今さら聞けないトンチキ教養~「憧れ」と「焦がれ」~

脳幹 まこと

奥深い漢字の世界


 あこがれ:理想とする物事や人物に強く心惹かれること。

 がれ:(もっぱら「焦がれる」の形で)一途に恋い慕う。思いを寄せる。また、そうなりたいと強く望むこと。


 憧れと焦がれは非常に近い感覚を持っていると、人は無意識的に思っている。

「あこがれ」と「こがれ」の掛詞かけことばが多くの作品に見受けられることからも分かるだろう。


 しかし、この事象は言葉の由来を考えれば当たり前のことであり、今回はその話をしたいと思う。



 憧は「心」を表す忄(りっしんべん)にわらべと書く。そのまま「子供の心」という意味だ。これはイメージしやすい。ヒーローを夢想する未来多き子供の姿である。私も通ったはずだが不思議と記憶にない。


 対して焦は、ふるとりに灬(れっか)と書く。隹とは尾の短いトリのことをさす。れっかとは「列火」の通り、火――それも激しいものを示している。

 漢字のパーツには意味がある。焦がれるという漢字の部位に、隹が登場したのには理由がある。実際、その尾の短いトリは焦がれていたのだ。

 何に焦がれたか? それは、尾の長い魅力的なトリの降臨にである。

 尾の長さは生命力の強さの象徴となる。生殖のためにより強いモノと交わることがトリに限らず大半の生物の核心だ。魅力に欠ける隹は、そもそも生物的に不利を背負う個体であり、それは自分の血筋が途絶える危機に直結する。生存本能が燃え上がらないはずはない。

 尾の長いトリと交わることさえ出来れば、隹の状態から抜け出せる。そう思い、じっと待ち続けている。この状況を「焦がれ」と呼ばずして何と呼ぶのか。


 自己の欠如と、それを超えようとする動物的本能。人であるか、トリであるかの差異はあれど、それらが指すものは切ないほど近しいものだった。二つの漢字が同じ「ショウ」という音を持っている点がその名残なごりとなる。

 そして我々の感性は、誕生より遠く離れた今であっても、時代を超えてこれら二つの感情を繋ぎあわせているのだ。


 さて、ここまで類似点を挙げてきたが、更に憧の歴史を辿ってみよう。


 元々「憧」という漢字には「ショウ」という音読みはあっても、「あこが-れ」という訓読みはなかった。語源では「あくがる」(場から離れる)という言葉が江戸時代前期に「あこが-れる」に変化したとされている。

 ただし、この変化は元々「あこ-がれる」だった。もうお分かりだろう。「あがれる」から来ているのだ。では、この「あ」とは一体何か。

 様々な説はあるが、ここでは代表して「接頭付与による強調」説を紹介しよう。


「あ(a)」という音が最も原始的な母音であることを否定する者はいないだろう。驚愕・悲嘆を意味する「嗚呼ああ」を筆頭に、咄嗟とっさに出る叫び声を想像したら十中八九「ア」行が出てくるだろう。「ママ」「パパ」など、幼児が覚える単語もまずは「ア」行のものが多い。

 少し考えれば自然な話であり、口や舌が発達中の幼児にとって、一番簡単に発音できる言葉が「ア」行だからだ。


 根源プリミティブに近くなるほど、言葉はシンプルなものとなる。

「死」が「シ」(他言語でも「デス(英語)」「モリ(ラテン語)」)という単純な読みになるのと同じ原理である。

 ここで「ア」は最もシンプルな形であり、英語でもa(ア)は非常に基礎的な要素「ある」を示す表現として登場する。


 日本では「ア」の一音は何に用いられていたか。「わたし」を示す一人称「」だ。

 これから転じて「あ」が接頭につくことで「私は・・~」という意味が付与され、より意味合いが強調される。

 憧れは「我焦あこがれ」であり、「私は焦がれている」となるのだ。これに子供の心を意味する「憧」の字をてた人物は、精神の構造を熟知していたのだろう。



 ここで、最後に残った疑問がある。

 本来「憧(あこ=我焦)がれる」であったのが、どこで「憧(あこが)れる」になったのか。


 しかし、幸いなるかな、この問いはそこまで難しいものではない。


 答えは「憧」という漢字が子供の心を示すものであるという事実を踏まえると、おのずと見えてくるだろう。

 そう。子供というのは「競」「驚」といった画数の多い漢字や、政(まつりごと)などの長い訓読みがとにかく好きで、自分もこのようになりたいと憧れるものである。

 長めの訓読みは、未熟な子供の成長意欲によるものだったのだ。

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