第2話

おそるおそる、黄昏時のぬかるんだ泥道に足を踏み出したジョージはあたりを見回して、天を見上げた。

 正直、途方に暮れていた。

 行くあてもないし、わかるのはここが市内のどこかだということだけだ。街を歩いたことなど一度もないから、それが分かっていてもどうしようもない。

「……とりあえず、ここから離れなきゃ」

 自らを励ますように呟いて、ジョージは壁を背にしてとぼとぼと歩き出した。

 しばらく歩いていくと、人の通りが多くなり、やがて敷石が敷き詰められた大きな通りに出た。もとは立派に整えられた道だったのだろうが、今は敷石のあちこちがはげ、所々は大きくえぐれてぬかるんだ泥になっている。また、道ぞいに立ち並ぶ煉瓦や漆喰の崩れそうな商家や住宅の壁には、物乞いが何人ももたれかかり、人々の慈悲を乞うている。

 だが、その行き交う人々の表情は一様に疲れ切っていて、道の端に目を留めることもなく、どころか日も落ちきっていないのに酩酊し、彼らに足蹴りを与える輩さえいる。

 騒がしいが、殺伐とした光景に少年は胸を痛め、また恐怖した。

 その世界は自分が見たこともなく、知ることもなかった世界だった。

 自分がおさめていたにもかかわらずだ。

 立ちすくんでいると、男がジョージにぶつかってきて罵声を浴びせ、少年を突き飛ばした。

「そんなところでボケっとつったってんじゃねえよ! グズが!」

 その拍子にジョージは道の端に並ぶ人々のあいだに投げ出された。

 壁ぞいに座っていた人々が、立ち上がろうとするジョージに群がり、服の裾をひっぱって口々に困窮を訴える。

「ボウヤ……。良い服を着てる。なにか少し恵んでくれんかね……。3日も水しか口にしてないんじゃ……」

「あ……あの……。ボク……なにも、もってないんです。お金も……食べ物も……。ごめんなさい」

「そんなはずがあるか。絹のつぎのない服を着る文無しがどこにいる?! ないならその服でもいい。それを売ればひとつきは食える。寄こせ!」

「や……やめてください! はなして!」

 助けを求めてあたりを見回すが、無関心を装う者や、笑いながら少年達を見物する野次馬ばかりで助けの手をさしのべる者など誰もいない。

 服をつかむ手を必死に振り払い、少年は道のまんなかに転がり出た。

「危ない!」

 見物人の声と、馬車の音が耳に入ったときは遅かった。

 目の前に荷馬車があった。

「うわぁああああ!」

 覆いかぶさるように馬の影が夕闇をいっそう暗くし、いななきがすぐそばで聞こえる。

 硬く目をつぶったジョージは、耳元で馬の蹄が石畳を踏みしめる音を聞き、体に痛みもなにもなかったことに気づいておそるおそる目を開けた。

 見ると、自分の真横に馬の大きな前足があり、御者があわてて降りてくるのが見えた。

「おい、大丈夫か?!」

 話しかけてきたのは上背と硬い筋肉を持った、濃い髭の巌のようなこわい顔をした男だった。

 なんとか頷くと、一瞬表情を和らげたが、次の瞬間には低く響く声で、少年を怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎! 死にたいのか?! 道の真ん中でぼさっとしやがって!」

 恫喝がきっかけで少年の我慢が堰を切り、孤独や不安が涙となってこぼれ落ちた。

「……死にたかったらこんなところにいるもんか!」

「お、おい……! な、なんだ? いきなり!……おい、なんだってんだよ!」

 先ほどの一件から集まっていた人々が男と少年を物見高に眺めているのにいたたまれなくなったのか、ジョージの様子になにかを感じ取ったのか、男は少年の腕を強引につかんで荷馬車に乗せた。

「ともかく一緒に来い!」

 男の馬車に乗せられても少年はまだ泣き続けていた。

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