随想 東アジアにおける無差別大量殺人についての一仮説

CHARLIE(チャーリー)

随想 東アジアにおける無差別大量殺人についての一仮説 四百字詰め原稿用紙15枚

・敬称は省略します。

・著者は気象予報士の資格を持っています。

・この随想はタイトルにもあるとおり、著者による「一仮説」に過ぎないこと、重ねてご理解ください。

・二〇二五年三月現在での仮説であること、ご了承ください。


   ***


・一九三八年五月二十一日 津山事件(津山三十人殺し 岡山県)

・一九八九年六月四日 天安門事件(北京 中国北部)

・一九九七年五月二七日 神戸市の中学校正門前で、小学六年生男児の切断された頭部が発見される(いわゆる「酒鬼薔薇事件」 兵庫県)

・二〇〇〇年五月三日―四日 西鉄バスジャック事件(発生は佐賀県佐賀市)

・二〇〇一年六月八日 附属池田小学校事件(大阪府)

・二〇一四年五月二十一日 台北地下鉄通り魔事件

(・二〇一四年六月八日 秋葉原通り魔事件 著者注 わざと附属池田小学校事件と同じ日に決行したという説があるのでカッコとする さらに、東日本で発生した事件であるため、後述するインドモンスーンの影響が及ぶ範囲であるかの特定についても断言はしきれない)

・二〇一九年七月十八日 京都アニメーション放火殺人事件

 以上、Wikipedia「Category:無差別殺人事件」より抜粋


 以下、小倉義光著 財団法人東京大学出版会発行『一般気象学[第2版]』181ページより抜粋

 夏のアジア・モンスーンを特徴づけるものとしてチベット高原がある.平均高度が5,000mに近いので,インドの南西モンスーンは高原を越えられず,高原の南東部を迂回するようにして中国・東アジア方面に北上する.この気流は,高原の北を流れる相対的に冷たく乾いた偏西風と中国北部から日本付近で合流する.このためこの地域では水蒸気量と温位(著者注 気温とほぼ同意)の南北傾度(著者注 南北の量の差)が大きい前線が出現する.これが梅雨前線である.すなわちアジア・モンスーンの開始とともに,チベット高原の風下に梅雨前線が形成されると考えられている.ただし細かくいうと,約130°Eより東の梅雨前線は,北太平洋高気圧の北西の端をめぐる南西の気流とオホーツク海高気圧から南下する気流の間にあり,中国大陸上の梅雨前線とは少し性格が違う.


   ***


 冒頭に羅列したいわゆる無差別大量殺人事件の発生時期と発生場所について、インドモンスーンの影響を受けたのではないかという仮説を持っている。言ってみればそれがこの随想の結論である。科学的な調査報告や論文はない。精神科、心療内科の主治医からも否定されている。

 さらに、例えば二〇〇〇年五月三日―四日 西鉄バスジャック事件。「ネオ麦茶事件」とも呼ばれるこの事件の発生時期は、昔の人ならば、「木の芽どき」「木の芽だち」と言って一蹴するかもしれない。

 ともかく、近年ようやく注目されるようになってきた「季節病」の一つに、この時期特に西日本へやって来る「何か」についての研究が進むことを期待し、この随想を進める。

 かく言う著者自身が、この時期はっきりと、心身に良くない影響を受けることを自覚している、西日本在住の一人なのである。

 精神科、心療内科へも通院している。この時期の症状についてははっきりと統合失調症と診断され、ジプレキサという薬を処方されてもいたが、わたしにはジプレキサは合わないようで、服用しても効果が感じられないため、年中処方してもらっているエチゾラム(デパス)でごまかしている。


   ***


 わたしが春先の人々の変化に気づいたのは、二〇〇〇年ごろのことである。

 当時わたしは大阪府内の郵便局で働いていた。近くに税務署が在った。確定申告の時期である。税務署で待たされ、郵便局へ税を支払いに来る、また待たされる。だから三月になるとお客さんが、人が変わったように苛々するようになるのかなと、先輩たちとぼやくことがよくあった。それ以外にも三月、年度末。道路工事が増えたり花粉症が始まったり。そういう理由も考えられる。


 二〇〇一年三月末、わたしは一身上の都合で郵便局勤務を辞め、実家である兵庫県播磨南東部へ転居した。またしても一身上の都合で、働いたり働かなかったりする時期を繰り返しながら、今、二〇二五年に至っている。


   ***


 わたしは気象予報士の資格を持っている。だから万が一天気図を日々怠らずに解析していたなら、自分なりに梅雨明けを宣言することは可能かもしれない。

 しかし、梅雨が明けることが心身の感覚でわかる年がある。それは割と多い。それこそ体から「何か」が抜け出した、或いは自分の神経が「何か」から解き放たれたことを、はっきりと実感できるのである。

 例えば或る年。車の運転をした。走り始めてすぐ、左折するためにハンドルを回した。「何か」に支配されていた時期には例えば「十二」の力を使わなければハンドルを回せなかったので、その日も「十二」の力を使ってハンドルを回したら、ハンドルを左へ切り過ぎていた。「十」の力で心身を動かせるようになったのだと気づき、

「意識の晴れ上がり」

 つまり梅雨明けを実感したのである。ちなみにこのことばは宇宙の誕生後、「宇宙の晴れ上がり」を真似た造語である。知ったかぶってはいるが、事実そういう感覚になるのである。

 また別の年なぞ、「何か」に支配されているとは感じずに梅雨時期を過ごしていたにも関わらず、「意識の晴れ上がり」を感じ、その年も自覚のないままに、「何か」の影響を受けていたのだなと、梅雨が明けてから気づく程度で済むこともあった。


   ***


 二〇一八年は、「何か」が流入したタイミングをはっきりと自覚した年だった。さらに、「何か」の影響が特に顕著な年でもあった。

 三月十三日火曜日のことである。日中に外出をした。その日は十一日日曜日と同じ服装で出かけた。この日は急激に気温が上がった。帰宅時、「何か」の侵入を自覚したのであった。

 その日以降、脳に蜘蛛の巣が張ったような感覚がし、心がもやもやし、集中することが難しくなった。

 その傾向は日を追うごとに強くなって行く。症状は特に午後に顕著になる。陽が傾く夕方になると比較的ましになる。

 或る朝。

「この心のもやもやはもしかしたら気のせいなのかもしれない」

 と思い、安定剤の服用をやめてみた。しかし昼食をとるために台所へ行ったとき、身体に違和感を覚えた。

 骨と骨とをつなぐ関節。そこへまるでろ紙でも挟まれているかのような感覚がある。体を間接的に動かしているような気がする。自分で自分の手脚を、操り人形のように糸で動かしているかのようなもどかしさ。肉体的感覚だけでなく、ニューロンやシナプスや、神経の上で、「手脚を動かす」という脳からの指示に対して、明らかに「何か」が邪魔をしていることを実感した。

 一旦自室に戻り安定剤を服用し、三十分ほどしてから昼食をとった。

 日中の外出、買いもの。どの店へ行っても薄暗く感じられ、軽いめまいでもしているかのように、棚がゆれて見えた。足元もふらふらし、地面を踏んでいる足裏の感覚も殆どなかった。

 五月に入る頃になると起床時刻を遅らせた。これはそれまでにもこの時期よく取って来た措置である。一日の中で夜中が、この時期にしては最も頭の冴えている時間帯になる。そして午後には仮眠を取る日も増えた。


   ***


 梅雨時期の過ごしかたによって、梅雨が明けたあとの気力にも年による変化がある。

 梅雨時期を気力で乗り切った年は、梅雨が明けたあと、

「梅雨明けバテ」

 というものをする。これは長くて九月末まで続く。

 しかし梅雨時期を、「何か」のなすがままに任せて怠けて過ごした年は、大抵の場合、梅雨が明けると活動的になる。

 去年、二〇二四年は、梅雨時期に「何か」の影響を感じなかった代わりに「意識の晴れ上がり」も感じず、八月中旬になってから集中力がなくなった。珍しいケースであった。


   ***


「春になると痴漢が増える」

 わたしが高校生の頃はよく言われたものであるが、今でも言われているのであろうか?

 春に始まるわたしの心身の不調と、このことわざ、さらには春先から梅雨明けまでに起きる犯罪。

 あくまでも仮説ではあるが、全て原因はインドモンスーンが運んで来る「何か」の影響なのではないかと思うのである。

 わたしは幼い頃から心がもやもやすることが多かった。その季節までもを思い出すことはできない。しかしそんなとき、文章を書くと「自分」を取り戻すことができた。「自分」を把握することができた。そうして今、五十歳を過ぎても、ヘタクソな小説を書いている。

 が。もし自分に「文章を書く」という発散、或いは自己確認の手段がなかったとしたら、自他ともに多くの人々を殺していた自信は大いにある。これだけは仮説ではなく、声を大にして断言できる。

「季節病」というものが近年日本でも認識されてきたことは、非常に喜ばしいと感じている。

 冒頭でも書いたが、わたしは春先から梅雨明けまでの精神状態について、精神科、診療内科の主治医からは統合失調症と診断されている。

 としたら。

「季節性統合失調症」なる病気が存在するのではなかろうか? その症状を持つ人はわたしだけではないのではなかろうか? わたしとは別の季節だけに、なんらかの重篤な精神疾患が現れる人もいるのではなかろうか? ニューヨークでは冬場の日照時間が減少するためにうつ病を発症する人が多いと、かなり昔、何かの文献で読んだことがある。

 さらに仮説を重ねるならば。

 ある特定の時期のみ、なんらかの重篤な精神疾患を発症し、そのために従来とは異なる感覚が発生し、その影響によって凶悪犯罪を実行してしまった犯人がいる、かもしれない。

 その犯人が逮捕される。精神鑑定が行われることになる、が、その時期が季節性精神疾患の影響を脱した時期になってしまっていては、その人に精神疾患は認められず「責任能力あり」とされてしまう。

「精神疾患がある人物に刑罰を課すことはできない」

 ということについての議論があることも承知している。無罪にしろとは言わない。ついでに、「死刑」という刑罰の賛否についても、わたしはまだ明確な答えを持ってはいない。

 しかし、季節性統合失調症など、季節性精神疾患の影響も、犯罪研究の一環として有効にはなるのではないのかなと、最近YouTubeで犯罪解説の動画を見ながら考えるのである。

 さらに、そういう季節性精神疾患が思春期の若者に発症した場合、気力も体力もわたしのような中年よりも余っているわけで……惨劇につながる可能性があるのではないかとも考える。津山三十人殺しの犯人である都井睦雄も、或いは「何か」の影響に背中を押されて凶行に及んでしまった、被害者の一人だったのかもしれない、とさえ思う。

 これは多くの犯罪についても感じることである。

「その程度の揉めごとなら、この犯人がもうちょっと大きくなってから巻き込まれたのだったら、おとなの小ずるい知恵でなんとか割り切ることができて、ここまでの大事件へは発展しなかったかもしれない」

 そう感じることもある。


 ともかく今、二〇二五年三月。ことしの暖候期を無事にやり過ごせるのだろうかと……毎年この時期になると不安になる。だから「自分」が「何か」に乗っ取られてしまう前に、どうしてもこの随想を公表したかった。


追記

『一般気象学』を書かれた小倉義光先生は、二〇二二年に亡くなられた。百歳のお誕生日の直後だったようだ。『一般気象学』。わたしが気象予報士試験を受けるときに読んだが、とても難しかった。あの頃は「予報士試験のバイブル」と呼ばれていたのだけれど、今はどうなのだろう?

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