スターチスの花言葉
八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)
スターチスのはなことば
最寄り駅で電車を降りると、夕方だというのに夏の暑さが皮膚を焼いた。
雑踏の流れに急かされるようにしてホームを離れて改札まで流れ作業のように歩いてゆく。
ときより誰かの鞄であったり手であったりが触れるのに苛立ちを堪えて駅を出ると変わり映えのしない古びた街並みがみえた。
まるで昭和のシーンが撮影できそうな薄汚れたビル群、シミだらけのひび割れた道路に落書きすら色あせたコンクリートの壁、ボロボロのバス停と車両のないタクシー乗り場が、まるで街の終焉を訴えかけている。
硬く戸締りのされた鉄の扉が溢れる商店街で、唯一、生きるものを販売している生花店へと向かう。街のすえた香りに花の香りが仄かに漂っていた。
「こんばんは、いつもの花束を頂けますか?」
「こんばんは、もちろん、ご用意できていますよ」
傷んだ看板と鄙びた趣きのある店内で、店主の老婆はそう言って優しい手つきで花束を新聞紙へと包んでくれた。
月に一度、私は花束を買う。
太陽のひまわり、宵闇のルリタマアザミ、星月夜のスターチスを一括りにして。
勘定を済ませて花束を受け取ると夏の匂いが湧いた。
毎月の19日とは違う、8月19日の夏の夕暮れ、どこまでも続くと信じて疑わなかった日々は、高校2年生の同日に全て失われてしまった。
もう、2度と戻ることはない。
ひまわりは天真爛漫だった、だから、誰からも好かれ、ルリタマアザミもスターチスも、そんなひまわりが大好きだった。
『今日は映画にでも見ようよ』
『いいね!』
『賛成! 何にする? 』
郊外にできたばかりのショッピングモールへと向かうシャトルバスを待ちながらそんな話をしていた。
真新しいバス停にはカラフルなパンフレットで溢れいて、カップルや家族連れも溢れていて、珍しく朗らかな夏の日曜日だった。
『そうだ……』
ガシャっと音がした、そう、その異質な音だけが耳と記憶にこびりついている。
可愛らしいひまわりは花弁を散らせて、ルリタマアザミは葉を切り取られ、スターチスは根元から倒された。
真っ黒で鋭い衝撃と刃は、その他の数多くの花を巻き込みながら、やがて刃が通らぬ場所でひしゃげて朽ちた。
「お客さま?」
「あ、ごめんなさい。大丈夫です」
ぼんやりとした意識を取り戻して花束を手に店を後にした。花束の香りであの朗らかな夏が蘇り意識がくらりと揺れる。
『ねぇ、私たちって花だったら何かな?』
選択科目だった生花の授業でひまわりがそんな事を口にした。
『あんたはひまわりじゃない。デカいから目立つし無駄に元気だし、それに黄色が似合いそうだもん。あ、私はルリタマアザミだと自分で言っちゃお」
『うわ、似合ってるわ。刺々しさと冷ややかさがそっくり……』
『私は……』
『『あんたは絶対、スターチス』』
『ええ!? 』
示し合わせたかのように、ひまわりとルリタマアザミはそう言って笑う。
『頑固だし、それに真面目だし』
『そうそう、生真面目にたっくん振ったぐらいだし』
『だって興味ないし』
『ほら、そういうとこ』
友達だった男子生徒に告白され、思いのままに興味がないと伝えて素直に断った。そのことをルリタマアザミが知り得た時には驚いて目を丸くしていた。
素っ気ない素直な言葉にひまわりが屈託なく笑う。その輝きに視線を奪われる。そして常に向いてくれたらと考えては内へと隠した。スターチスは知っている。ひまわりの花向きがルリタマアザミを捉えていることを。
花言葉のままに。
ひまわりも、ルリタマアザミも、スターチスも、したたかだ。互いに理解しつつも交配しない。スターチスを含めて、この居心地の良いバランスから抜け出したくなかった。
失いたくない関係がここにはあって、それを維持することを望んでいた。だから、ずっと花日和に過ごして楽しんでいたのだ。
けれど、あの恐ろしい暴風雨のような衝撃によってひまわりを失うと、そのバランスは崩れて、やがて途絶えた。
ルリタマアザミもスターチスも瑞々しさを失い、身も心もドライフラワーとなり痩せ細った。しばらくの後にルリタマアザミは耐えきれず儚みながら散華し失われてしまった。
風化の進んだ慰霊碑の前に花束を添え手を包み込むようにしながら祈る。
スターチスは咲いたまま。
永遠に変わらない花言葉のままに。
ひまわりも、ルリタマアザミも、決して忘れない。
スターチスだけが、現在を生き、過去を生かす。
朗らかな風が吹く、ひまわりとルリタマアザミを、スターチスが優しく抱きしめていた。
スターチスの花言葉 八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子) @suzunokisuzunoki
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