掌編・ひなまつり

柊圭介

Hinamatsuri

「おい、あんなところに人形を並べたのはお前か!」

 アパートに帰るなりものすごい勢いで怒鳴ったのは兄のピエールである。

「やあ兄さん、見てくれたかい? 素晴らしいだろ」

 ジャンは嬉々とした顔で振り返った。

「今日は日本のお祭りだからね。僕たちもそれに倣おうと思って」


 そう言ってきらりと目を輝かせる。ピエールはいやな予感がした。弟は自他ともに認める日本通マニアで、何かというと日本のイベントを真似したがる。今日もまたいつもの悪い癖が出たらしい。


「で、今度はいったいなんだ」

 ジャンはよくぞ訊いてくれたという顔で得意げに口角を上げた。

「あれはね、Hinamatsuriっていうんだ。全国的な人形のお祭りで、日本のお姫さまの結婚式をフィギュアにしてるんだ」

「イナマツリ?」

 ジャンはチッチっと人差し指を振った。癪に障る仕草だ。

「イナマツリじゃないよ。ヒ・ナ・マ・ツ・リ。ちゃんとHを発音してもらわなきゃ困るよ」

「うるせえな。Hの音は苦手なんだ」

 ジャンは呆れたように目を細めた。

「ダサいな兄さん。今やみんな英語を喋る時代に、Hの発音ができないフランス人なんて博物館行きだよ」

「うるさい。博物館でもどこでも行ってやらあ。それにしてもなんであんなところに置くんだ。家の中に飾ればいいだろう」

「それができないからああしてるんだ。苦肉の策だよ」


 ジャンは手にした紙に目を落とした。


「見て。これが本当の飾りつけのモデルなんだけど、ほら、階段に飾ってるだろ。こんなのうちじゃ無理だからさ」


 ジャンが示した紙には、赤い階段に飾られたフィギュアの写真がプリントアウトされている。

「だからってなにもあんなとこに飾ることないじゃねえか」

 そう言ってジャンの腕を引っ張り、ドアの外に連れ出した。


 二人が住んでいる部屋のすぐわきには螺旋階段がある。その床にはすべりどめの赤いカーペットが敷いてあるのだが、ジャンはそこへ着物を着たカップルの人形を並べているのだ。しかも両サイドにはベッドの小型ランプまで勝手に置いてある。


「赤い絨毯だし、ちょうどいいと思って」

「そういう問題じゃない。共有スペースにまでお前の趣味を持ち込むな」

「いや、僕としてはむしろ住人みんなと日本文化の喜びを共有したい」

「だからそうじゃなくて、これじゃ通行の邪魔だろ。そもそも見てみろ、階段の形が違う。螺旋階段に置いてどうする」

「そこを突かれると痛いんだけどね」


 ジャンが残念そうに唇を噛む。


「だいたいこんなもの、どこで買って来たんだ?」

古道具市ブロカントで偶然見つけたんだよ。このタイミングで出会えるなんて運命を感じるだろ。見てごらんよこの上品な顔。このシックな kimono」


 ジャンはうっとりと小さなカップルを眺めている。ピエールはさらにいやな予感がした。


「まさかと思うが、この写真どおりに階段を占拠するつもりじゃないだろうな」

「さすが兄さん、ご明察!……と言いたいところだけど」

 さっきまでの勢いがなくなり、ジャンは切なそうな目で人形を見つめる。

「本物はこの二体しかなくってさ……せっかくの結婚式なのに、新郎と新婦だけじゃさみしいよね……」

 そう言ってため息をつく。

 さみしいというより、アパートの階段に置かれた人形はただただ不気味なのだが。


「でも、ないものはしょうがない。じゃ、僕はスーパーに行ってくるね。今日のおやつはdaïfukuだよ」


 聞いたことのない言葉を発して、ジャンはそのまま階段を降りて行った。


 今度はピエールがため息をついた。思いどおりにいかなかったことで、あいつはあと一年は悔やみ続けるだろう。言い出したらきかない性格は幼いころから変わらない。そのたびに自分がひと肌脱がなければならないのも変わらない。


「よし。この写真みたいにしたらいいんだな」

 ピエールはひとりごちた。


 

 三十分後。

 階段を上ってきたジャンは思わず立ち止まった。

「どうしたんだ?」

 アパートの住人が集まって階段を囲み、ワイワイとなにやら話し合っている。その背中をかき分けて覗き込んだジャンは目を疑った。

「これは……!」


 階段の一番上には相変わらず日本人形が鎮座している。

 しかし、二段目には三体のバービーが長い脚を投げ出して座っている。その下には五体の黒人ジャズバンドのフィギュアが陽気な顔で笑っている。さらにその下には二つのエクレアとおもちゃのティーセットが中央に並び、両わきにはスパイダーマンとバットマンの人形が力強く立っている。そしてピンクと緑で彩られるべき二本の木はサボテンの鉢植えに変わっている。

 そこには人形とおもちゃのカオスのような行列が、赤い絨毯の螺旋階段に沿ってぐるりと展開していた。

 

「よう、どうだい、だいぶ本物らしくなっただろう」

 ジャンに気づくと、ピエールは額の汗をぬぐいながら充実した顔で笑いかけた。

「すげえ助かったよ。みんな色々と持ち寄ってくれてさ」

 するとひとりの住人が、

「下の方の家具はどうする? レゴかなんかで作るか?」

「私んちシルバニアファミリーがあるから、似たようなの持ってくるわ」

 もうひとりがすぐに反応して自宅へ戻る。


 ジャンはわなわなと震えた。誰がこんな国際色豊かなお祭りにしろって言った? こんなの日本文化に対する冒涜だ。

 しかし住人の楽しそうなテンションを前に、ジャンはもう何も言えなくなっていた。

 そのとき、

「ピエールさん、こんなのどうかしら。三匹の子ブタのぬいぐるみだけど、三つ揃ってるのはこれぐらいしかなくてね」


 管理人のおばさんがゆっくりと階段を上がってきた。

「恩に着ます」

 まさか……。

 ぬいぐるみを受け取ったピエールは迷うことなくサボテンとサボテンの間に置く。三匹の子ブタの登壇で螺旋階段のカオスはさらに深まった。

「あらあら、楽しそうなオブジェだこと。私には芸術なんて分からないけど、こんなモダンアートもあるのねえ」

「あっ、違うんです、これは」

 ジャンが否定する前に管理人さんは感心しながら階段を降りて行った。


 一番下にシルバニアファミリーの家具が追加されたところで、住人たちは満足げな吐息を漏らした。

「完成だな」

「完成ね」

「最高の出来映えだ」

 そんな声とともにお互いを称えあっている。


「そういやジャン、お前何か買ってきたんだろ? ディスプレイを手伝ってくれた皆さんにふるまえ」


 どうしよう、これはピエールと食べるはずだった daïfuku だ。だが、この住人たちの熱意の前には、分けないというわけにはいかない。


 ジャンはしぶしぶ箱を取り出した。

「あ、mochiだ! あたし大好物なの!」

「おれもだよ!」

「mochi! mochi! mochi!」

 住人のシュプレヒコールが上がる。

「あ、これはね、正式にはdaïfukuといって……」

 ジャンの声もむなしく、ダイフクの入った箱は住人たちの手から手へ移り、最後にピエールのもとへと届いた。

「最後のひとつだな。……ジャン、俺たちで分け合おうぜ」


 兄さん……。

 ピエールの微笑みを見てジャンは胸がいっぱいになった。

 みんながmochiに舌鼓を打つ中、こうして Hinamatsuriは完成した。住人たちと喜びを共有するという目的は達せられた。だが、それが日本文化だったということに気づいた者は、ひとりもいない。

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掌編・ひなまつり 柊圭介 @labelleforet

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