第4話 通り一遍の捜査
警察の今のところの捜査は、それまで、まだほとんど時間も経っていないということで、文字通りの、
「通り一遍の捜査」
というものだった。
その内容としては、
「まずは、被害者のその日の足取りからであったが、被害者の和田という男は、その日の午後から、有給休暇というものを取って、病院に行ったということだった。
その日は、朝から風邪気味だということで早退をしたのだが、それが、
「半休」
という形になったのだ。
実際に、午後は病院に行って、解熱剤を注射してもらったことで、そのまま帰るつもりだったという。
そこまでは、すぐに足取りとしては分かったのだが、そこから先が、すぐには分からなかったのだ。
というのは、
「やつが、夕方には、飲み屋で飲んでいた」
ということは、その後の足取りを誰かが見ていたり、一緒に行動をしている人がいればのことであった。
しかし、実際には、病院を出てから、飲み屋に行くまでの3時間近くというもの、やつが、
「どこにいて、誰と何をしていたのか?」
ということが分からなかった。
今でもそれが分かっているわけではなかった。
どうしてそれが分かったのかというと、
「被害者には、恋人がいて、本当であれば、仕事が定時で終わり、その後、彼女と待ち合わせて、一緒に食事に行くはずだった」
ということを、会社の人間は知っていたというのだ。
被害者の和田という男は、
「ウソがつけない」
というタイプの男だった。
というのは、
「正直者」
ということよりも、
「ウソをつくことで、違った印象をまわりに見られたくない」
ということであり、
「印象操作をしたくない」
というところがあって、いい意味で言えば、正直者と言ってもいいのだろうが、それよりも、
「勝手な想像を自分に持たれたくない」
ということからであった。
彼は、
「人を利用する」
ということに掛けては、その実力には定評があるのだった。
だから、
「人を利用するには、自分を正直者だとまわりに思い込ませる必要がある」
と考えていて、だからこそ、正直者だということを信じ込ませる必要がある。
それは、
「いい意味での正直者だ」
というのは当たり前だが、
「都合の悪いことでも、正直だ」
と思わせないと、うわべだけのことだと思わせて、信用してもらえなくなると考えていたのだ。
それを思えば、
「人から、中途半端に嫌われないようにしたい」
ということと、次元が違っているといえるであろう。
「嫌われないようにする」
ということと、
「正直者ということで信頼してもらえる」
ということは、
「似て非なるもの」
ということであり、
「まったく違うものだ」
と自覚することで、まわりには、今度は自分から、
「情報操作をする」
ということにならなければいけないということであろう。
だから、
「特に彼女に対しては、ウソはつかない」
と思っていた。
実際に、その日、彼は、
「飲みに行かなければいけなくなった」
ということであり、本来なら、一緒にいった人からも、
「誰にも言わないでくれ」
と言われたのだが、さすがに彼女に対してだけは、ウソがつけなかった。
ただ。
「相手が誰か」
ということだけは、かたくなに言わなかった。
「相手は男の人で、仕事関係の人だ」
とは言ったが、彼女がそれを信じたかどうか分からない。
しかし、彼には、彼女が、
「信じる信じない」
というのは関係ないことであった。
「ただ、自分が考えていることが間違いない」
ということであれば、それでよかった。
正直なのは、
「中途半端ではない」
ということであり、それが自分のモットーだということで、彼女にも、
「ただ、伝えた」
ということであった。
もし、
「これで彼女が、俺のことを嫌ったとしても、彼女は、それだけの相手なんだ」
と思って、
「彼女を諦める」
というくらいのことは、別に構わないとまで考えていたのであった。
だから、
「その日、俺は誰かと一緒に飲みに行った」
ということは、彼女の耳には入っていた。
ただ、それが誰なのかということは分からないというのは、犯人側にとっては、
「別に大きな問題」
ということではないはずだ。
しかし、犯人側の計算外として、
「あの男が、彼女に、一緒に飲みにいくということを告げたということで、自分たちの計算外のことをしているのではないか?」
という疑心暗鬼に陥ったことであった。
実際には。その日だけのことであれば、そうもなかっただろう。
しかし、犯人グループは、どうやら、前から、被害者を葬ろうと計画を立てていて、その計画が、
「思っているのと、少し違った方向に行っている」
ということで警察とすれば、
「何か、警察にスパイを送り込む」
という必要があったのだ。
実際には、席巻の時に、担当弁護士と話をすることになるのだが、その弁護士が、
「組織に関係のある弁護士」
ということで、その時に情報を得ていた。
西田が、その弁護士と関係があるということを隠しさえすれば、何とかなるというわけで、表向きには、
「組織とはほとんど関係のない」
という弁護士を雇うことで、弁護士というものが、
「依頼人の利益を守る」
ということであり、それに徹している弁護士を見つけてくることで、その作戦は、半分はうまくいくというものであった。
実際に、警察の情報はほとんど得られなかったことで、組織と出頭してきた西田には、計算外だったと見えるが、実は他にも考えていることがあり、
「半分」
というのは、そのことだったのだ。
「事件は、思ったよりも簡単に解決した」
と思っていたが、結局は、曖昧な状態のまま、警察の力も及ばないまま、グレーな状態で、月日だけが過ぎていき、何も解決しないまま、西田は、弁護士の力というものと、
「出頭してきた」
ということから、裁判では、被告の優位に進んだ。
何といっても、弁護士の言い分をひっくり返すだけの力も何もなかったのである。
そんな世の中において、
「何が正しい」
というのか、それを考えると、警察というものに力がないということがハッキリとしたことで、鈴木刑事は、それから少しして、退職することになったのだ。
清水刑事としては、
「辞めることはない」
と言って話をしてくれたが、警察すべてに嫌気がさしたので、それまで尊敬していたはずの清水刑事にまで、疑惑の目が向いてしまったのだ。
「俺が警察なんかにいてもしょうがないし、警察を信じた俺がバカだったんだ」
と鈴木刑事は思ったのだ。
鈴木刑事の父親も、実は警察官だったのだ。
昔から、交番勤務をずっと続けてきて、45歳のなるまで、ずっと交番勤務をしていた。
しかし、そんな時、警ら中に、たまたま銀行強盗が発生したことで、夜間警報が鳴ったことで駆けつけると、そこには、犯人たちが、待ち構えていた。
彼らは、警察が来ることを予知はしていただろうが、
「現金を盗む」
ということに必死になっていたことで、制服警官である父親が早く来るということを失念していたようで、父親が、
「動くな」
と言って飛び出したところで、意表を突かれ、ビックリしてしまい、持っていた拳銃で父親を射殺したのだった。
本当は、
「誰かが来るまで、待っていなければいけなかったはずだ」
ということであるが、正義感の強い父親は、拳銃に臆することなく、相手の前に立ちふさがった。
相手も、
「まさか警官が勇敢にも、いきなり飛び出してくるなんて思ってもみなかった」
と考えたことで、とっさに反撃したのだろうから、
「お互いに、とっさのことでどうしようもなかった」
ということであった。
その時、まだ中学生だった鈴木少年は、
「自分のことを、怖がりだ」
と思っていた。
実際に、その頃までは怖がりで、小学生の頃までは、いじめられっ子だったのだが、逆らうこともできないほどだったのだ。
それを、自分では、
「平和主義者だ」
と思っていた。
実際には、怖がりだということを言わないようにしていたといってもいいだろう。だが、そんな子供でも、中学生になると、
「俺は怖がりなんだ」
ということが分かってきた。
子供の頃いじめられっ子だったのは、
「虐められるだけの理由がそれなりにあった」
ということを中学に入ると自覚したのだ。
というのも、小学生の低学年の頃は、勉強が苦手だった。
その理由として、
「低学年の時の、勉強の基礎というものがまったく分かっていなかった」
ということであったが、
それは、
「理解できないと、納得できない」
ということで、
「勉強の基礎の基礎というものが、最初から納得できるというものではない」
ということが分からなかったことで、納得がいかないことで、先に進むことができなくなり、そこで自分が劣等生であるということを感じてしまい、別にまわりからバカにされているわけではないのに、バカにされているかのような錯覚を覚えたのだった。
しかし、高学年になると、やっと、
「理解しなくても、納得さえすればいい」
ということが分かった。
その良し悪しに対して、それが正しいのかどうか自分では分からなかったが、
「納得」
というものができるようになったのだった。
しかし、納得できないということで、まわりに対して卑屈になっていたことから、今度は自分が彼らよりも成績がよくなると、
「彼らよりも俺は頭がいいんだ」
ということで、まわりに対して、
「自分には、優劣があるんだ」
ということに納得してしまい、成績のよさをひけらかして。まわりを蔑む態度に出てしまったのだ。
先生も、自分の成績のよさから、自分に贔屓しているような感じで、余計に、増長してしまった。
しかし、まわりの大多数の生徒が、彼本人に蔑まれることで、まわりの大人も、彼に味方をするような態度に出ると、生徒だけで、彼を虐めるようになったのだ。
これは、今の時代の苛めというものと違い、
「虐められる側にも原因がある」
という、一世代前の、
「苛め」
と言ってもいいだろう。
しかし、この
「一世代前の苛め」
というのは、
「苛め」
という言葉が当てはまるというものではない。
どちらかというと、
「苛め」
という社会現象ではなく。
「いじめっ子」
というものと、
「いじめられっ子」
というもののそれぞれが存在することで、社会現象というわけではなく、
「それぞれの立場にそれぞれ理由がある」
ということが言葉の上でもハッキリとしたものだった。
今の時代の
「苛め」
というのは、あくまでも、それぞれの立場や言い分があるにも関わらず、一つの言葉で社会問題化してしまったことで、
「問題が曖昧」
ということになったのだ。
それこそ、
「グレーゾーン」
と言ってもいいだろう。
ハッキリとした形のものが形づけられているものではなく、その事案一つ一つで違っているのに、それを社会は、
「一つの社会現象」
ということで、一絡げにして片付けようとするから無理があり、
「それが、違った道だったら、取り返しがつかない」
ということが分からないのだ。
だから、特に今の時代は、社会問題が勃発すると、その解決として、
「プロジェクトチーム」
というものを作り、本来であれば、その事案ごとに、一つ一つ積み重ねた証拠であったり、事実を一つの考え方として積み重ねなければいけないのに、それをしないことで、どうなるのかということが分かっていないのだった。
しかも、万が一、運が良くて、
「一つの事件がうまく解決できたとすれば、その事例が、解決のためのマニュアルとして、すべてに優先される」
ということになるのだ。
確かに、それで解決できる場合もあるだろうが、話の根本が違っていれば、すべては、悪い方に向かうということが分からないのだろう。
たとえば、
「何かの伝染病の予防接種というものがあったとして、その種類がいくつかあった場合、過去の症例であったり、気象状況や、自然環境などを十分に考慮して、今年は何が流行るということを想定して、ワクチンを接種する」
という予防接種があるとしよう。
特に、今では、
「インフルエンザなどがその例であるが、科学的に研究を重ね、何が流行るかということを予測する」
ということで、実際には、
「これが、最善の方法」
ということであっても、それが本当に正しかったかどうかは分からない。
確かに、
「他の種類が蔓延したとしても、蔓延しないような効果があったり、重症化しないという効果だってある」
ということが言われている。
それを考えると、
「ワクチンというものの効果というのは、まるで、博打のようなものではないか?」
と言われたりしているのだ。
それを考えると、
「最善の方法であっても、結果がうまくいかなければ、最善の方法だということで判断した方が、いくら良かれと思ってやったとしても、責められる」
ということになるのだった。
もっといえば、
「何かが起これば、最終的には、誰かに責任をかぶってもらわないといけない」
ということになるであろう。
実際に、
「世の中というのは、古今東西、誰かが最終的に責任を取らないといけない」
という風に決まっているのである。
ということである。
確かに、
「誰かが犠牲になる」
というのは、
「何が起きても無理もない」
という時代であれば当たり前のことだ。
だから、国家というものが存在し、そこには、それぞれの社会というものがあり、社会には、
「身分があり、それ相応の立場と力から、社会というものが成り立っている」
ということである。
特に、その象徴ともいえるのが、特に日本で起こった、
「封建制度」
というものではないだろうか?
そもそも、弥生時代から、クニというものができて、農作のための土地や水を求めて、
「戦が耐えない世の中になった」
ということである。
そして、そのそれぞれのクニがどんどん一つになっていき、強大な国家が形成されるようになると、
「まわりの国家に対抗するため」
あるいは、
「人民に対して、国主の力を見せつけることで、国をまとめる」
ということから、
「国家体制というものは、それぞれの身分が大切」
ということになるのだ。
国家の力が弱まって、国家の中が分裂してくると、
「戦国時代に突入する」
ということになる。
すると、
「それぞれの領地で、力が均衡しているまわりの国と戦に明け暮れ、結局。元々は、コメを作るための土地であったり、それらを守るはずの武士というものが戦によって、土地を荒らしてしまう」
という、
「悪循環になってきた」
ということである。
そこで、
「天下を統一して、戦のない国を」
ということで、
「天下人」
というのが出てきた・
ということであるが、これも、実は、
「詭弁である」
ということになるのかも知れない。
最終的に、国家を一人でまとめ、中央集権の国家を作ったとしても、その長に当たる人間の棟三寸で、結局は、
「国家が乱れる」
という時代を迎えるのかも知れない。
しかし、最後には、
「戦のない世界」
ということで、出てきた徳川家康が、
「徳川幕府260年の基礎」
を築いたのだ。
「大阪の陣」
というものが終わり、豊臣家の滅亡によって、
「戦のない時代」
ということから、年号を、
「元和」
に改め、
「元和偃武」
というスローガンによって、
「戦のない時代の到来」
というもおのを宣言したのであった。
それにより、幕府の基礎ができたわけだが、そこから、幕府による、
「中央集権」
言い方を変えれば、
「独裁政治」
というものが出来上がったのだ。
何といっても、戦をなくすには、一番直接的なのは、
「反乱を起こさせない」
ということであり、そのための、
「改易」
であったり、
「鎖国政策」
「参勤交代や天下普請などによって、諸藩の財政を困窮させることで、幕府に逆らうことがないようにする」
というものである。
そのために、
「士農工商」
という身分制度の徹底というのも、できたということだ。
子供の頃に社会科で習った時は、
「なんて、江戸幕府というのは、ひどいことをするんだ?」
と思ったものだった。
一緒に習った、近代史における世界史の中にある。、
「ファシズム」
という、
「独裁政治」
というものから。
「ファシズムも、封建制度というのも、古い体制ということで、悪い体制なんだ」
という風に教えられた気がした。
特に、戦後、今の民主主義を、連合国に押し付けられたことで、
「古い悪しき時代」
ということで、
「古い体制は、いいものではない」
と頭に叩き込まれた気がする。
確かに、
「古い体制は、反発があるから、滅んでいったのだ」
ということになるのだが、実際に、
「今の時代だって、いつ滅亡しないとも限らない」
ということである。
特に、今の時代、ここ4、5年というものは、
「誰がソーリになっても一緒だ」
と言われていて、そもそもは、
「今のソーリが変われば、少なくとも、マシになる」
と言われ、歴代ソーリの末期には、皆同じことを感じたものだった。
しかし、ここ数年のソーリを考えてみれば、
「今のソーリが変われば、よくなるはずだ。他の人であれば誰がやっても、同じではないか?」
と言われていたが、実際に、ソーリが変わったら、すぐに、
「なんだ、これだったら、前のソーリの方がマシだった」
ということになる。
だから、今の時代は、
「誰がなっても一緒だ」
ということで、本来なら、辞めさせなければいけないはずのソーリが、なかなかやめないのである。
つまりは、
「他にできる人がいない」
あるいは、
「もしこれ以上ひどくなったら、亡国の一途だ」
ということになるであろう。
それを考えると、
「今の政府は、すべてを通り一遍でしか判断することができない」
ということで。
「自分たちがマニュアルを作る」
と言っても、それを作れる人間がいない状態で、それを有識者などに任せていて、出来上がったものを見て。
「自分たちの利益を損なったり」
あるいは、
「自分たちの立場が悪くなるようなものは、了承しない」
ということになるだろう。
以前、
「世界的なパンデミック」
が流行した時、
「その正体が分からない」
ということで、どのように対処すればいいかという、
「専門家委員会」
というものを作り、政府発表で何かあった時は、
「専門家委員会で競技し、それを参考に、政策を立てるようにします」
と政府は建前として言っていたが、実際には、それが建前であるということを立証しているがごとく、
「結局は、専門家委員会に相談するということは、口でいうだけで、国民をどんな政策であっても、専門家委員会が了承したのだから、という名目で、自分たちに都合よく政治を行うというだけの、防波堤のようなものに仕立てている」
というだけのことであった。
それは、まるで、時代劇でいうところの、
「勧善懲悪」
に対しての、
「悪代官」
の立場と同じではないだろうか?
結局は、たくさんの疑問がありながら、警察は通り一遍の捜査しかせずに、結局は、
「チンピラの喧嘩による、傷害致死」
ということで処理された。
だから、
「死んだことに関しては、殺意はなかったもの」
ということで、懲役とはなったが、結局は、模範囚だったということもあって、二年くらいで仮釈放となり、そのまま出所したということになったのだ。
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