3 新婚旅行
もう一度話をしたい、と俺が何度もメッセージを入れると渋々サヤカは返事をくれた。
『もう会いたくないから、話したくもないんだけど』
それはあまりにも不誠実だ、とメッセージを入れるとその日の夜に電話には応じてくれることになった。通話が繋がった瞬間、挨拶もそこそこに俺は本題を切り出した。
「この前、ホテルのラウンジで男と会ってただろ。そいつは誰だ」
「誰って、新しくマッチングした人だよ?」
「2週間かそこらで婚約指輪をもらうのか?」
「あれはね、アマゾンで1500円で買った奴よ」
「普段からお前、そんな安っぽい指輪をつける趣味あったか?」
その問いにサヤカは答えなかった。
「で、そいつは誰なんだ」
「知り合いよ」
「どんな関係だ?」
俺がまくし立てると、電話の向こうでガサゴソ音がした。
「こんにちは、
急に男の声になった。こいつが間男か。
「話を聞けば、彼女は別れ話をしたというのに。執着するのはストーカーと見なしてこっちは警察に通報してもいいんだぞ」
「ふざけるな! それなら受け取った婚約指輪を返せ!」
すると間男はびっくりした様子で、電話の向こうで彼女と何かごそごそ話し出した。
「彼女はそんなもの知らないと言っている。何かの間違いじゃないのか?」
「間違いなものか! 指輪代の領収書もこっちにはあるんだぞ!」
また電話の向こうでごそごそと話をするのが聞こえた。
「失礼ですが、いつから彼女とは?」
「3ヶ月前からです」
「連絡がとれなくなったのは?」
「2週間前ですが」
それからしばらくごそごそがあって、電話の向こうでサヤカの悲鳴が聞こえた。
「……もしよかったら、直接会って話しませんか。指輪もお返しします。こちらの番号に連絡すればよろしいでしょうか?」
何だかややこしいことになってきた。俺は指輪さえ返してもらえばよかったのに。
***
数日後、向こうが指定したファミレスに行くとスーツを着た男がいた。確かにこいつはサヤカとホテルで会っていた男だ。サヤカの姿はなかった。
「先日は失礼しました、こちらが約束のものです」
軽い挨拶が終わると、俺の前にあの指輪のケースが置かれた。中身を確認すると、あの婚約指輪が入っていた。
「単刀直入に申し上げますと、彼女は私の婚約者でした」
うん、何となくそんな気はした。
「そして、私との交際中にあなたを入れて5人の男性と関係を持っていたことを白状しました」
……それは知らなかったな。
「結果として、私との結婚式が近づいてきたことで他の4人とはフェードアウトできたそうなのですが、あなただけ指輪を渡してきて本気らしくて怖かったから連絡を絶ったけれども追いかけてきて怖かった、そうです」
俺も怒りだか悲しみだかわからない感情が渦巻いているのだけど、それ以上に相手方の失望を思うと俺はやるせない。傷ついているのは俺なのに、相手はきっともっと傷ついているのだろうと思うと掛ける言葉が見つからなかった。
「……彼女は今、どうしていますか」
「実家に送り返しました。彼女の両親も真っ青でもうパニックですよ。式場のキャンセル料金に招待客への披露宴中止の連絡、新居の購入の見送り、新婚旅行のキャンセル料金、やることはたくさんありますけどね」
俺がちょっと調べただけで面倒くさいことだと思った結婚を、この人はきちんとしようとした。それを全部ぶち壊しにしたのはあの女だ。俺はこの場でこの人が泣いても全然構わないと思った。むしろ、平気そうな顔をしないで泣いてほしかった。
「あの、気になっていたんですけど、どうしてあの日電話をとったんですか?」
「こちら側は『前に付き合っていた男が最近復縁しようとうるさい』としか聞いていなくてね。まさか他に何人も同時進行しているとは思わなかった。それに関しては私の至らなかった点でもあります。申し訳ありませんでした」
そう言って男は深々と頭を下げる。俺が不貞を働いた側のはずなのに、これではあべこべではないか。
「いえ、こちらこそもう少し深い話をしてから婚約を切り出すべきでした」
俺は個人的な慰謝料と手切れ金、あと男への今後のエールも含めて、今日のコーヒー代にと1万円札を渡した。男は何も言わずに受け取った。
一通り話が終わったので席を立つ際、俺は気になったことを尋ねた。
「ところで、新婚旅行はどちらに行く予定だったんですか?」
「ニューカレドニア、ですけど」
一体彼女は俺と結婚の話をして、何がしたかったのだろう。今思えば、彼女は世間話のつもりで結婚情報誌を持ってきたのかもしれない。そうでないと、同時に6人の男と一緒に寝たりはしないだろう。
「なるほど、天国に一番近い島ですね」
「今や地獄への片道切符ですよ」
男は苦笑した。今となっては全てがうわごとに聞こえて仕方がない。あの会話をしていたとき、俺はどうかしていたんだ。後先考えず突っ走ると、ろくなことにならない。俺は彼女との話を母親にする前でよかったと心から思った。
〈了〉
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます