わたしのアイドル

カッコー

第1話

僕の父はもういない。10年以上前に亡くなった。母も昨年この世を去った。

僕は今、妻と長男長女の4人暮らしでサラリーマンだ。長男は来年大学を卒業する予定で、長女は来年大学に進むだろう。

僕は会社である程度の地位についているし、不足のない給料を貰って、暮らしも不自由さは感じずにいられている。

妻ともとてもいい触れ合いが持てていて、子供たちとも、潤渇にいっている。たぶん、世間から見れば、理想的と言うことになるのだろう。

僕は幾つかの趣味を持っている。磯釣り、苔の栽培、読書と小説を書くことだ。妻も絵を描き、ピアノを弾き、アムロを聴く。僕たちは僕たち二人の時間も阿吽の呼吸で感じあって大切に取っている。子供たちはと言うと、やはり勉強の時間を大切にして、それぞれにサークルやクラブ活動に勤しんできたのを僕は知っている。二人とも東京大学とまではいかないけれど、それなりの国立に進んだし、間違いなく進むだろう。

そんなある日、家族皆んなが集まれる時間があったのでお墓参りに行った。

秋が深まった風の強い日だった。空は見るからに高く晴れて、白い雲は矢のように早く飛び去っていた。僕はふと、まだ両親も若く、僕たち三人が笑い合っていた日々のことを思い出していた。その日々は僕たちの暮らしは決して楽では無かったはずだった。子どもながらに僕はそれを感じていた。僕が大学に進むことができたのも、おそらく父と母の深い愛があったらからだろう。そのことをはっきり感じとったのは、僕に子供が出来た時だった。僕だってそれは薄々気づいてはいたのだけれど。

僕たちはお墓の前で線香の束に火をつけようとしていた。それぞれに少しずつ持って火をつけようとしたのだけれど、風が邪魔をして上手くつけられなかったから、纒めてつけてしまおうと思ったのだ。背広を広げ、風を避けてようやく火がついた。僕はそれをまとめたまま香炉の網の上においた。皆横一列に並び手を合わせた。僕が手を下ろそうと目を開けると、まだ皆んなは手を合わせたままでいた。ふと香炉に目を移すと、線香の束が燃え上がっていた。その火は香炉のなかを渦を描くように燃え広がり香炉の外に燃え上がった。まるで香炉が燃えているようだった。僕はその火柱に目を奪われていた。僕はその火を消すこともできず、目を瞑ることもできず、その場から逃げることもできないでいた。どんどんと火は大きくなっていく。熱く熱く、劫劫と火は僕に迫り、僕をのみこんでいった。その時、その劫火の中に父の姿が見えた。僕は必死で火を払い父に近づいた。父はテレビの前で声を出して泣いていたのだ。わあわあと、子供のように、鼻水を垂らしながら泣きじゃくっていた。そう言えば僕は子どものころから時々そんな熱い父の姿をみてきたように思う。そのスポーツ選手の一挙手一投足に目を注ぎ続け、時に喜怒哀楽をみせていたのだ。父が唯一そんな姿を見せた瞬間だった。今、この時僕は初めてその父の姿に涙が溢れてきた。

その時テレビからその選手の声が聞こえてきた。

「今ここに私は引退しますが、我が巨人軍は永久に不滅です」と。

父の泣きじゃくる声が劫火を超えて、深いこの秋の高い空へ昇るのを僕は見続けていた。

お父さんと言う声に、僕はハッとした。いつまでそうしてるのと妻が言った。気がつくと子どもたちはもう歩き出していた。僕は妻と手をつないで、子どもたちの後を追った。

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