世界は不条理に満ちている

あんぜ

第1話 初恋

 初恋は実らない――よく知られた言葉だ。


 僕はこの年になるまで、女の子に好意を抱いたことがなかった。それは亡くなった母の影響もあったかもしれない。僕はあまり母から愛されていなかった気がする。ただ、義理の父は僕のことを実の子のように大事にしてくれた。僕としてはそれで十分だった。



 話を戻そう。

 僕は高校に入学して、初めての恋をした。


 入学式の日、葉桜の下で見た彼女。オリーヴのアッシュに染めたセミロングの髪が魅力的に映った。


 中学までは誰も髪なんて染めていなかった。それもあって新鮮だった。髪を染めたり、少し派手な格好をしている女子はここでは珍しくなかった。逆に、極一部を除いて男子は平凡な格好。



 クラスの中に、彼女の姿を見つけた時は胸が高鳴った。


 髪を染めている女子は他にも何人か居た。そういう子はみんな綺麗だった。――いや、美人だから髪を染めているわけじゃなく、髪を染めたり見た目に気を使ってるから、綺麗に見えているのかもしれない。


 ともかく僕、佐伯 園一さえき そのかずは、百鬼 小夜香なきり さやかに恋をした。



 ◇◇◇◇◇



「おーい、佐伯く~ん、もしもぉし?」


 僕が百鬼さんに心を奪われていると、前の席の背の高い男子が声をかけてきた。


「ん?」

「ん?――じゃねえよ。小首傾げんな! 女子か!」


「ごめん、百鬼なきりさんに見とれていた」

「うわっ…………(正直かよ!)」


 前の席の、確か――小松こまつ君は慌てた様子で周りを見てから、囁くようにつっこんできた。


「だって僕、初めてこんな気持ちになったんだ」

「わかった! わかったからその話はあとで聞いてやる」


「ああ、そうだったね。小松君だよね。君の用件を先に聞かないとね」

「いやあ、なんか後ろの席が弱そうな男子だったから――」


「マウント取れそうって思った?」

「いや、まあ、そうだな……。すまん」


 どうしてか大柄な小松君が背中を丸めるようにして謝ってくる。僕にはそれがおかしくて――


「どうぞ。いいよ、取っても」


 そう言って両の手の平を上に向けて広げてみせた。


「何が?」

「マウント」


 ププッ――と笑ったのは、小松君ではなかった。小松君は目を丸くしていた。身を縮こまらせて肩を震わせていたのは隣の席の川本かわもとさん。ただ、僕たちがその様子を見ていたことに気付いた川本さんは、恐る恐るこちらを向き――


「すすすみません、盗み聞きするつもりはなかったんです。笑うつもりも……」


 川本さんは長い黒髪に顔を隠すようにして謝ってきた。


「別に内緒話をしてたわけじゃないから大丈夫だよ、川本さん。――ねえ、小松君」

「まあな。恥ずかしいのは佐伯だし」


 するとまた川本さんはクスクスと笑った。クラスを見渡すと、みんなお喋りを止めて、耳を澄ましているように見えた。ちらちらと、こちらを伺うクラスメイトも居た。ただ、百鬼さんだけは微動だにしていなかった。



 ◇◇◇◇◇



 「聞こえた聞こえた。えっ、マジ!?――ってなったし!」


 午後、僕と小松君、川本さん、それから川本さんの友達の戸坂へさかさんで駅の側のバーガーショップへ来ていた。


のとこまで聞こえたならクラス中に聞こえたよね……」

「あんときみんな静かなったから。の笑い声まで聞こえたもん」


 というのは戸坂へさかさんの渾名らしい。は川本さんの名前がみやびだから。


「やっぱ聞こえてたかー」

「だって僕、初めてこんな気持ちになったんだ――とか、女子か! ポエムか! って、たぶんみんな絶対思ってた!」

「そんな風に言ったら佐伯君に悪いよ」


 川本さんはそう言うけれど、僕にはあまり気にならなかった。初めての気持ちで嬉しかったのもあった。戸坂さんは、たぶんなのか、絶対なのか、どう思ってたのだろう。


「なんていうか、僕はこの先、女の子とは関わらない人生を送るのかなって考えてたんだ」

「佐伯くん?」

「まあ、気持ちはわかるな、俺も。何となく、いいなって思ってた子が、高校へ入ると髪を染めてたり」


 やっぱりね――そう思った。小松君は、別に好きになった子が髪を染めて不真面目になったって嘆いているわけじゃなかった。


「何となくはわかってたんだよね。やっぱりそういう意味だったんだ、あれ」

「まあ、しょうがないねー。諦めろ、男子」

「へさ、どういうこと?」


 川村さんが首を傾げる。


「あー、川村さんは知らなかったか。あれはもうほら、つまり……」

「売約済み」

「売約……」


 僕が答えると川村さんは言葉を失くしていた。


「まあ、言い方は悪いけどそういうことだな。もう、どこかの誰かと婚約してるんだよ」

「婚約ってもしかして……」

「そう。一夫多妻制で奥さんになる約束をしてしまってるってこと」

「あんま現実味無かったけど、やっぱ高校入るとガラっと変わったよね……」



 一夫多妻制――日本は昔、少子化が危険なくらいに進んでしまって、おまけに格差が酷くなった。時の政府は移民で少子化の問題を解決しようとしたけれど、その前に大陸の国が戦争を始めてしまった。戦争はアジアやEUの国々が助けてくれたこともあって日本は何とか国が残った。


 その後、国粋主義の政権が立ち、日本人が自力で人口を増やせるようにと一夫多妻制を復活させたんだ。ただ、同時に格差も大きくなってしまった。余裕のある者が子供を増やせるよう破格の給付金までばらまいたのに、結局はお金持ちがお妾さんを増やしただけに過ぎなかった。


 少子化が解消されたかと言うと微妙なところ。それほど増えてない人口だけど、一度通した法はそう簡単に引っ込められず、世の中は歪なままに続いていた――。



「婚約すると学資も援助してくれるし、後ろ盾があるから校則違反しても何も言われないって言ってたな。何より、卒業したらやりたい仕事ができるって」

「そうなんだ……」

「佐伯は詳しいな」


「死んだ母さんがそうだったからね。子供ができてから離婚すると、財産分与でそこそこのお金がもらえるように法改正されんだって」


 実際にそういう目的で結婚する女の人もいるらしい。離婚なんて昔から珍しくもなかったって話だし、養育費もちゃんと貰えるよう法律で決まってるから、ひとり身になってから再婚する人も多い。多くの男の人は、そこでようやく結婚相手を見つけられるとか。


 それもあって、女の人を好きになれなかったんだ。


「――だけど今日、世界が変わったんだ」


 僕は今日、初めての恋をした。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界は不条理に満ちている あんぜ @anze

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ