第3話
「ごめんなさい……」
ひとしきり泣いて、ようやく落ち着いたジョージは男に謝罪した。
「ボウズ、名前は?」
「ジョージ……。14才」
「ウチのガキと同い年で同じ名前か。14才のボウズはみんなその名前だ」
「どうして?」
「きまってる。その年に生まれた王子…王様の名前にあやかったんだ」
男は自分の言にいらだつように舌を打ち、少年の方に顔を向けた。
「ところで、なんでだ? 俺の顔が怖かったか?」
ぶっきらぼうな言葉だったが、どこかその声は暖かく、ジョージは俯いて吐き出した。
「怖くて……ひとりぼっちで……ごめんなさい」
男は目を細めて鼻の頭を掻いた。
「いきなり怒鳴りつけて悪かったな。ところで、どうしておまえみたいな、いいとこの坊ちゃん風がこんな下町にいる?」
「おじさんに殺されそうになって……逃げてきた」
「……はっ。殺される? しかも身内に?」
信じられないと言って首を振ってから、男は少年に行くところはあるのか尋ねた。
「ない……。帰れない……」
「そうか。なら、今日はウチに泊まっていくか?」
その申し出にジョージは小さく頷いた。
「汚いが、がまんしてくれ」
スティーブと名乗った男の家は同じような建物が並んだ中にあるごく普通の一軒だったが、中は本当に言葉どおりだった。
出しっぱなしにされ、乱雑に放り出された生活用具。桶の中に突っ込まれたままの食器。無造作に転がる酒の空き瓶。
ほこりが積もったそれらは、どこか生活感のない部屋の古びた壁の色に沈み込んでおり、唯一きれいに掃除された棚の上のジョージと同じ年頃の少年と若い女の絵姿だけを、室内で際だたせている。
妙に浮いたそこに視線を投げかけていると、スティーブが何気ない仕草で小さな絵姿を倒して少年の目から隠してしまった。
「腹は空いてるか?」
頷くと、スティーブは、大工道具やその他いろいろが入ったずた袋から油紙に包んだパンと塩漬け肉を取り出した。
「誰も作るやつがいなくてな。ないよりはマシだろ?」
言い訳めいた言葉に疑問を覚えてジョージは首を傾げた。
「あの……ご家族は?」
その問いに男は口をゆがめる。
「女房はジョージを産んですぐに死んだ。ジョージは……」
言葉を切った男は、かすかに倒した絵姿の方に視線を流した。
「ブラックフライヤーズの惨事で死んだよ」
「ブラックフライヤーズ? 三ヶ月前にブラックフライヤーズ橋が落ちた事故のこと?」
叔父が持ってきた書類の中にその名があった。
少年が尋ねると、男は苦く頷いた。
「ああ。それだ。大勢死んだ。新しい橋を見物がてら渡ってやろうって押しよせた奴らだ。ウチのガキもその一人さ。あの馬鹿。俺が作った橋を見たくてのこのこ出かけたんだ。俺はやめとけっていったんだ。あんな手抜きのクソッタレ橋は見ても面白いことなんて一つもないってな」
「手抜き?」
男は頷いて雑嚢から取り出した酒をちびりと飲んで吐き捨てた。
「ああ。とんでもない手抜きだ。役人共は懐に金を貯めこむために、材料をケチって工期を削った。そんな状態で俺達職人が満足な仕事が出来るわけがない。見た目だけは悪くないが、中味は最低のクズ橋の出来上がりさ」
報告には死者が出たなどとは一言書いていなかった。それに、原因が手抜き工事だったとも。
男は青ざめた少年の髪をなでて小さく微笑む。
「そんな顔するなよ。死んじまったもんはしかたないしな。お前は優しい子だな」
弱々しく頷くと、スティーブはもう眠いだろ? と言って、ジョージを別の部屋に案内してくれた。
その部屋は小さな寝室だったが、先ほどの部屋と違ってきれいに片づけてあり、掃除も行き届いていた。
「この部屋……」
呟いた少年に男はなにも答えなかったが、ジョージはその部屋が元々誰の部屋だったか、なぜこの部屋だけがきちんとしているか、何となく理解した。
部屋に一人残されたジョージは、とりあえず寝台に横たわったが、まったく寝つくことが出来なかった。何度も寝がえりを打ち、目をつぶってみたが、そのたびに昼間の出来事や男の表情が閉じたまぶたの裏に浮かぶ。
自分はこの国の王であり、それにふさわしい立派な王になりたいとずっと思っていた。いや、もちろん今でも思っている。
『死んじまったもんはしかたない』
スティーブのあきらめに満ちた言葉が塔の中で出会った死者の『死は死にすぎない』という言葉に重なった。
たしかに死者はなにもできない。
そう思ったから逃げた。死にたくなかったからリチャードの言に従った。
だが、何かをなせるはずなのに何もなさずに生きることと、なそうにして結果死ぬのと、どちらがましだろう。ただ漫然と生きることと死んでいることと、どこに違いがあるのだろう。
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