斑猫

石魚、あるいは魚石の話

 目を覚ますと、ベッドサイドのテーブルに見慣れぬものが置いてあった。それは灰白色半透明の、丸っこい塊だった。大きさは大人の拳よりも一回り大きいくらいだろうか。何だったのか皆目見当つかず、俺は恐る恐る塊に手を伸ばした。ひんやりとしていた。

 ひんやりとした感触と共に、これが何であったかを思い出した。繁華街の外れ。アスファルトの地面に吐き捨てられたガムと痰。不潔な道路に広げられた露天商のビニールシート。小物の並べられたシートの上で胡坐をかくオヤジの、胡散臭い笑み。


 これは確か、繁華街の外れで店を出していた露店で購入した物だ。魚石、もしくは石魚とでも言うものだったっけ。別に魚の化石などと言うありふれた(?)ものではない。石の中に水が入っていて、その中に生きた魚が封じ込められている。そんな触れ込みだったはずだ。あの晩は酒が入っていたから、あまり覚えていないけれど。

 そう思って眺めてみると、半透明の塊の奥で、何かが蠢いた。


「――!」


 蠢いたものを目の当たりにした俺は、思わず息を呑んだ。

 石の中には、確かに魚の姿があった。それも美しい魚だった。身体は流線型で細長く、背中側は平らで腹側は柔らかな曲線を描いていた。丁度、三日月を横に寝かせた状態に似ていると思った。そんな身体から、尾ビレ・胸ビレ・腹ビレ・尻ビレが優美に伸びている。石の中の魚ながらも、まるで天女のようだった。しかもその身体は淡く輝いていて、うすみどりに輝いたかと思うとあわい橙色に変貌したりと、まさしく変幻自在だった。

 こんな美しい物を手に入れたなんて。原理が何だか解らないけれど、良い買い物をしたものだ。

 そう思った直後、異変が起きた。泳いでいた魚の姿が、ふいに遠ざかったのだ。魚はメダカほどで、魚の入っている石もそれほど大きなものではない。

 だというのに、遠ざかった魚の姿は、すぐに掻き消えてしまった。


「一体何なんだ、これは」


 言いながら、俺はしばらくの間石を眺め続けていた。

 傾けたり光を透かしてみたりして見たが、魚の姿は一向に見えなかった。

 流石にこれは仕方がない。俺はため息をつきつつ、テーブルに石を戻した。まだ酔いが抜けておらず、そのせいで変な幻覚を見たのだろう。

 そう思ったまさにその時、再び魚の姿が石の中に浮き上がってきたのである。


 石の中にいる魚は恐ろしいほどに美しく、しかし気まぐれな性質だった。

 見られている事に気付くと、すぐに姿を隠してしまうのだ。次に姿を現すタイミングは全く解らない。隠れてから十分後に姿を現す事もあれば、二日ほど全く姿を現さない事すらあった。

 半透明の膜越しに美しい魚を眺めるのは、ほんのひとときの癒しだった。だがそれ以上に、すぐに姿を隠す事にもどかしさを感じてもいた。もどかしさは次第に焦燥感となり、苛立ちへと化けた。

 そんな状況だったから、石魚を割る事を思い立つようになったのは、ごく自然な事であろう。半透明の石を割って魚を取り出し、水槽で飼う。そうすれば、美しい魚の姿をいつでも見る事が出来るのだ。


 むしろ初めから、何故そうしなかったのだろう。ホームセンタ―で水槽と魚の餌とたがねと金槌を買いながら、俺はそんな事を思っていた。

 石を割ろうとしたその時には、魚の姿はとうに隠れていた。きっと奴は、俺が仕出かそうとしている事に気付いたのだろう。この時ばかりは、俺は隠れる魚に苛立つことは無かった。むしろ愛おしく感じられた。何せ石を割って、中の魚を水槽に移してしまうのだから。準備はすでに整っている。

 小さなたらいの中に石を入れ、たがねで割る。石はあっさりと割れた。普段手にしている時はそれなりの硬度を持っているように思っていたのだが、卵よりも少し硬いくらいだろうか。

 当然のように、石からは液体が沁み出してくる。俺は両手に石の欠片を持ち、中の液体をたらいへと注ぎ入れた。魚は出てこなかった。

 何かがおかしい。そう思ったのは、石から出てくる液体が、たらいから溢れ出した時の事だった。魚の姿は見当たらない。それなのに液体はどんどん出てくる。

 溢れ出した液体がくるぶしに掛かる。奇妙な痛痒さを覚えて、俺は石の欠片を放った。一方はたらいの中に落とす形になり、飛沫が上がる。

 くるぶしを見た俺は絶句した。表面が灰色に変色していたからだ。これじゃあまるで、石のようじゃないか。

 たらいの水は、割れた石から流れる液体は、まだまだ止まらない。たらいからあふれ出し、俺の身体を石へと変質させながらじわじわと床を這っていく。

 割れた石の間から、あの美しい魚が顔を覗かせた気がした。間抜けな俺を嘲笑っているかのように。しかしそれが本当に見えたのかどうか、半ば石と化した俺には、もはや解らなかった。

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斑猫 @hanmyou

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