『人生』っていう川の流れ。全部がその結論に向かって流れているやないか。そういうことやろう、おっさん!」
わたしは魂注入工場の、えびすさまに似たおっさんを思い出す。
「もう死ぬ……死んでやる。
あのおっさんが間違えたせいでアタシは生まれて来てしまった。なら、あのおっさんの間違いをアタシがなかったことにしてしまえばいい。
ナオちゃんを流産させればいい!
ナオちゃんがアタシを身ごもっていたとき、離婚する前、まだ神戸に住んでいたおじいちゃんやおばあちゃんの家で暮らしていたと聞いたことがある。そこへ行くことはできひんか?
いや。きっとできる筈。あのおっさんの言うことが事実なら、必ずできる。
一九七三年春。妊娠中のナオちゃんの元へ。
神戸のおじいちゃんたちの家へ!!」
わたしは小さな座蒲団の上に正座をし、目を閉じて、強く、強く、念じた。
十四
母方の祖父母の家は、幼いわたしにとっては、「鉛筆みたいな家」だった。確か五階建てで、各階に一部屋ずつしかない。細長い造りだったから、「鉛筆みたい」と感じていたのだろう。屋上がベランダになっていた。そのすぐ北側をJR、当時の国鉄が走っていて、たまに、間近に通る車輛を珍しく眺めたものだった。
階段は薄暗く、傾斜が急で、段差が大きい。
わたしは階段の上へ、スパイダーマンみたいに張り付いている。
「ナオちゃーん。お風呂入りー」
ずい分前に他界した祖母の、甲高くねちっこい声がする。
「はーい」
変わらないナオちゃんの、陽気な声が答える。
このとき初めて、わたしはナオちゃん……実母に対して自分自身が、どういう思いを抱(いだ)いているのだろうと考えた。
わたしにとっての「お母さん」は、養母以外に考えられない。今さらナオちゃんを「お母さん」と呼べとか、母親だと思って接しなさいと強要されたとしても、とてもそんな気にはなれない。いつも人に媚び、養母以上に見栄を張る祖母が生きていたら、「お母さんが二人おって、妹もおって良かったやん」と、綺麗ごとを押し付けて来ていただろう。正直、死んでいてくれて良かったと思っている。
さらに思い出が蘇る。
わたしが幼稚園に通っていた頃だっただろうか? 祖父母は神戸のこの家を引き払い、わたしの実家の傍へ引っ越して来た。ナオちゃんも祖父母と一緒に転居して来ていて、神戸市内の小学校の事務員をしていた。
ある曇った日のことだった。なぜかナオちゃんとわたしは、二人で遊びに出かけた。近くの田んぼの周りを、うろうろと散歩した。
ある畦道に、クローバーの葉が茂っていた。わたしはその場に屈込み、四つ葉を探す。わたしは四つ葉のクローバーを見つけ出すのが得意だった。ときには五つ葉、六つ葉を見つけることもあった。
その日もすぐに四つ葉のクローバーを発見し、ナオちゃんに渡した。
「ナオちゃんがしあわせになりますように」
ナオちゃんが高島さんという、年下の小学校教師――のちに校長になる――と結婚したのは、そのすぐあとのことだった。結婚式で白無垢を着たナオちゃんを見て、なぜだかとても大きな悲しみに襲われたのだった……。
わたしが出自について知ったことを伝え聞いている筈なのに、ナオちゃんはわたしと話すことを目に見えて避けている。そのたびにわたしは毎回ナオちゃんに対して失望を覚えて来たのだと、初めて自覚する。
若いナオちゃんが部屋から出て来る。まだ殆どお腹は膨らんではいない。
嗚呼ナオちゃん……細い目、細い眉……複雑な血縁関係を知るまでは大好きだった、年の離れたお姉さん……。
ナオちゃんが階段に足を置く。
今だ!
わたしは壁を這って階段の踊り場に立つ。
ナオちゃんがゆっくりと階段を下りて行く。
わたしは目を閉じる。
ナオちゃんの背中を力いっぱい、押す。
どどどどど……。
「ナオちゃん!」
丸い目をした祖母が叫ぶ。
まだ腰の曲がっていない祖父は、閉じた唇の端から、蟹のように白い泡を出している。
「お父さん! 救急車呼んで! ヤマちゃんの家か職場にも電話して!!」
祖母は、足首から血を滴らせるナオちゃんに、
「しっかりしぃ。大丈夫やから」
と、気休めを言っている。
祖父が黒電話のダイヤルを回す指は、震え続けている。
運ばれた病院に実父が駆け付けた。スーツ姿で、わたしと似た狭い額にいっぱい汗をかいている。
祖母が実父に向かって、首を横に振る。
ナオちゃんが眠るベッドにうつ伏して、実父は声を上げて泣いた……。
十五
既に「わたし」はこの世には居なくなった。魂、あるいは思念だけの存在である筈だ。いつまで「居る」ことができるか、わからない。
急いでわたしは念じる。
あのおっさん、魂注入工場へ、と。
あの、眩しいほどに白くて明るい、横長の部屋が現れる。
おっさんは相変わらず、人形に稚魚を埋め込む作業をしている。
「おっさん!」
わたしは怒鳴る。
おっさんが振り返る。その瞳に、表情らしいものはない。
そうしているうちに、稚魚を入れられない人形が一体、左の台に載せられ、ベルトコンベアーで運ばれて部屋から去って行った。
「それ、また失敗したんちゃうん? まあ年に一回は間違えるんやもんなぁ。一回が二回になったところで、所詮アンタには大したことやないんやろな。
話がある。赤いボタン、押せや」
ピアノ線の昇降が止まる。
わたしはおっさんに並ぶ。
「アンタはここで魂を入れるだけが仕事か? そのあとのことは関与せん、ってことか?」
「そうや。オレの管轄はこの魂注入工場だけで、ほかのことは別のモノが担当してるんや。あんたらの言う神さまの世界も、分業制なんや。給料こそないけど、労働時間も決められてるし、休日もあるんやで」
悠長なしゃべりかたに、わたしはますます苛立つ。
「アタシは間違いなく、アンタの失敗のせいで生まれてしまった人間や。そやから、妊娠してた自分の母親を、たった今、流産させて来た」
「ああ……ようある話やな」
おっさんは、赤いボタンの隣にある、黒いボタンに指を伸ばそうとしている。それは恐らく作業再開のボタンなのだろう。
「続きがあるねん」わたしはおっさんの手を掴む。「アンタのせいで、アタシは自分で自分を殺した。それもアンタから見たら人間の勝手やと思うんやろう。せやけどなぁ、人間社会やったらなぁ、過失には責任が伴うんや。責任を取ってもらいたい」
「はいはい」おっさんはこれにもなれているようだ。「何がお望みですか」
「二つある。ええか?」
「なんぼでもええでっせ」
「なんぼでもええんか?」
「中には欲張りな人も居てはるからなぁ」
「まあアタシは二つでいい。
一つ。
一九七三年十一月十一日、『ヨシダ』利勝と美智子とのあいだに、『アタシ』を生ませて欲しい。アタシの養父母や。利勝はその年もう四十歳で、美智子は三十四やけど、アンタの力やったら、できるよなぁ?」
「お安いご用や。
もう一つは?」
「二〇〇二年に田中伸子が結婚する。その何年かあとには妊娠もするやろう。でも、伸子が妊娠するたびに、徹底的にその子どもを流産させて欲しい。伸子には絶対に子どもを持たさへん。かまへんか?」
「なぁんや。それだけか。
えらい威勢の割には、可愛らしいお願いごとやな」
「可愛らしい?」
「せやでぇ。もっとえげつないこと頼んでくる人間もぎょうさんおるからなあ」
「ふぅん……で。アタシ、死んでもたことになるんやけど、このあとどうなるん?」
おっさんは天井を指さす。太くて短い人差し指。
「上? 何?」
「ここよりさらに上で、今までの記憶を『リセット』される。コンピュータでいうところの『初期化』やな。初期化されたあと、魂注入工場までの『出荷待ち』をしてもらうことになる」
おっさんは自分の右側に置いてある、稚魚を示す。
「約束、守ってよ」
「オレは、忘れへんよ」
おっさんは、えびすさまを思わせる細い目で、ニコニコと笑った。
ともかく。
このおっさんの言うことを信じるしかない。
と。
わたしの体は……そもそも実体のないものだったのかもしれないけれど……焚き火をしたときに出た煙が空へと昇って行くように、白い天井を突き抜けてさらに宙に浮かび、やがて意識は途切れていた……。
十六
「思い出した」のは小学四年生の夏休みのことだった。
ブラウン管テレビでは、夏の高校野球を流していた。PL学園の試合で、桑田真澄さんが一年生投手としてマウンドに上がった。その、高校球児にしては小柄で、まだ体もできてなくて痩せた姿、きれいなピッチングフォームを見て、
「アタシ、この人のこと、『覚えてる』」
と思った。違和感に気づくまでには時間がかかった。
そこからは、賢く生きた。
近所に住む幼なじみの田中伸子とは、距離を置いて付き合った。
母の躾は生まれ変わる前と違わず、叱りも誉めもせず、ただ周りと比べてけなすだけだったけれど、それさえも無視をした。
中学では部活動をせず、ひたすら勉強に励んだ。そういう意味では、桑田さんが体現している『完璧主義』というものは、生まれ変わってからのほうが徹底していたかもしれない。
やはり中学時代、眉村先生が原作をされた映画が公開されて、ブームになった。でも……この先でご縁のないことがわかっていたし……とにかくわたしはガリ勉を貫いていたので、純文学以外の本には関心を示さなかった。大阪芸大の先生が、眉村先生の作品には文学性があるとおっしゃっていたことも覚えてはいたけれど……「眉村先生と出会ったこと」も覚えているだけに……切なくなるから敢えて読むことを避けた。
だから高校は、西高よりも難しい、東高校へ進学し、そこでも部活には属さなかった。高校時代にバブルがはじけて、四年制大学に進んで就職活動をする頃には「就職氷河期」に当たることも覚えていたので、高卒での就職を選んだ。周りからは反対された。「せっかく東高まで行ったのに」、と。でもわたしは譲らなかった。
一九九二年四月。郵政省に入るとすぐに、奈良の研修所で二週間の研修を受ける。生まれ変わる前のわたしの友だちには、研修所で同じクラスになった相手と結婚した子が何人も居た。だからわたしは、できるだけ実家の近くに住んでいて、生理的にいやでない男子を探した。そこで今の夫である木邨くんと出会えたことは、ラッキーだった。
その頃に大阪の小劇場で面白い舞台をしていることも覚えていたから、木邨くんを引き連れて、毎月最低一度は大阪へ出かけた。彼は、わたしがなぜ、はるばる電車で一時間以上もかけて小劇場へ行きたがるのかも、どうしてわたしがそんなものに関心を持ったのかも、尋ねて来たことはない。むしろ彼も舞台にのめり込み、わたしが興味を持たない公演のチラシを見つけ出しては、
「今度これ観に行こうよ」
と、誘ってくれたことさえあった。
そうして一九九五年、二十二歳で結婚。木邨くんはわたしの両親と同居することを了解してくれた。もちろん田中伸子よりも先だ。一九九七年には一人息子を出産した。
一九九九年八月、新しくなった香港の空港では、やっぱり初めての事故、中華航空機の横転事故が起きた。田中伸子は職場の同僚と、その事故の影響を受けることになった。その後田中伸子はその同僚男性と結婚をしたが、今になっても子どもはできていないから、「魂注入工場」で出会った自称神さまが、わたしとの約束を守ってくれているんだなと、正直驚いている。あんな人(?)、あんまり信じていなかったから。
わたしは高校生の頃、やはり母から化粧品を勧められた。しかし、どれもピリピリして合わない。生まれ変わる前は母にそう言っても、
「ちょっとぐらい辛抱しぃ。化粧品なんて最初は誰でもそんなもんや。ぜいたく言いな!」
と言われ、合わない化粧品を使わされ続けていた。しかし香港での体験も覚えていて、肌が汚いと何かとつけ込まれるということを認識していたから、スキンケアにも注意して来た。
二〇〇〇年。兵庫県ローカルのサンテレビで、ピカード艦長の『新スタートレック』が始まるのも覚えていたので、録画もし、結局全てのシリーズのDVD―BOXを揃えた。
夫の木邨くんも、『STAR TREK』のファンになった。息子にもずっとそれを見せていた。息子自身、同世代の男の子が好む流行りのアニメや戦隊ものへは関心を示さず、アメリカの未来の、宇宙船のドラマばかりを観たがった。
そんな息子はなぜか、剣道に関心を持った。小学生の頃から道場に通い、中学では剣道部に入り、ロクに勉強をしなかった。剣道の強い高校に進学し、おととしの春、大阪府警で働くようになった。当然そこでも剣道を続けている。たまに帰省しては、自分から率先して、『STAR TREK』を観ている。
一人息子が就職したのをきっかけに、わたしは気象予報士試験の勉強を始め、運良く合格したのだった。
全て、「覚えて」いたために、時代の悪い波をよけて生きることができた。賢く生きて来られた。不満はない……のだけれど……。
さびしさを……感じなくもない。欲張りだよな。これまで心に浮かび上がって来たそういう思いからも、目を背けて生きて来たと、今、わたしと同じ旧姓を持つ、あまり健やかな目を持たない人の隣にいて、気づく。
大学へも行かなかったから、眉村先生はもちろん、卒業後も一緒に舞台へ足を運んだ友人たちとも出会えなかった。いまだに羽曳野市なんて行ったこともないから、下宿の傍のビデオ屋のおじさんとも知り合えない。(ただ、やはりわたしは固く炊いたご飯のほうが好みである。飲食店やコンビニのご飯を口に入れては、母と好みの言い合いになる)
郵便局でよく面倒をみてくれた局長や先輩たち、お客さん、火の始末を何度も確認してくれた寮長さんとも、生まれ変わってしまったために接点はない。
生まれ変わったことで手に入れられなかった数々の記憶。そういうものへのいとおしさ……口惜しさを直視することも怖くて、これまで生まれ変わる前のことについて、考えるまいとしていたような気がする。
ちなみに。生まれる前の実の両親――ナオちゃんと山下さん――は、「わたし」を流産したことで夫婦仲が良くなり――つまりわたしは同い年のいとこを亡くしたことになっている――、離婚することもなく、山下さんは自殺もせず、今でも元気にしている。夫婦揃って社会保険事務所で働いている。わたしにとっては純粋に、「叔父さん」ということになる。わたしより二つ年下の従妹がいる。これもこの家族にとって、わたしが生まれ変わる前よりも、みんなにとって「いいこと」なのだろう。
しかし、だ。
あの「魂注入工場」で出会った自称神さまは、わたしの魂を「リセットする」と言った。「記憶を消去、初期化する」と。しかし、どうしてわたしが生まれ変わる前のことを記憶しているのか……一つもリセットされてはいない。リセットする部署のミスなのか、それ以外の何かなのか……。
それにきょう初めて出会った「ヨシダさん」。なぜ今なのか? それに意味があるのかただの偶然なのか……。
何もかも、わからない。神さまたちの、手のひらの中……。
十七
二〇二四年四月終わりの気象予報士会、兵庫部会。
一つめの話題提供が終わった。会議室に明かりが灯って、わたしは我に返る。トイレ休憩に入っていて、あちこちにおじさんたちが集まってはにこやかにしゃべっている。
「木邨さん」骨格のいい部会長が歩み寄って来る。「ちゃんと話聞いてたか? なんか上の空みたいに見えたで」
「ああすみません……」わたしはことばを濁し、隣の席に目を遣る。ヨシダさんは居ない。「あの、ヨシダさんて、何されてるかたなんですか?」
「初めの自己紹介聞いてなかったんかぁ、隣におったのに」
部会長は冷やかす。
「へへ」
わたしはごまかす。
「具体的に何してるとは言わはらへんかったなぁ。でも試験に受かってからはもう十五年以上経つって言うてたで。
この集まりは女性が少ないんやから。木邨さん! ヨシダさんが常連さんになるように……頼むで!!」
「……はい」
一応……うなずいておく。
部会長はほかの参加者のもとへ、気を回すために去って行く。
ヨシダさん。
わたしの旧姓と同じ苗字を持つ同世代の女性。水死体のように澱んだ顔をして、腐臭のような醜い空気を全身から放っている、生まれ変わる前のわたしの延長のような、生き恥を体現した生きもの……!
ヨシダさんが近づいて来る。相変わらず目を伏せている。わたしが見つめていることには気づいていないようだ。
やはり彼女は周囲と視線を合わせることができないようだ。だけどわたしはどうだ? まだ怖いのか? あれから恐らく二十五年。まだ、わたしには直視できないものなのか?
生まれ変わることで、得られて豊かになったものもあれば、生まれ変わる前のほうが豊かだった人間関係も築けていた。双方を、そろそろ受け入れることができる時期なのではないのか……。
「きょう、懇親会、行くんですか?」
席に着いたヨシダさんに話しかける。
「いえ……」
彼女はやはりわたしの目を見ず、くぐもった声で言う。
「良かったら連絡先、交換しませんか? この集まり女の人がほかにあんまり来ないんで……正直心細いんですよ」
本心ではないけれど、そうことばにして苦笑をすると、ヨシダさんのふやけたような目尻に、少ししわが寄る。その目もとは案外可愛い。
ヨシダさんは従来型携帯電話、ガラケーを取り出す。
わたしはスマートフォンをかばんから出して、ヨシダさんとメールアドレスを教え合う。そして、
「わたしの旧姓、ヨシダっていうんです」
わたしが微笑んで見せるとヨシダさんは、
「ああ!」
初めてまなざしが強くなった。
四百字詰め原稿用紙 七十四枚 了
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