歩いていった
倉沢トモエ
歩いていった
桜餅とうぐいす餅を買って、歩いていった。
通りがかった幼稚園の園庭からは、ひなまつりの歌が聞こえてきて、空は晴れて風は暖かかった。
「定休日か」
幼なじみが実家に帰っていると昨日連絡をしてきたので立ち寄ってみると、一階が蕎麦屋であるところのその表にはシャッターが下りていた。そうだそうだ。水曜日は定休日だった。
「こんにちは」
店の裏にある自宅玄関からお邪魔する。
「お、来てくれたの」
思ったより顔色はよかった。去年会った時よりいいくらいだ。
「どうぞ」
「お邪魔します」
玄関にひな人形があった。高校の時までは毎年同じ場所に飾られていたのを見ていたけど、あれからも毎年飾られていたんだろうか。
「もうこんな歳なんだから飾らなくていいのにねえ」
いやいや、おじさんとおばさんにとっては、あなたはずっと娘なんだから。そういうことなんじゃないの。そんなことを言いながら二階の住居に上がる。上がってすぐ右が彼女の部屋だ。いつもの位置に座って落ち着くと、煎茶を淹れてくれた。和菓子が合いそうな香りがふんわりと漂ってくる。
そうそう、和菓子はあるのよ。
「悪いねえ」
思い付きで散歩に出て、思い付きで買った桜餅とうぐいす餅。ここに来るのも、実際明日でも明後日でもよかった。
話を聞くなり家を飛び出して会いに行くより、思い付きで寄ったくらいがちょうどいいのだと思っていた。
彼女が二度目の手術をするというのは昨年会ったときに聞いていて、それが決まって帰省したと聞いたのは昨日だ。入院は来週。騒がしくはしたくない。
とはいえ、私たちはそんなに深刻にならない。
「どっちにしようかな。
ね。会社なくなるのも、いいもんだねえ」
桜餅を取りながら、にやにや笑って言われたのだが、それは私のことだった。
先月、出社すると入り口に紙が一枚貼られていた。
読んでみたら、会社がなくなったという知らせだった。
今どきめずらしい話でもないけれど、さすがに目の当りにしたら驚いた。
「そうだね。こうして平日にふらふら顔見に来れて、お菓子も買えてさ」
あの店は、夕方五時には売り切れて閉まっているのだ。毎日そう。その上日曜は定休なので、この桜餅もうぐいす餅も会社勤めにはなかなかありつけない味なのである。やっと買いに行けた。
「会社に行ってる時間にできなかったことができて、今のところは楽しいわ」
「いろいろ身の上に起こるもんだねえ、お互い」
来週。
来月。
私たちはどうなっているか、ちょっとわからないけれど、今は水曜日で、午後で、ひなまつりの三月三日だった。
歩いていった 倉沢トモエ @kisaragi_01
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