廃墟の同窓会

CHARLIE(チャーリー)

廃墟の同窓会 四百字詰め原稿用紙 二十一枚

「お前んちの近所に心霊スポットがあるらしいじゃん」

 デブが言い出した。学生時代のあだ名どおり、コイツは太っている。今の高校でなら白眼視される呼び名かもしれない。デブは顔中から汗を噴き出させている。白いワイシャツが汗に透けて、中に着ている白いランニングシャツがくっきりと見えている。

 盆休みの居酒屋。四人掛けのテーブル席に、デブとオレとガリとが集まっている。三人とも、四年制大学を卒業し、社会人になってから二年が過ぎた。来年の春にはデブの結婚が決まっている。だから、高校時代に仲の良かったメンバーで集まれる、最後の機会になるかもしれないとのことで、今オレたちは、昔通っていた高校の近くの居酒屋で吞んでいる。オレは地元で就職したが、二人は地元を離れている。だからコイツらはこの先、帰省する頻度は減るだろう。

 オレだけは家が遠いので車で来ているが、デブとガリは徒歩だ。ムカつくくらいに速いペースで呑んでいる。デブももうだいぶ酒が回っている。

「おおそれな。オレも聞いたことあるぜ。そうかあ、フツオんちの近所だったんだなー」

 ガリも、あだ名のとおりガリガリに痩せている。体質もデブとは真逆のようで、既に生中を六杯は空けているのに、汗もかかず、顔色は普段どおりに蒼白い。

「ああでもそれ、噂だけだと思うぜ。行ったものの心霊体験したって話は聞いたことがないからなー」

 オレは枝豆ばかり喰っている。嗚呼オレもビール呑みてぇー!

「お前ビビってんの?」

 デブが冷やかす。

 煽っているつもりなのだろうが、オレは返事をしない。気を悪くしたわけではない。心霊スポット巡りなんて、二十代も半ばになり、ましてや結婚も決まっている男の発想とは思えない、あまりに幼稚である。悪趣味である。オレは呆れているのである。

「オレさあ」ガリが言う。「きょうデジカメ持って来てるんだよな。ヤロウ三人で記念写真ってのも気持ち悪りいけど、次にいつ集まれるかわかんねえからさ。でもオレらの集合写真撮るより、心霊スポットの動画撮るほうが面白くね?」

「お、いいじゃん」

 デブが乗る。

「フツオ。車出せよ」

 ガリが命令する。

「……」

 道中の車の中でも、後部座席に座る二人は酔っ払い特有の大声で騒ぐ。心霊ばなしからエロばなしまで。酒も入っていないオレは、相変わらず冷ややかな気持ちで車を走らせる。

 今向かっている心霊スポットと呼ばれている場所は、確かにオレの実家の近くに在る。元は焼肉屋だった。その看板だけは今でも残っている。十五年ほど前だったか、まだオレが小学生だったとき、その店に夜中、乗用車が突っ込んだ。なんでも偽名で借りたレンタカーだったらしい。そしてその店の店主が暴力団と関係していたらしく、内部抗争に巻き込まれたために店を潰されたと噂されている。その事故がどう処理されたかまでは知らないし、店主がその後どこへ行ったのかも知らない。ただ、店は乗用車が突っ込んだ痕を残したまま放置されていた。

 そしてその五、六年あと、オレが高校に通っていたとき。オレと中学が同じだったヤンキー連中が、既に廃墟になりつつあったその店へ、夜中に訪れた。ぼや騒ぎを起こした。

 それでもその店は今でもそこに残されている。車道に面した場所にあるその店は、外からパッと見た限りでは、焼け焦げた入口付近しか見えない。そのためか廃墟、心霊スポットと、どんどん悪い噂が広まっているようである。

 店に着いたのは二十三時。

「ヤッホー! これでやっとバチェラーパーティーっぽくなってきたなあ!」

 ガリは車から降りるなり、薄暗い廃墟にコンパクトデジタルカメラを向けてシャッターを押す。

「オレも写してくれよ」

 デブがピースサインをして店の前に立つ。品のない、社会人とは到底思えない、いかにもアホ丸出しの顔で笑っている。

 よくこんな男と結婚しようと思う女がいるもんだ。

 別に僻んでいるわけではない。ガリにしてもオレにしても付き合っている相手はいる。ただ、まだ結婚について真剣な話し合いをするには至っていないだけである。

 高校時代からよく三人でつるんではいたが、中でも一番成績が悪く明らかに人としても一番幼稚だったデブが、三人の中で一番先に結婚するとはな。ガリにそんなことを電話で話したとき、

「あと先考えねーから結婚なんて決意できんじゃね?」

 と言われ、オレは大いに納得したものだった。

「フツオ」デブがオレを振り返る。「入るぞ。お前やっぱこえーんじゃねーの?」

「フン」

 オレは鼻で嗤う。

 先頭のデブがスマホのライトで店内を照らす。弱い光が左から右へと動いて行く。その後ろを、撮影クルー気取りのガリが歩く。オレも店へ足を踏み入れる。

「え?」

 オレたちは三人同時に小さく驚く。本当に意外なものを目にしたとき、案外人間は大げさな反応はしないものなのかもしれない。

 そこに広がっているのはおよそ元飲食店だった場所とは思えない。廃墟にも見えない。まるで建てられたばかりの病院、入院患者を待つ病室。真っ白な壁に囲まれた四人部屋である。整然と四つのパイプベッドが並べられている。真っ白な寝具が整えられている。

 悪ノリしていたデブも、さすがに大きく音を立てて生唾を飲み込む。

「ここって元々は飲食店だったんだよな?」

 ガリも、

「客席とか厨房とかねーじゃん」

 素面に戻ったようである。オレもおかしいと思う。

「お前この店に喰いに来たことってねーのか?」

 デブが訊いて来る。

「ない」

 オレは短く答える。だから元がどのような状態だったのかがわからない、が。さすがにこうではなかったであろうということだけは想像がつく。

「オレ、眠くなって来た」

 デブが言うとガリまでも、

「オレも」

 と言い始める。

 オレはなんとなくではあるが、二人が酒のせいで眠気を催した訳ではないような気がする。ではなぜオレにだけ眠気が来ないのか? わからない。だからオレは言う。

「寝るなよ。おかしいと思わないか? お前らさっきまでギンギンに目を覚ましてたじゃないか」

「なんだよフツオ。やっぱおめー、こわいだけなんじゃねーのぉ……」

 デブは欠伸をしながら、入り口付近のベッドに横たわる。見るとガリもデブの足元のベッドへ、既に体を横たえている。

 オレは自分のスマホで奥のベッドを照らす。真っ白な敷布団に掛け布団、枕。その表面に触れてみる。ホコリ一つ付いていない。まるで、ついさっきベッドメイクされたかのようである。

「あそうだ」ガリが言い出す。「オレは寝るけどそのあいだにここで何か起きるかもしれねーから撮影しとこーぜ」

 かばんの中からコンデジを取り出し枕許に置き、録画モードで撮影を開始する。

 それっきり。

 二人はすぐに寝息を立て始めた。

 オレはとても眠る気になれない。部屋の中央にあぐらをかく。ガリの枕元のデジカメのランプが、小さくオレンジ色に灯っているのを見つめている。

 と。

「久しぶりだなあ」

 オレの会社の部長が右隣に座っている。数日前まで同じ職場に居たのにおかしいなと感じる。会社で見なれたスーツ姿ではなく、まるで休日にゴルフへでも行くような、ポロシャツに綿のパンツを履いている。

 気づくと辺りが明るい。天井を見上げる。蛍光灯が黄色っぽく灯っている。扇風機が首を振る。生ぬるい風がときどき頬に当たる。なんだか古めかしい。

「おお。まあ飲もうや」

 オレの会社の社長である! 普段より幾分若く見えるのは気のせいか? オレの左側に座っている。正確に言うと三人で輪になっている形である。真ん中はささくれ立った畳が見える。

 オレは戸惑い振り返る。背後にはパイプベッドで眠る二人の同級生が居る筈である。

 しかし。

 そこはコンクリートの壁になっている。灰色の壁! 四畳半ほどの小さな部屋にオレたち三人はいる。まるで、これはこれで同窓会のようである。このうちの誰かの部屋で久しぶりに顔を突き合わせている、という設定か? どうしてそこへオレが巻き込まれたのかはよくわからない。オレはデブたちの元へ戻れるのか? 背中をツーッと、冷たい汗の大きな雫が真っ直ぐに落ちて行くのを感じる。

 そんなオレの気持ちを知らず、部長と同じようにラフな恰好をした社長は、嬉しそうに笑いながら部長に瓶ビールを注いでいる。いつの間にか部長の手には居酒屋で出されるようなグラスがある。社長と部長が対等に会話しているのもおかしい。それに二人が同い年くらいに見えるのも、やはりおかしい。

 ふとオレは、今の自分がどんな恰好をしているのかが気になった。俯く。赤地に大きな黄色いハイビスカスが描かれたアロハシャツ。デニム生地の紺色の短パン。オレもデブを悪く言えない。いかにも軽薄な服装である。が。確かにオレはきょう、このコーディネイトを選んで居酒屋へ行った、この廃墟へも来た。しかし、ほかの二人にオレはどのように映っているのか……?

「お前も呑めや」

 社長に似た人が、いかにも懐かしそうに言いながら、瓶ビールを近づけて来る。いつの間にかオレの左手にも、部長に似た人が持っているのと同じグラスがある。社長に似た人はビールを注ぐ。

「お互い無事に帰って来られて良かったなあ」

 部長に似た人が言う。

「ああ。お前シベリアに連れて行かれてたそうだなあ」

 社長に似た人が言う。

「ああ、まあな。その話はちょっと……」

「そうだな。すまんな」

 社長は部長に遠慮をしていることがわかる。オレは、シベリア抑留を想起する。シベリアへ抑留された人の中には、現地でされたこと、させられたことを語りたがらない人がいると聞いたことがある。

 しかしこの二人は誰なんだ? 「今」はいつなんだ? オレの部長は就職氷河期世代、去年五十歳になった。社長はことしで還暦を迎えると言っていた筈である。ならば本物の二人が戦争へ行った訳はない。何が起きているのだろう? 今度は右のこめかみから耳へ向かって、大きな汗が滴るのを感じる。

「お前は?」

 部長に似た人が、社長に似た人へビールをつぎながら尋ねる。

「おれは南方だ。インパール」

「牟田口廉也か!」

 部長に似た人の声が一際大きくなる。

 牟田口廉也!

 社会人になってすぐ、新人研修のときにその人、いやソイツについての話をこれでもかと叩き込まれた。人の上に立つ人物としての反面教師の典型例だとされている。インパール作戦は無謀であっただけではなく、第二次世界大戦中で日本が取った作戦の中でも、最大の愚策と呼んでも過言ではない。日本の敗因の全てを詰め込んだような作戦であった、と。

 もしかしたら、とオレは思う。この人たちはオレの上司の姿を借りた別の誰かなのではないかと。だとしたらオレは……?

 オレの不安をよそに、社長に似た人はいかにも憎々しげに言う。

「おお……アイツ、おめおめと生き延びて……九死に一生を得る、っていうのはああいうことを言うんだろうな。まあお前にしてもおんなじか……いやすまん」

「お前は広島に疎開してたって聞いたけど……」

 部長に似た人はオレを見る。オレは戸惑う。

 広島? 疎開? それはひいじいさんのことだ。だけどじいさんの代から関東へ移り住んだから、オレは広島へは数回しか行ったことがなく、ひいじいさんのことも詳しくは知らない。ヘタなことを言ってオレが現代人だとバレたら、オレはこの二人から何をされるのか? 怖くて返事をできずにいると部長に似た人は、

「顔だけか?」

 と尋ねて来る。オレの脳裡には被爆者のケロイド状の皮膚が想起される。オレは自分の頬に触れてその傷痕を確認するのが怖い。

 そう言えば、ひいじいさんが広島で被爆したと聞かされた記憶があるようなないような……小学生の頃オヤジが語ってくれたのだ。だけどそのときのオレは、自分の身内に実際そんな悲惨な体験をした人が居たことを認めたくなくて……歴史上の大惨事が身近に潜んでいることを受け入れるのが怖くて、ちゃんとオヤジの話を聴くことから逃げていたのだと思い出した。

「子どもが四人死んだ。みんなまだ十歳前後でな……」

 オレの口が勝手に動く。やっぱりひいじいさんのことだ! ひいじいさんにはほかの一男一女が生き残った。そのうちの一人がオレのじいさんである。オレは動揺し、混乱する。

「それは……!」

 社長に似た人が言う。

「すまん。こんどお悔やみに行かせてもらう」

 部長に似た人が言う。社長に似た人もうなずく。

 社長に似た人が三人のグラスにビールを注ぐ。そして、

「献杯」

 三人がグラスを合わせる。カチンというはかない音がした。

 そこでオレは意識を失った……。


 ありきたりではあるが、雀の囀りで目が覚めた。乾いた泥が三センチくらい積もった上にオレは寝転がっている。慌てて立ち上がり背中やケツから泥を払う。

 そこは確かに飲食店の跡地らしい。テーブルセットにもやはり泥が積もっている。奥にはカウンターがあり厨房らしき設備も見える。

 デブとガリも泥の上で、まだ眠っている。ガリの顔の傍にはコンデジが置かれていて、まだオレンジ色の光が灯っている。

 オレの心はとても重い。

 シベリア抑留。インパール作戦、牟田口廉也。そして原爆……。

 あの会話は何だったのだろう。

 オレはまずガリを起こす。ゆさぶる。

 ぼんやり目を開けたガリに、録画を止めさせる。

「何が映ってるか確認してくれ」

 オレはまだ頭も働いていなさそうなガリに頼む。

 デブを起こす。

「ゲッ。なんじゃこれ! きったねー」

 デブは自分が泥の上に寝転がっていることに嫌悪感を催している。

 オレはガリを見る。ガリは服が汚れたことが気にならないくらい、驚きというか好奇心というか、少し恐怖の混じった目で、じっとデジカメの画面に見入っている。早送りで見ていることが、小さく漏れる音声からわかる。

「何が映ってる?」

 オレはガリに訊く。

「ひいじいちゃん……オレのひいじいちゃん……」

 ガリは泣いている。

「え? あのシベリアがえりの左足を引きずったひいじいちゃん? 百歳で死んだ……」

 デブは突然覚醒したようである。ガリとデブとは幼なじみであった。では部長に似た人がガリのひいじいちゃんであったということか!

 デブはガリの顔を伺う。ガリが小さくうなずくのを確認し、デブは動画を始めから再生する。オレもそれを覗き込む。

 映っている景色は、確かにオレが昨夜居た、蛍光灯の灯る四畳半の畳の部屋である。灰色の壁、羽根の動きの遅い扇風機。服装は三人ともポロシャツに綿パン。皆一様に五十歳前後に見える。

 オレがいない。そして、メンバーの顔が違う! 一人は左腕を白いガーゼで吊っている。その人がインパールへ行っていたとしゃべっている。社長に似た人か?

 そうして一人、左脚を曲げられず、畳に伸ばして座っている男性がいる。その人がガリのひいじいちゃん、シベリアがえりの男性である。部長に似た人か。

 そして最後、オレが座っていた位置に、右の頬が広くただれたオッサンが、あぐらをかきしゃべっている。

 デブが息を飲む。

 映像は、オレが意識を失った瞬間に消えた。そのあとは暗闇しか映ってはいなかった。心霊スポットで起きる典型的な現象である、すすり泣く女の声も、ぱたぱたと駆け回る子どもらしき軽い足音も、およそ怪奇現象らしきものは収録されてはいなかった。

「帰ろ」

 デブが言い出した。

「そうだな」

 泣き止んだガリが答え、オレはうなずく。

 オレたちは誰から言い出したわけでもないが、店を出るときに店内を振り返り、立ち止まり、目を閉じて手を合わせ、一礼した。

 オレは車を運転する。後部座席の二人はしばらく黙り込んでいた。やがてデブが、

「なあ。あのデータ、オレに送ってくれないか」

 とガリに頼んでいる。

「いいよ」

 ガリは声を潤ませている。

「婚約者にも見せたいんだ。それに実は……」デブは言い澱む。「オレのひいじいちゃん、インパールで死んだんだ。戦争に行く前の白黒の写真しか見たことねえけど、さっきのあのおじさん、たぶんオレのひいじいちゃんだと思うんだよ……」

「オレにもくれよ」

 オレはルームミラー越しにガリを見る。

「ああ。もしかしてお前も……?」

 ガリが訊く。

「ああ。それに」オレは少しことばを切る。車は信号待ち。ミラーに映る二人と視線を合わせる。「オレきのうの夜、あの二人としゃべったんだ。オレはあの中の被爆者だった。あれはオレのひいじいさんなんだ」

 二人の目と口が驚く。

 オレは目線を前に向ける。信号は青に変わる。アクセルを踏む。

 お盆の朝。まだ車は少ない。青い空に雲はない。開けた窓の外では蟬が鳴いている。

 原爆が落ちた日も、終戦の玉音放送が流れた朝も、八月の朝の景色は同じなのかもしれない。地球が温暖化しているとしてもこの国が在る限り、この星が在る限り、脈々と、八月の朝は繰り返されるのであろう。

 ガラにもなくそんなことを考えた。

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廃墟の同窓会 CHARLIE(チャーリー) @charlie1701

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