第三章 一ヶ月と少しの親密度

一ヶ月と少しの親密度①

 図書館へ通うほどの本ヘビーユーザーとしては、高校でも図書室を利用しない理由はない。休み時間にも通っているし、放課後に立ち寄ることもある。

 だからこそ、下校時間はまちまちで、図書館への移動中に文葉と会わないこともあった。あちらにも友人付き合いがあるので、そういうものと暗黙の了解になっている。

 学校では交流を持っていない。これも暗黙のひとつだろう。そんな環境の中で、俺はぶらりと図書室へ向かった。

 昼休みになるや否や、弁当を食べて図書室へ移動する。一人飯が多いが、時々千賀浦が寄ってくるときはあって、そのときは千賀浦に合わせていた。今日は即座に移動できた日で、俺は奥まったところにある一人分に区切られた席について本を読んでいた。

 図書委員くらいしか生徒はいない。まばらにはいるだろうが、目視はできなかった。薄い人の気配が漂っているだけだ。

 遠くから、昼休みを謳歌している生徒たちの声がこもって聞こえている。だが、遠い音は静けさの邪魔になることはない。

 優雅な昼休みだ。

 それを堪能していたところに滑り込んできた足音は、かなり近かった。普段なら、そんな気配を察知したところで反応することはない。けれど、その気配はそばに留まっている。そのくせ、圧迫感がない。

 視線を紙からスライドさせると、スカートの裾から覗く白い足が見える。それで誰かなんて判別できるような異能は持っていなかった。

 けれど、この距離感でそばに来る人間への心当たりなど一人しかいない。視線を持ち上げると、ごく自然に文葉が立っていた。無言で手を振られる。校内でこの態度を見るとは思わなかった。


「どうした?」

「図書室が気になるのは当然じゃない?」

「今日まで見かけなかったが?」

「だって、抜け出すの悪いし」

「今日は?」

「いつも一緒に食べてる子、分かる? あの子、彼氏できたんだよね。だから、あたしがべったりにならなくてもよくなったっていうか」

「それじゃ、まるでべったりは困ってたと聞こえる」

「困ってるわけじゃないけど、本を読む時間はなくなっちゃうしね。章人くんがいると、あれもこれもって読書欲が燃え上がっちゃってしょうがなくって、最近はちょーっとだけ時間が確保できたらいいのになとは思ってた」

「人のせいにするなよ」

「章人くんの責任は大きい」


 言いながら、隣の一人席に腰を下ろす。区画とはいえ、簡単な区切りがあるだけだ。席の隣同士と大差はない。


「自己責任」

「つれなーい」

「もう読んでろよ」


 あの日から、と境目を設けるのは身勝手だろう。けれど、穂架さんのことを話したあの日から、本談義に限らず砕けたやり取りをするようになった。

 文葉は最初からフレンドリーではあったが、もっとぞんざいだったり、構って欲しいさまを隠さなくなったり、そういう一面を見る。近づいたのを肌で感じていた。

 こちらが粗雑になっても、文葉は楽しそうしているものだから、俺も甘えているかもしれない。名前呼びが何かの壁を取っ払ったのか。それとも、穂架さんのことを赤裸々にしたことが第一歩になったのか。相互作用であるような気がした。

 それを感じながら、並んで本を捲っていく。空間は変わっても、やることは変わらない。その安心感があるから、文葉が接触してきても慌てずにいられるのだろう。

 そうして、文葉の友人に彼氏ができたことを皮切りに、俺たちは昼休みや放課後を図書室で過ごすことも増えていった。放課後を共に過ごせば、そのまま図書館へ行くのに離れる理由もない。

 そこに、違和感も意識もなかった。文葉相手に、そんなものを取り沙汰するのは失礼だとすら思っている。

 これは、文葉の内申を高めに推定している自覚があるので胸に秘めていた。穂架さんへの感情を認め、応援してくれる。そのフィルターが桁外れにかかり過ぎていた。

 そんな日々は、今日も変わりなく続いて、図書館通いも続いている。


「恋愛ファンタジー、面白かったよね」

「呪文をレシピに紛れ込ませる手法はいいよな。暗号として残す手段ってのはよくあるけど、やっぱり胸躍る」

「章人くんってファンタジーも好きなの?」

「ラノベに寄ってれば異世界ものでファンタジーに触れる機会は多いし、よく読むよ。本格ファンタジーってのもあれだけど、イギリスの魔法界の話なんかも好きだな」

「原本を読んだ?」

「さすがに原本は無理」

「章人くん、頭いいのに」

「英語は苦手だ。それに、時間がかかり過ぎるんだよ。文葉だって、原本じゃないんだろ?」

「章人くんができないことをあたしができるわけないじゃん」

「俺のことを何だと思ってるんだ」

「クソ真面目」

「おい。褒めてないな?」


 文葉は時折、口が悪くなる。というよりは、情け容赦ないというのかもしれない。


「真面目は真面目じゃん。読むのも読書履歴とか几帳面でしょ?」

「残しておきたいだろ」

「あたしは割とざっくばらんかな。気に入ったのはSNSに投げてたりするけど、後は適当だもん」

「そのわりにはオススメするときは的確だよな」

「面白い作品は覚えてるからオススメしてるんでしょ? 章人くんだって、オススメの仕方上手いと思うよ。めっちゃ、気になるもん」

「好みが似てるんだよ」


 穂架さんとは、嵌まった作品が一致していないこともある。その点、文葉とは好みが近かった。オススメしあっていると、お互い既に読了済みなことも多い。


「章人くんのカバー範囲が広いんだって」

「俺を過大評価するのをやめろ」

「それって普通、喜ぶところじゃない?」

「不相応だし理由が分からなくて怖い」

「理由は普通に本の話してたら分かるんだけどな」

「文葉だって同じだろ? 意味分かんない格差をつけなくていいから。ていうか、図書室で何借りてたの?」

「あからさまに話を変えたな? ずっと積んでたハートウォーミングな郵便局のお話。郵便屋さんと町民の交流だって」

「日常系? そういうの好きだよな」

「読みやすいでしょ? 地続きな感じが。ファンタジーも大好きだけど、世界設定を見定めなきゃいけないし、覚えることがあるし、ミステリーだと推理したくなっちゃうから」

「読者への挑戦状に挑戦するタイプ?」

「そこまで本格じゃないよ。あと、最近は挑戦状少なくない?」

「だからこそ、あると嬉しいんだろ」

「推理するのは章人くんなんじゃん」

「俺だって、そこまで本格じゃないよ。本気で推理する人は読み返したりもするだろうしな。俺はちょっと考えるだけ。文葉と変わんないんじゃないかな」

「今度、同じ本読みながら推理合戦とかしてみる?」

「お互い読んだことない本でちょうどいいのを探すのは難しいだろ」

「棚田さんに選出を頼むっていうのはどう?」


 歩調の緩んだ俺を、企み顔の文葉が見上げてくる。


「……何企んでんの」

「接点を増やそうかと?」


 司書に本を見繕ってもらうのは、不思議なことではない。それを接着面とする交流の持ち方もおかしくはないだろう。

 ただ、


「レファレンスは今更過ぎないか?」


 ということになる。

 俺だって、手をこまねいているばかりではない。いや、十分こまねいているのだけど。けれど、レファレンスにかこつけて声をかけるなんてことは、迷惑にならない程度にやっている。

 どれだけやったところで、読書仲間の域を出る気がしない。苦笑いも零れようというものだ。


「まぁ、そうかもしれないけど。でも、数打ちゃ当たることもあるし、機会が増えるのはラッキーじゃん? 章人くんは常識的な行動しかしないだろうし、チャンスは逃さないほうがいいよ」

「なんでそんな積極的なんだよ」


 今日まで、文葉がこんなにも意欲的だったことはなかった。気を配ってはくれていたが、内情に踏み込んできたことはない。

 眉を顰めると、文葉は渋い顔になった。


「余計なお世話なのは分かってるよ。でも、なんかもがいてるみたいだから」


 俺と穂架さんを客観している人など、他にいない。だから、外側から見て、自分たちがどう映っているの覚知する術はなかった。

 見る人が見れば分かるものなのだろうか。

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