十年分の決着③
テーブルセットが四つ。四方にぽつぽつと並んでいるのだが、使われることはあまりない。昼食では、校内の過ごしやすさに軍配が上がる。放課後だって、もっと別の場所へ移動するほうが快適に過ごせるので、中庭はエアポケットになっていた。
その誰もいない放課後の中庭を文葉は突っ切る。文葉は俺をぐいぐいと引っ張って力尽くでベンチに座らせると、眼前へと腰を下ろした。そうして、つらっと日常会話を始める。
「今日はいい天気だし、風が気持ちいいし、中庭って割といいよね。レジャーシート持って昼食もいいかなぁとか思うんだけど」
「それって、リアルであるのか?」
「ラノベ脳め」
「そこまで言ってない。でも、さすがにうちじゃいないだろ?」
「そうだね。だからこそ、穴場かな~って。章人くん、追体験してみない?」
「俺を誘ってどうすんの」
「だって、再現っていうか、ラノベっぽいことをしようと思ったら、章人くんじゃないと付き合ってもらえないもん」
「普通に昼食食べろよ。何するつもりなんだよ」
ラノベの昼食イベントに穏やかさはあるのか。いや、あるだろう。けれども、そこにはラブコメめいた微笑ましさの含まれたイベントだ。それを俺と文葉で? 考えれば考えるだけ、面妖になる。とてもじゃないが、追体験などとは言える気がしない。
「あたし、お弁当作ってきてもいいよ?」
「料理、できんの?」
「めっちゃ失礼なんだけど?」
「そういう話したことないだろ。俺は文葉が特別器用だって聞いたこともないし、家事がどうとか知らないから聞いただけだ」
「章人くんが食べてくれるなら、頑張る気はあるよ。一応、自分の分はざっくり作ってるし」
「めっちゃ注釈入れるじゃん」
「だって、自分の分はそれでいいけど、他人に振る舞うってなるとちょっとは気にするよ。たとえ、いくら章人くんでも。というか、章人くんだから?」
どういう意図か。短慮に突かなかったが、眉を顰めることは止められなかった。文葉は片眉を引き上げて、片頬を持ち上げる。
「あたしに社交辞令なんて使わないでしょ?」
なるほど。的を射ていた。
苦笑ひとつで、文葉に納得は届いたらしい。言い当てたことに対するドヤ顔が向けられた。これで的外れならば、一泡吹かしてやれたのだろう。俺が文葉に敵う見込みはない。
「だから、章人くんが付き合ってくれるっていうなら、あたしはお弁当ちゃーんと作ってくるから、物語みたいなことしてもよくない?」
「そういうタイプか?」
「そりゃさ、校舎をバイクで爆走するとか、グラウンドのど真ん中で大告白するとか、そういうのなら躊躇うけど、お昼ご飯をレジャーシート広げて食べるくらいのお手軽なことなら、いいかなって感じかな。聖地巡礼とかにも興味ある。省エネな探偵の町とか」
「文化祭そのものにも興味はあるな」
「名誉ある古典部はあるんだっけ?」
「さぁ?」
好きな本ではある。アニメも見ているし、人気作であることも知っていた。けれど、情報は断片的だ。色んなものに手を出すと、こういう弊害は出てくる。
「でも、行ってみたいよね。章人くん、付き合ってくれない?」
「……いいけどさ」
「いいの?」
「念押しされないといけないようなことがあるか?」
ブックカフェのときと同じ理論だろう。再確認される理由は見当たらなかった。
眉を顰めると、文葉は長く細い息を吐き出す。その息遣いが、その場の空気を混ぜて色を変えたような気がした。
「棚田さんに誤解されるかもしれないよ?」
相変わらず、嫌になるほど精度が高い。スナイパーにでも就職したほうがいいのではないだろうか。そうでなければ、精神科医か。
「色々と遅い」
「……油断し過ぎてたってこと? 迷惑かけた?」
迷惑。
かけられたのだろうか。
確かに、文葉と仲を深めたことが、今回の出来事に通じているかもしれない。けれど、そんなものは結果論でしかない。自分の不手際を文葉のせいにするつもりはなかった。
「油断はお互い様だろ。学校じゃまずいってのがひとつの緩みに繋がったな」
「ごめんね」
「だから、そこはお互い様。文葉のせいにするつもりはないよ」
「何があったの?」
ここまで来るのに、随分遠回りしたものだ。それが文葉の気遣いによるものか。俺の往生際の悪さか。何にせよ、苦笑いにしかならない。
「告白した」
告げられたのは、相手が文葉だったからだろう。さくりと口に出せたことには少し驚いた。文葉は俺よりも驚いたようで、ぽかんと大口を開けている。
「……は?」
掠れた音は、真に迫っていた。具体的なことは何もないので閉口するしかない。唖然とした顔が、少しずつ怪訝の色へ傾いていく。
「どうしたの。突然」
「勢いで」
「章人くんってそんなタイプだっけ?」
聞きながら、そんなわけがないと断定しているようだった。
俺自身、その気はなかったのだから、首を左右に振る。落ちる肩を取り繕うつもりはない。そして、それ以上語れることもなかった。
だが、文葉はさすがにそこまで杜撰だとは思いもしなかったのだろう。当たり前のように、会話は続いてく。
「それで? 棚田さんは?」
こればっかりは、文葉は悪くない。黙ったままの俺に、
「振られたの?」
と続けたのもだ。
直線距離で思考すれば、そうなるだろう。
「振られてはない」
「振られては?」
読書家に曖昧な言葉遣いは通じない。その間合いを心地良く過ごしてきていた。今はその素晴らしさに追い詰められている。
自業自得でしかないけれど。
「何も聞いてないだけだ」
それだけで、俺の悲惨さを察したわけではないだろう。だが、平和的な告白をしたわけじゃないと思い至るには足りたらしい。額を押さえて、あちゃーとばかりに肘を突いて俯かれてしまった。
「……一体、何がどうなってそうなったのか。詳しく話して」
痛々しさが目に見える。自分でも身に沁みていたが、一部だけでここまで痛い態度を取られると心臓が痺れた。
それでも、やけくそな告白の顛末を話すしかなかった。文葉に黙っていることはできない。
それは、ここまで事情を伝えておいて肝心なところを伏せる不誠実な男に成り下がりたくないこともあるし、文葉が簡単に諦めてくれるとも思えないこともある。そして、何よりもこの煮詰まった感情の扱い方が分からなくなっていた。
文葉に話せば解決するわけじゃない。面倒事を背負わせるだけの行為だ。そんなことは分かっていた。
けれど、一度口火を切った舌先は止まらない。気がつけば、ぺらぺらと軽率な後悔を並べ立てていた。見苦しい。
「分かってるよ。一から全部ちゃんと伝え直して、やり直すべきだって。半端な態度で放り出して、穂架さんに心理的負担をかけてるなんて、最悪だ。分かってるよ」
分かっている。
そう言えば許されるわけじゃない。むしろ、動かないことが欠点として露呈するだけだ。それでも、前置きのように。後出しのように。言い立てずにはいられなかった。
「……本当、拗らせてるね」
一通り吐露した俺にぶつけられる今まで通りの寸評には、言葉もない。これまでだって、反駁できる部分はなかった。けれど、今回に関しては、何ひとつ。一欠片だってない。
「どうしたいの?」
一直線に突き刺してくる疑問は、それこそ俺の抱えている問題の本質だ。
「どうもこうも」
問題でありながら、答えなんて考えるまでもない。何をどうするにしても、穂架さんに会いに行って話す。それしかないのだ。
文葉もそれは分かっているのだろう。だから、当たり障りのない返答をした俺に、目を眇めた。鋭利な視線は、心を落雷のように貫く。
「だから、どうするのって聞いてるの」
「行くしかないのは分かってるよ」
「分かっててもダメなんだって分かってるから何度も言ってるんでしょ」
叩かれれば打ちのめされる他ない。文葉だって、俺が分かっていて言っているうえで取り繕っていることも、それを叩かれてもしょうがないとさえ思っていることも、分かっているだろう。
俺はとことん観念して、背もたれのないベンチの後ろ側に手を突いて、天を見上げた。すかっと晴れ渡った青空は、勘弁してくれないものか。今の俺には過ぎた清涼感だった。
息を整えて、真正面へと向き直る。文葉は肘を突いてこそいたが、俺から目を逸らすことはなかった。澄んだ瞳はどこまでも謹直で、面目ない。同時に、揺らがない強さは頼もしさがあった。
「……どうしたら、いいと思う?」
「取り消したいの?」
ひとつひとつ。疑問を潰していく。文葉がそうすることを、俺は知っていたかのように受け止めていた。
「……取り消せると、思えない」
「本気で伝えたんだ」
「自棄だったよ」
あんなものは、感情の爆弾をぶつけて爆発させただけだ。人間関係をぶち壊す。そんな手ひどい一撃をぶつけて、逃げてきた。本気というには、お粗末過ぎて嘲笑できれば御の字レベルだ。
「だったら、取り消そうと躍起になるもんじゃない? 章人くんなら、だけど」
「そうかもな。でも、本音だ」
「消せないもんね」
そうだ。やけくそで、不躾で、手ひどい。どれだけ侮蔑されても、面罵の言葉を連ねても足りないくらいだろう。それでも、消すことのできない本音だ。文葉が断言したことに、俺は息を吐き出した。
そうだ。消せない。
今更、という視点としても。自分の感情を打ち消すことはできなかった。
「だから、取り消せないとは思ってる。でも、穂架さんがどう思ったかと思うと、とても……」
ぶち壊したのは俺だ。弱音なんて吐いている場合じゃない。
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