一ヶ月と少しの親密度②
「……みっともないか?」
「何が? 懸命だなとは思うけど、馬鹿にしてるわけじゃないよ。助けてあげたいとは思う。でも、あたしと棚田さんが接触するのは悪手じゃん? だから、できることって言ったら、そういう言い訳を用意してやるくらいかなって」
「そんなに頼りなく見える?」
「応援したいってのはあたしの我が儘。頼り甲斐は、恋していることに関係ないでしょ。あ、子どもだから甲斐性がないなんて言ってるわけじゃないよ?」
勘が良い。想像力がたくましいのだろう。明後日の方向に行くものもいるが、文葉のそれは正当だった。行き届いたフォローに、渋面にならざるを得ない。
「章人くんって、穂架さんへの自己評価がおかしいよね」
「卑下してるわけじゃない」
口にする時点で、いかがなものかという気持ちはある。だが、自分の価値を不当に低く見積もっているつもりはなかった。
けれど、恋愛に限るのであれば、穂架さんへの効力はないのだ。打っても響いている手応えがまるでない。それを繰り返していれば、自尊心を保ち続けることは難しくなる。モチベーションと呼ぶのかもしれない。
だから、外側から見ていて手助けしたくなる。そういう感情を煽るのだろうか。
「でも、自信ないんでしょ?」
「穂架さんの態度を見れば文葉も分かるよ」
文葉は誤解を招かないように、ある程度の距離を保っている。穂架さんの態度を知悉していなかった。
「お姉さんムーブ?」
「そんなムーブかますほどじゃないけど。でも、やっぱり年上っていうか大人? 見守っているというか。俺に助けられるとか、頼るとか、そういうのは視野に含めていないって感じだし。小さな子どもにするみたいに、平気で頭を撫でてきそうな無頓着さがある」
「……相手が章人くんじゃなきゃ、小悪魔として苛つく女になってるけど、その言い方大丈夫?」
「俺からすれば大して差はないから大丈夫」
「それ大丈夫って言わないなぁ。そんな振り回されてるの?」
「俺が勝手に七転八倒してるだけだ」
穂架さんは極めてフラットだ。そのフラットさに無念さを感じたり、喜んだり、翻弄されているのは俺の事情でしかない。
「バタバタはしなくていいと思うけどなぁ。章人くんは普段、大人っぽいじゃん。落ち着いているし、理性的だし」
「未熟だよ」
「年相応より上なのは間違いないよ。他の男子と比べたら、絶対章人くんのほうが頼り甲斐があるんだから」
拳を握って力説する。文葉が何にムキになっているか分からない。
微苦笑になるしかないのは、卑下はせずとも未成年という事実は覆せないからだ。同年代にそう言われるだけで納得してしまえるほど、根が浅くはない。
「あたしが言っても無駄かぁ」
返事はしていないが、微苦笑だけで十分だったようだ。文葉まで苦い顔で肩を落とす。
「慰めてくれなくてもいいよ」
「本当のことを言ってるだけ。やっぱり、自己評価がおかしいんだってば。棚田さん相手だからって、何も引け目に感じることなんてないわけ。だから、章人くんはあたしの案に乗って、チャンスを無駄にしない威勢でぶつかるくらいがいいよ。……諦めるつもりはないんでしょ?」
前半だって、的外れなことを言っているわけではない。だが、最後の一文が、小説の秀逸な一小節のように的を射ている。そこに向かいたかったようだなんて、うがった見方をするつもりはなかった。
それでも、それを言われたら、俺に反論の道は一本も残らない。
「当たり前だろ」
「だったら、一回でも多い接触で、塵ひとつ分でもいいから、章人くんを棚田さんの中に積み重ねなきゃ」
その心理状況を想像してみたとき、自分の中に眠っている穂架さんの姿が脳内を占める。文葉の言っていることを自分が体現しているとなれば、言葉は刻まれるものだ。
「親身になり過ぎだろ」
「仲間だからね」
「そういうものかよ」
「そういうものだよ。でも、正直言うと、ずーっと章人くんと図書館で距離を測っているのはもったいなくて寂しいから」
ぐぅと喉を鳴らしてしまいそうになる。気を回してもらっている分の悪さは動かしようがない。そこに寂しいという実直な感情を乗せられてしまうと、痛むものがある。
俺の優先順位がブレることはない。それでも、文葉を邪険にするつもりもなかった。
「……それは不本意だな」
「せっかくなんだもん。でも、それが我が儘って分かってるし、あたしだって章人くんの恋をぶち壊したいわけじゃないから。だから、応援してるだけだよ」
健気と呼ぶのだろうか。自制ができているようで、自分のために動いているとも言える。定義づけができない。何色とも言い難い。文葉の色が広がっていた。
「そうか」
「そうそう。ってことで、あたしたちの推理合戦にもピッタリってことで」
にししとわざとらしい顔で笑う。喫緊ではないかのように。肩の荷を軽くするかのように。俺はそれに釣られるように、眉を下げて乗っかった。
「本が読みたいだけじゃないか」
「バレた?」
「バレバレだよ。でも、推理合戦は興味あるな」
「探偵ムーブはやってみたいものだよね。安楽椅子気取りで」
「探偵の中でも難易度高そうなところいったなぁ」
「引きこもりだったり病弱だったりが理想」
「病弱は助手が正解を導くスタイルだろ」
「ミステリを読み漁っているのに解けないところがちょうどいいかなと思って」
「自分の推理力の見積もりがシビア」
「だって、解けたことって滅多にないんだもん。叙述トリックにめっちゃ騙されるし」
「騙されてなんぼだろ」
「そうだよ。爽快だけどね。でも悔しくもあるじゃん。気付けなかった~って思うもん」
毛先を弄りながら、眉間に皺を寄せ眉尻を下げる。小器用な表情だ。
「すっげぇ分かる」
「なんぼって言ってたくせに」
「それとこれとは別だろ。別腹が適用される」
「どこに収めてんの」
くつくつと笑われる。感情が露わで気持ちがいい。不要な洞察に気を割かずともよく、含むものを手に取ることも行われる。不安定ではあるが、釣り合っているのが気楽だ。文葉と話すのは楽しかった。
「物語は飲み込むものだろう」
「物語を食べて生きてる文学少女じゃないんだから」
「それで生活できれば……とは思うが、あれって物理的に食べるんだっけか」
「原稿用紙を食べてたはずだけど、どうなってたっけ?」
「記憶領域にバックアップが欲しい」
「切実過ぎ」
事実、切実だ。
そりゃ、読んだ本を軒並み覚えておくなんて非現実的だと分かっている。だから、履歴を残すようにしているし、記憶に残った部分は感想メモをつけていた。けれど、詳細を思い出すには、足がかりが足りないことは往々にしてある。
「だって、もどかしいだろ。思い出せないの。再読だって楽しいけど、新しく出会うターンに入ってると時間の使い方がなぁ」
記憶が薄まってきたところで再読するのも楽しみのひとつだ。好みの作品は、何度も読み直す。けれど、読みたい本は次から次へと湧き出てくるものだ。限りある時間の中で読もうとすれば、再読ばかりに時間を割いてもいられない。
「章人くん、どれくらい積んでる?」
「それは物体としてか仮想としてか」
「メモに留めておいているものも含む」
「三百冊以上あるんじゃないか?」
「なんで読むより積んでいくほうが多いんだろうね」
諸行無常を感じるように、文葉が遠い目をする。俺もスマホのメモに書き連ねたリストを思い出して、気が遠くなった。
「実物を買い揃える財力がないことに安心するレベル」
「本当にそれ。でも本棚にシリーズを並べられたときの爽快感を思うと、財力は欲しい」
「俗物」
いくら言葉を弄しても、言っていることは金が欲しい、だ。苦味を分かち合うしかない。
「だってさー。好きな本はコレクションしておきたくない?」
「分かるよ。欲しい本を求めて書店巡ったりするし」
「電子書籍で済まさない?」
「好きで集めてるシリーズは済まさない。コレクションしておきたいって言ったのは文葉だろ」
「だよねー。あたしも、五駅先のでっかい本屋まで行っちゃうもん」
「あそこ本店だからな。品揃えいいし、そうでなくても他じゃ見ない本を見つけたりできるし」
「行っちゃうよね。あ、章人くん、今週の日曜日、暇ない?」
「何だよ、急に」
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