十年と数週間②

 本が友人だ。

 それ以上でも以下でもない。その友人と交流を温めていれば、他の友人との交流は少なくなる。ゼロと言わないのは、ふらりと声をかけてくれる友人はいるからだった。

 教室の片隅で本を読んでいる俺の机をこんこんと奏でながら、眼前へ腰を下ろしてくる。ノックの合図はいつからか、千賀浦が身につけたものだ。

 千賀浦光輝ちがうらこうきは、名に負けぬ金に近いオレンジの赤髪をしている。この艶やかさが地毛で、肩口まで伸ばしたそれをハーフアップに結わえていた。緩めのそれが、フランクな性格にマッチしている。

 中学のころは、ファンクラブらしきものもできあがっていた。あくまでらしきものとしているのは、誰かが指揮を執って取りまとめていた組織ではなかったからだ。だが、女子の間で不可侵の不文律はあった。

 つまり、アイドル扱い。カーストトップもいいところの気のいい爽やかバスケ少年で、俺の友人としては格差が凄まじい。

 自分を卑下するつもりはないが、千賀浦とは分野が違うだろう。黒髪眼鏡で黙々と本を捲る俺と、赤髪イケメンで揚々と運動を好む千賀浦。バディものならバランスのいい二人も、高校の同級生に落とし込むとちぐはぐさが目立つ。

 しかし、千賀浦はそんなものに縛られる質ではない。椿の俺と千賀浦は、出席番号が近いことを端にしたなし崩しの友人だ。それを続けてくれる、本に理解もある友人だった。


「今日はまた分厚いな」

「バレずに鈍器を携行できるのは悪くないよな」

「何と戦う気なんだよ。重くないのか」

「重い子も好きだよ」


 読書趣味の人間の鞄には常に二、三冊本が入っているものだ。鈍器と呼ばれるような分厚い本を何冊も運ぶことは少ないけれど、文庫本ともなると一冊じゃ心許なさ過ぎる。

 結果として、常に二・三冊が入っているので、重いのなんて些末事だ。図書館に通っていれば、借りた分の冊数を持ち歩くことも多い。鈍器程度可愛いものだった。


「恋人かよ」

「いいだろ、別に。どうした? 何か用か?」

「いーや? 入学から二週間経っても本ばっかり読んでて浮いている友人の心配」

「気にしてないけど」

椿つばきが気にしなくても、周りが扱いづらくて気にすんだよ。話しかけても大丈夫かな、ってな」

「場合による」

「知ってるよ。でも、誰とも話してないのと、誰かと話している実績積んでるのとでは天と地だろ? 一人でへっちゃらでも、面倒くさいことはあるからな」


 本を友人にしている。それだけに偏っていると、大抵の人は他人と関わることを勧めてきたりするものだ。

 生身の人間と関わらずに生きることはできないのだ、と。そんなことは分かりきっている説教で、俺だって人と関わらないわけではない。バイトだってしているし、他人との関係を断絶するほどではなかった。

 千賀浦はその辺りを分かっているし、間合いの取り方が上手い。俺がこの派手な男に嫌気が差すことがないのは、陽気さで心を焼いてこないところだろう。

 そして、そうした俺の印象操作をするのに、千賀浦ほどの適任はいない。スクールカーストトップに座っている男には感謝するばかりだ。


「助かるよ」

「素直で何より。その調子で話せばいいのに。別に嫌いじゃないだろ」

「交友を温めるので忙しい」


 開いたままの本のページに触れると、千賀浦は呆れたように肩を竦めた。

 その隙間に、


「可愛いじゃん」


 と黄色い声が跳ね転がってくる。

 そこに視線を向けたのは、俺だけではない。その先には、見慣れたクラスメイト。

 栗色の髪の毛がふわりと揺れる。たったの二週間で、図書館で三度ほど見かけた。最初は名前が分からなかったが、今はもう知っている。

 木元文葉きもとあやは

 クラスでは賑やかなグループに混ざっていて、今話している渡会たちと姦しい声を上げていた。今日に限ったことでもないし、俺だっていつも反応するわけではない。ただ、会話の隙間に滑り込んできた音には、何とはなしに耳が動くものだ。

 だが、その動きを異常と捉えるものが眼前に座っていた。


「どうした?」

「声がすれば気になることはあるだろ」


 見ると言っても、一瞥しただけに過ぎない。疑問を抱かれる理由が分からずに、眉を寄せる。


「椿が人の声に反応するのは珍しいだろうが」

「それは読んでるときだろ? 今は集中途切れてたからな」


 人に呼ばれているのに気がつかなかったことは、一度や二度ではきかない。千賀浦の声を無視したこともある。本を読んでいても視界内に入る机をノックするようになったのは、そういう経緯があったからだろう。実に効果的だ。


「……それでも、の話をしてるんだよ。俺がどれだけ椿に振り回されたと思ってんの?」


 無視で迷惑をかけていることは申し訳ない。かといって、過敏過ぎる。俺が要領を得ていないと気付いたらしい千賀浦が、再度肩を竦めた。


「女子に興味なんてないんじゃないのか?」

「音に反応するのはおかしくはないだろ。木元さんがどうのって話にはならないよ」

「ふーん?」

「何だ」


 どこまでも含みのある音に、顔を顰める。キザったらしい笑みで応えられて、やるせなかった。


「木元さんの名前を覚えているのが稀少。好みってあんな感じだったっけ?」

「だから、関係がないって言ってるだろ」

「この際、好みを聞いておこうかと思って」

「正反対だ」


 そう言えるほど、木元さんのことを知るはずもない。頻繁と言っていい俺と遭遇するほどには、図書館通いをしている。その一点だけに限れば、穂架さんにも似ているのかもしれない。

 だが、外見の印象は似ていなかった。お淑やかなお姉さんと、活発そうな女子高生。記号だけで見れば正反対だ。


「じゃあ、何事だよ? どっかで会ったとか?」

「そんなに木元さんが気になるのか?」

「椿が気になるんだよ」

「はいはい」


 陽気さを押し付けてはこないものの、節々に他人への関心を滲ませる。それは千賀浦の人懐こさであろうから、文句はない。だからって、一から百まで甲斐甲斐しく付き合うつもりもなかった。

 おざなりな返事で、文字の世界へと戻ろうとする。


「つめたっ」


 と呻くオーバーなリアクションは耳に入っていたが、本気でないと分かっていた。

 おちゃらけたところが整い過ぎているルックスの良さを和らげているから、千賀浦はモテるのだ。人に関心があるところも。それを誰とも言わず平均的に浴びせるものだから、人当たりも評判もよかった。

 しかし、俺相手に発揮しなくてもいい。

 知らん振りしていると、千賀浦は拗ねたように手のひらを机に叩きつけた。空気が含まれるような優しい手つきだ。本格的に邪魔しようとも、怒ってもいない。こういうさりげなさも持っているから、千賀浦は不可侵レベルに奉られているのだろう。

 あいにく、俺はそれにほだされるほど、友愛に満ちてはいない。

 ドライだなんて捻くれているつもりはなかった。ただ、木元さんのことを突かれるのは鬱陶しい。何があるわけではないが、図書館で見かける存在として、他のクラスメイトよりは興味の幅がある。詮索されたくはなかった。

 事実、この時点では、それくらいの心積もりしかなかったのだ。

 ちょうどよく鳴ったチャイムに助けられて、尻切れトンボに終わった話題は、それきりになった。

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