第4話


クリスマス当日は、二人で楽しんだ。


チキンを買って具だくさんのスープを作り、ケーキも食べた。


華は終始にこにこと笑って機嫌がよかった。それが涼花と二人で楽しんだためなのか、昨日彼氏と会ったためなのか、よくわからなかった。


クリスマスが終わると、バッグは丁寧な手紙を添えて会社に返し、華は勉強していた。


二人でささやかに年を越し、おせちを食べ、日々が過ぎる。


高校三年生はもう受験だから、ほぼ休みに入っている。だが変わらず、晩御飯を当番制で作ってくれる。涼花がやると言っても、別にいい、という。


今日華は、願書を提出すると言っていた。提出するだけでも緊張するだろう。受験生の親、というだけでなぜか涼花も緊張していた。


会社が終わり、帰ると、華が明るい笑顔で出迎えた。


「ねえ、お母さん。話があるんだけど」


今度は私が話を聞く番か、と涼花は思う。


「どうしたの」


手洗いうがいをする。もっと緊張感があってもよさそうなものだけれど、華にそのような気配を感じ取れない。


熱いお茶を淹れ、華の正面に座る。


「私ね、妊娠した」


え。は? 


唐突に言われて、涼花は面食らった。そしてすぐに姿勢を正す。


「相手は例の彼氏?」


妊娠は一大事だ。でもまさか、華が妊娠するなんて。なんで?


焦りが出てくる。


「う……ん」


なにか怪しい。彼氏について聞くのは、受験が終わってからにしようと思っていたが、妊娠したとなっては話は別だ。


「待って。彼氏って誰なの」


「怒らないで聞いてくれる?」


なんだろう、その言いかたは。怒るような相手なのか。


「怒らないわ」


「じゃあ、言うね。学校の先生」


思わず目を見開き、身を乗り出した。


「彼氏は他校の子じゃないの?」


「嘘ついてごめん。本当は先生なの」


「学校の先生が彼氏なの? 何歳?」


「四十二」


ひゅうっ、と涼花の喉から変な声が漏れた。その年の差は、今どきの多様性とかで認めるべきなのか。いや、もう妊娠している以上、認めざるをえない。


「……生むの?」


「もちろん」


「クリスマスに会ったのは?」


「先生。その時に……その」


その時の行為が、妊娠につながったのだ。胃がおかしくなってくる。


四十二歳が十八の子と? 


その先生の常識を疑う。クリスマス前に根掘り葉掘り聞いて、止めるべきだったのではないだろうか。


「……いつから付き合っているの。ねえ、待って、先生って誰」


「高二から付き合い始めた。先生は、数学の金近かねちか先生」

 

学校行事に参加した時に名前を聞いたことはあるが、涼花はその先生の顔を知らない。思い出そうとしても、頭に浮かんでこない。


家では一切その金近先生の話をしなかった。それに華は文系だ。会話の中心はどうしても、文系の先生の話になる。


娘が四十二歳の学校の教師の子を妊娠?


「はな……」


出た声は弱く、でも語尾には力が入って変なイントネーションになってしまった。


確かに華の精神が完全に落ち着いたのはその頃だ。それは、もう金近先生と付き合っていたからだろう。 


先生が娘をたぶらかしたのか、娘が先生をたぶらかしたのか。


それとも、お父さんが欲しかった? 親子ほど年が離れている。というより涼花や正人とそんなに差がない。


本当は正人と別れないほうがよかった?


涼花の頭の中に様々な思いが浮かんでは消えていく。


「クリスマスに卒業したら結婚しようって言われて、もう指輪ももらってるんだ。もちろん卒業まで誰にも内緒ね。ねえねえ、大学通いながら赤ちゃん育てても大丈夫かな。あ、そうだ見て」


華は部屋に入ると、プラチナの指輪を持ってきて薬指にはめる。


指輪はライトに反射して光っていた。


「…………」


涼花はなにも言えなかった。明るい声と雰囲気が華からあふれ出ている。華が幸せであればいいと思ってきた。


でも、華の幸せな進路って、それ?


「華。それは喜んでいる場合じゃないと思うんだけど」


「どうして?」


「相手は学校の先生よ? しかも歳も離れているし。四十二よ?」


すると華は心底不思議そうに涼花を見た。


「お母さん、利用できるものはなんでも利用しろって高校入学した時に言ったよね」


瞬間、涼花の顔が青くなっていくのがわかった。


「そういう意味で言ったんじゃないのよ」


図書館などの学校設備を活用したり、分からないことがあれば教師に徹底的に訊いたりして大学入試の時に推薦なりを利用しなさい、とそういう意味で言ったのに。華はずっと意味をはき違えてた?


「私ね、働くのが向いてないと思ったの。だから、地位のある立場の人を見つけて、高校卒業したら結婚しちゃおうって思ってたの。白を着ていたのも先生の好み。異業種交流の集まりに行っても働くのは無理かなって思って。だからつき纏ってくるエルメスのバッグをくれた社長もうざかった。男女共働きとか女も働けとか言うけどさ、本音のところ、向いてない。赤ちゃん生んで子育てしたほうが私には向いていると思って。今の男女共働きの風潮が苦手で。昔の女は家に入って子供育てろ、っていう考え方のほうが好きなの。でも女に人権がない時代の話だし、それはそれでまた考えることもあって。私はおかしいと思うから友達にも言えなかったけど。生まれてくる時代を間違えたのかもしれない。でも受験してもいいのかな?」


確かに涼花が大学を卒業したときも、働くのがしんどいと言ってすぐ妊娠した子が何人かいた。でも子供を育てるのはそんなに楽な道ではない。


「……受験、しても……」


よくない。受験して受かったとしても、赤ちゃんを産んで育てながら大学へ通うのは難しい。


このことは学校に言うべきなのか。あと二か月で卒業。


言えば金近先生が解雇されるかもしれない。教師という立場を追われる。それでは赤ちゃんと華の生活が危うくなる。


シングルマザーで、教師と別れさせて、赤ちゃんと娘を見ていくのは涼花には無理だ。


考えること、話し合うことが一気に増えた。増えすぎた。


華は、女子高生や生徒という立場を利用して先生という結婚相手を見つけたのだ。というより、在学中に教師と付き合い、性行為をしていた。いや、今考えるべきことはそれじゃなくて。


目がかすんできた。


あれ。もう。もう、なにを考えていいかわからない。


華の目は爛々と輝いている。まるでこれからの人生に希望と幸せが待ち構えていると信じて疑わない表情だ。


大学に入って就職して、結婚して、という順番を求めるのも、親の押し付けなのだろうか。


でも、在学中に教師と付き合って妊娠までしてしまうのはやっぱり引っ掛かりを覚える。お互いに恋愛感情があったとしても。


これも押し付けなのだろうか。いや、違う。


しっかり考えなくちゃいけないのに、頭がぐらぐらしてきた。


なにが正しくて正しくないのかわからない。


ただ華は幸せそうな顔をしている。


「高校卒業したらすぐ結婚するからね。大学は行ってもいい? 行かないほうがいい?」


来年のクリスマスには赤ちゃんがいる。華はもうこの家にいなくて、それを見越しての「二人で過ごしたい」だったのだろうか。


涼花はなにも言えずにいた。もしかしたら異業種交流というのも嘘で、いや、嘘じゃなくても様々な男性に取り入り結婚先候補として考えていたんじゃ。


付き合っている先生がいてもキープということもあり得る。


エルメスの件も女子高生という最大の武器を持つ華の魅惑に負けたんじゃないだろうか。図書館へ行くと言っていたのも嘘で、色々男性や先生と会っていたのかもしれない。


図書館で勉強をしているという言葉を信じていた。高校でなにをしていたの? なにを。なにを信じればいい? 


事実はただ、華が学校教師の子を妊娠し、結婚の約束をしていること。


それだけだ。でも、華の心がまるでわからなくなった。


「高校を卒業したら、先生の家に引っ越すね。あ、でも婦人科は同じところに通ったほうがいいよね……」


華の目はキラキラとしている。


だんだん言っていることが聞き取れなくなってくる。ただ涼花の心臓の音だけが耳元

で聞こえていた。


女手一つで育ててきた。華が進学するための貯金もした。


過干渉な毒親にならないように気を付けてきた。


でも華が高校入学の時に言った一言。それが。


それが。


涼花は霧の中にいるような感覚にとらわれていた。


                         「了」

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正と負 明(めい) @uminosora

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