第7話 大団円
連続殺人ということにおいては、清水刑事は疑問を持っていた。
その理由として、まず、
「犯罪のパターンが違っている」
ということであった。
「鈴木刑事は、刺殺であり、牧田刑事は絞殺だった」
ということ、そして、
「鈴木刑事の死体は隠そうとしているからなのか、山城址に放置しておいたのだが、実際には、見つかるようにしておいたり、死体を動かしたことがわざと分かるようにという、わざとではないかと思うような細工が、不細工な形で施されているにも関わらず、牧田刑事は、まったく何の細工もしていない」
だからこそ、
「死体発見と死亡時期に差異がある」
ということになったのだろう。
それを分かれば、
「そこには何かの理由がある」
と思って、アリバイなどに関して、意識が行ってしまうということになるだろう。
さらに、この事件においては、
「連続殺人とするには、二人を殺したいほど憎んでいる」
という人が見当たらないのである。
つまり、
「二人を殺さなければいけない」
という動機を持った人が見当たらないのだ。
そうなると、考え方を変える必要がある。
その一つとしては、
「犯人が一人ではない」
という考え方で、それは、
「共犯がいる」
ということとは、別の意味での、
「犯人複数説」
である。
そこで、二つ、事件に関して考えられることがあったのだが、一つは、
「まず、牧田刑事が、鈴木刑事を殺害する」
という考え方であった。
そして、
「牧田刑事を殺した犯人が別にいる」
ということであるが、それを知られたくないということから、
「真犯人が、牧田刑事を利用した」
と言ってもいいのかも知れない。
つまり、
「この事件は、牧田刑事と、鈴木刑事の二人が、実際には関係があるにも関わらず、関係があるというkとを知られると、終わりだ」
ということである。
逆にいえば、
「知られなければ完全犯罪になる」
という考え方であった。
真犯人の、本当の目的が、
「牧田刑事の殺害」
なのか、
「鈴木刑事の殺害」
なのかということで変わってくる。
実際に、
「鈴木殺害が本来の目的である」
ということであれば、
「殺害目的を他の人間にやらせる」
ということで、余計に事件がややこしくなって、事件の真相にたどり着かない。
そして、この鈴木殺害というものの実行犯が、
「二十年前に起こった事件の犯人とされた、いや、表向きには、犯人として出頭させられた西田」
であるということであれば、これは、完全犯罪と言ってもいい。
西田は、かつての、
「和田という男が殺された時の、犯人の身代わりになった」
ということで、この、
「カラクリ」
などに関しては、
「それなりにノウハウというものを持っている」
ということであった。
だから、
「今回の殺人にも、その頭脳の片腕として、真犯人の計画に組み込まれたのであろう」
そして、この二十年の間に隠しとおせるというはずのものを、鈴木刑事に見抜かれることになったのかも知れない。
真犯人が、二十年前にどのようなかかわりを持っていたのかということは、まだ犯人が捕まっていないのでハッキリとはしないが、鈴木刑事に、何か、
「決定的な証拠」
のようなものを握られて、
「生かしてはおけない」
ということになったのかも知れない。
ここで、二十年前の犯人が、
「偽の犯人を出頭させた」
ということには、大きな意味があった。
というのは、
「日本という国は、一つの犯罪に対して、裁判となり、一度刑が確定してしまうと、それ以上の審理はできない」
という法律がある。
つまり、
「もし、刑に服した後で、犯人が見つかっても、裁かれることはない」
ということで、
「一事不再理」
という。
「これこそ、完全犯罪なのだ」
ということになるのであろう。
しかし、それも、
「もし、共犯がいて、
「それが後で起訴されることはあるのか?」
ということがハッキリと分かっていなかったので、二十年前の犯人が、
「共犯」
ということで起訴されるかも知れないと怯えたことから始まった計画だった。
だから、
「二十年前の事件の後始末」
ということで考えられたのが、
「その時にかかわった連中を消す」
という妄想に憑りつかれていたのかも知れない。
そんな時、鈴木刑事が、真犯人の計画に気づいたとして、本当は、自分なりに諭すつもりだったのだろうが、それが実際にはできなかったことで、殺されてしまったのだろう。
そして、その共犯として利用したのが牧田刑事だった。
しかし、これは、因果応報というもので、
「共犯を使うということは、元々二十年前に共犯というものを使ったために、今こうして苦しんでいる」
ということが分かっていないのだろう。
真犯人は、頭もよく、
「冷静になれば、素晴らしい推理力を発揮する」
と言っても過言ではない人であるにも関わらず、
「また同じ過ちを犯そうというのか?」
といえる。
それこそ、
「因果応報だ」
という意味がそこからくるということの証明だと言ってもいいだろう。
「今度の事件の真犯人は、まるで、月のようなものだ」
と考えられる。
犯人は、自分が
「一番絶対に安全な場所にいて、誰にも疑われない場所にいるにも関わらず、策を弄しようとする」
ということで、
「念には念を入れて」
と思っているのだろうが、そんなことをする必要などないはずなのに、それをしてしまったことで、
「因果応報というのは、疑心暗鬼が作り出した妄想だ」
ということだ。
「この二つの事件が連続殺人だ」
ということに、
「疑問を持っている」
とわざと捜査員に思い込ませ、その考えが、結局は、
「その人間を隠れ蓑に、隠す」
ということになり、それが、
「念には念を入れた」
ということになるのだろうが、結局は。
「共犯と疑われることで、一事不再理というものを覆されてしまえば、元も子もない」
ということになってしまうことを恐れたのであった。
ここまでいうと、
「真犯人は、清水刑事」
ということになるのだ。
二十年前の事件も、考えてみれば、結局最後は曖昧になり、
「額面通りの解決」
ということにしかならなかっただろう。
そこで、結局は、
「鈴木刑事も辞めてしまう」
ということになったが、それは、清水刑事にとっては、計算外ではあったが、
「自分としてはありがたい方向に向かってくれた」
ということであった。
しかし、まさか、二十年経って、一周回ってきたと言えばいいのか、その鈴木刑事が、
「因果応報の原因になる」
とは思ってもいなかったのだ。
清水刑事は、これを、
「完全犯罪だ」
と思っていた。
清水刑事が考えている完全犯罪というのは、
「もろ刃の剣」
であり、それが、
「小説やドラマではありえるが、実際にはありえない」
という、
「交換殺人」
という理論ではないかと思うのだった。
だから、今回の清水刑事の計画として、結果として、
「交換殺人」
というものを自らで作り上げようとして、無理があった。
ということで、因果応報に向かったということになるのだろう。
「共犯というものは、完全犯罪には不可欠なものなのかも知れないが、それが、結局は、すべてにおいて、一周回ることで、因果応報へと結びつくということになる」
ということなのであろう。
そして、事件は急転直下で解決し、世間からは、
「ずさんで最低の犯罪」
と言われるようになったのだった。
( 完 )
「共犯の因果応報」と「一周回った完全犯罪」 森本 晃次 @kakku
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