アゲイン~始まりの晩餐~

Akira Clementi

第1話

 美味そうに酒を飲む人だな、というのが最初の感想だった。


 人生最後の食事は美味いものをと入ったダイニングバーのカウンター。ぽつんと座った僕の二つ隣の席にいた彼女を見て、あまりにも美味そうにビールジョッキを傾けているものだからつい見入ってしまった。

 仕事帰りだろう。ベージュのパンツスーツ姿の彼女は長い茶髪を無造作にひとつ結びにして、一気にビールをあおり「ぷはあっ!」と声を上げた。ビールの炭酸が喉を駆け抜ける感覚が伝わってくるような、爽快な笑顔が眩しい。


 ひとりなのにえらく美味そうに飲む人がいるんだと驚いてしまった。


 僕の視線に気づいた彼女が、相変わらずの楽しそうな表情で口を開く。


「聞いてくださいよお兄さん! 私、今日仕事辞めてきたんです!」

「へえ」

「辞表叩きつけて言いたかったこと全部言ってきてやりました! はーすっきりした!」


 よほど愉快なのか、彼女が軽やかに笑う。


「お兄さんはどんな一日でしたか?」

「僕は……」


 答えようとしたけれど、言葉が続かない。


 いつもなはなんにもできなくて横になっているばかりだったけれど、今日は頑張ったんだ。

ATMでたくさんお金を下ろして、何年ぶりかにおしゃれな服を買って、それを着て美容室で髪を切ってもらった。店員さんに止められたらいやだなと思ったから、七輪と練炭は別々の店で買ったんだ。

 カップ麺とか食パンだけなんて食事が常だったけれど、最後くらい美味いものを食べてみようかとこの店に来たんだよ。


 よく分からない名前だけどピリ辛で美味いパスタ。

 店員さんにお任せで作ってもらった、オレンジの風味が爽やかなカクテル。


 そんな光景に現れたきみがただの勤め人だったら、こんな気持ちにならなかったんだと思う。


 きみが仕事を辞めてきた人だから。

 それなのにそんなにも楽しそうに笑うから。


「僕、はっ」

「えっ、ちょっとお兄さん! どうしたの、お腹痛いの?」


 もしかしたら僕ももう一度立ち上がれるんじゃないかって、そんな期待が芽吹いてしまったんだ。

 いい年してこんな場所でぼろぼろ泣く僕を、きみが慰めてくれた。



 この夜を、僕は結婚記念日のたびに思い出す。


 僕に手を差し伸べてくれたきみの優しさは、今でも僕の憧れだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アゲイン~始まりの晩餐~ Akira Clementi @daybreak0224

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ