ぽんぽん丸

名付け会

ブロンメンスの丸焼きは族長の席の前、一段高い場所で湯気を上げる。カリチュッの大きな葉に乗せられている。


族長の広間に焼けた肉の臭いが充満している。なのに族長は体を悪くしているからまだ寝床から出てこない。


このうまそうな臭いを嗅いでも起き上がれないなんてやっぱり族長は長くなさそうだ。だけどそうなれば新しい族長を決める祭りがあるだろうから、また近々みんなで協力してブロンメンスを狩って丸焼きが食べられる。


私は隣に座るカロボの頃からの付き合いの男に目配せする。空の族長席を目と首の動きで示す。さすがカロボの友はそれだけで言いたいことが伝わったようで、よだれを拭うジェスチャーが返ってきた。


空の席に族長がついた。暑いくらいなのに震えている。もうしゃべらない。代わりに族長の息子が話始めた。


「皆に名を授ける」

そう宣言する。


「うおおぉー!!」


私達は叫んだ。名は族長か狩りの名手が死んだ後に与えられるものだ。何かを為したもだけが手にする。なのに私達は今日名を持つ。私達は彼らに並ぶことになる。


「海から来た賢き人々との交換のために私達は名を授かる。賢き人々は皆に名がある。我々も名がなくては対等になれない」


簡潔で良い語りだ。今は狩りの名手もいない。族長の息子が父を引き継ぎ新しい族長になることだろう。この村は安泰だ。


「女も子供も名をつけるのか」

石道具の男が聞いた。


「ああそうだ。皆に名前をつける」

族長の息子がそう言うと外から覗いていた子供たちが高い声の歓声をあげた。


「我が父の名はヤップフ」


虫の息の族長と対比するように若さを放つ声が名を告げた。皆から言葉にならない感嘆の吐息が漏れる。最も高い山からとった名だ。30年の長きに渡り村の平和を保った族長に相応しい名だ。


「そして我が名はチンヤリ!」


なるほど、ワイスの夜長の日の第3位の役職であるチンヤリシヨからとった名であろう。実に謙虚だ。ワイスの夜長の第1位の役職であるところのアイピックを名乗るなら反対意見も出ただろう。アイピックはワイスの夜長の性質上、狩りの腕が伴わなければならない。一方チンヤリシヨは地頭が何より大事だ。族長の息子にピッタリだ。


「チンヤリ!チンヤリ!チンヤリ!チンヤリ!チンヤリ!」


男たちは握った拳を振り上げ野太い声で繰り返し指示を表明する。もうこの場でチンヤリが族長になればいい。私達はチンヤリに着いていく準備ができている。


「さあ、大変なのはここからだ。皆にはこれから名前をつける。自分の名を考えた奴はいるか!」


熱は冷めて静まり帰った。チンヤリの呼びかけに答えるものは誰一人いなかった。名を持つとは神に等しいのだからやはり自分で名乗るのはおこがましい。


「ならば皆で1人1人名をつけよう。長い夜になるぞ」


女達が切り分けたブロンメンスの肉を配り歩く。私の所には腕回りの皮付きの部分が回ってきた。皆で夢中で貪り付いた。


食に貪欲でない者たちから先にチンヤリの下に集まって名付けを始めた。私達が食べ終わる頃には目の悪い薬師の男がノミャックヤックに決定していた。確かにノミャックヤックは春のノミャックの時期をいつも待ち遠しいそうにしている。


小さい男がパンサポンサに決まったのは傑作だった。パンサポンサなんて言葉はポンが岩場で足を滑らせた時にしか言わない。小さい男は誰かがパンサポンサにすればいいとジョークで言ったのをすっかり気に入って自らその名前にすると決めた。老いも若きも女も男も、みんな大笑いだ。


私の名前は槍の穂先を柄にとめるニイガタのツルが絡み合い強固になる姿からオニイニィになった。物事の要のような感じがして気に入った。


私の名が決まった時には大人の男の殆どが名付けを終えていた。私は女の名付けが待ち遠しい。やはり好きな女の名前が何になるのか気にならないわけがない。


女の名前が決まるたびにその優美な音を聞いて男たちの心が躍る。アミマリバヤは雪解けの頃の澄んだ水の輝き。サイフザイフは風のない日の平原の心地よさ。女達の名はどれも神秘的に響いた。


彼女の番は早いうちに回ってきた。パインパイデカミ。私の好きな人の名前は秋に咲くデカミの花が豊かに香る様をそのまま音にしたような美しさだ。好意を外に漏らし悟られたくなかったのだが、それでも私の口は思わず呟いた。


「パインパイデカミ…」


私は初めて好きな人の名を呼んだ。尾てい骨から頭のてっぺんまでビリビリ痺れた。名前とは素晴らしいものだ。


名付けの集会はそれぞれの個性を見つめたり、私達の村の風土や歴史を振り返り皆が意見する楽しい時間となった。


しかし村全体の幸福な時間は一変する。私の側にいたチンボウは族長に歩み寄って、小さな声をあげた。すぐに村人は動揺に染まっていった。チンボウは海の底の貝の硬さに由来する。カロボの頃からの幼馴染に堅牢な名がついて喜ばしいのだが、それどころではない。


「息をしてない」


あんなに震えていた族長ヤップフはこの数刻微動だにしていなかった。チンボウは不思議に感じてヤップフの様子を確認したのだった。


族長の息子チンヤリは、チンボウを押しのけて父に駆け寄った。


私がいたところからは偉大な親子を囲む村人の背中しか見えなかった。だがあの冷静なチンボウが不確かなことを言うはずがない。確かに逝去したのだろうということは確信していた。


ヤップフという名を受けてから族長は一言もしゃべらずに逝った。私は名付けに一握の不安を感じるのであった。代々、死後与えられるはずの名は死を呼ぶのかもしれない。そんな動揺は他の村人の中からも発露され霧のように広がった。たちまち不安が村を支配した。


しかし、囲みの中からチンヤリのこぶしが掲げられのを見ると一変した。


「我が名はチンヤリ!父、ヤップフを継ぐもの!海から来た賢き人々と渡り合う者!」


言葉の一節に合わせて拍を刻み拳は力強く高く掲げられた。チンヤリは名は死ではなく、始まりの象徴であると力強く示した。また皆が期待と不安を寄せる賢き人々についてもはっきりと意思を示した。ヤップフが体を悪くした頃に賢い人々はやってきたからきっと我々は不安だったのだ。


村人は一転爆上がり。チンヤリに応えようとする熱気を孕んだ声にならないな唸りが、乾季の竜巻のように吹いた。


皆の声が、鼓動が、足踏みが、この村でもっとも堅牢な族長の家を吹き飛ばしてしまう勢いだった。しかしたとえこの屋敷が崩落してもこの熱を止めることはできない。


その証拠に名付けは先ほどとの楽しさから打って変わって熱を帯びた。まだカロボも済んでいないノミャックヤックの子供に水牛の角を意味するビンビンビビンバと名が付けられたし、村で一番有望な体格の良い子供には猛る男性器を意味するカトウタタタカと名付けられた。カトウタタタカという名には破廉恥な意味が強く女達から反対意見も出たがこの熱を止めることは出来なかった。


すべての名付けが終わった頃にはもう日が昇っていた。我らの族長チンヤリも疲労からすっかり弱々しくなって終了を宣言する。


1人の女が前に出た。ハムハムの妻、アスモミルノダテケだ。大きくなったお腹を手で温めながらチンヤリに聞いた。


「この子の名は?」


アスモミルノダテケの問いに我々は困惑した。ざわざわとあちこちで議論が始まるが困惑は加速した。まだ生まれてきていない者の名をどうやってつけるのだろうか。山や植物や天気だって名前が後に生まれている。名前が先になることなんてあるのだろうか。


お腹の中の子に歴史はないし、まだ意思もない。何を標に名を付ければいいのだろうか。もし今付けるとしたら、がらんどうの洞窟を意味するロコチャンになってしまう。これから生きるものにそんな空虚な名を与えるわけにはいかない。


結局皆はチンヤリを見た。答えが出せないことは族長に委ねられる。


「今度海から来た賢い人々に聞いてみよう。彼らは生まれる前の子に名前をつける術を知っているだろう」


チンヤリは疲れた様子でそう言った。チンヤリは続けた。


「我が父ヤップフはヤップフの山の麓に埋葬したい。明日、力を貸してくれる者はいるか」


チンヤリの呼びかけにチンボウとコンドムが手を挙げた。すっかり村の熱に当てられたカトウタタタカもまだ子供なのに手を挙げた。コンドムは雨雲が流されてすっかり晴れた爽やかな湿り気のある太陽の輝きからきている。チンヤリを先頭にチンボウとコンドムが偉大なるヤップフを担いで明日母なるヤップフ山へ向かう。その側をいずれ村を率いることになるだろうカトウタタタカが付き添い学ぶのだ。まるで村の未来を象徴するような、その様は壮観そのものだろう。


「海から来た賢い人はヤップフの山の石を欲している。石が僅かにもつ輝くつぶてが彼らの目当てだ。ヤップフの石はこの村に賢い人々の物をもたらすだろう」


ヤップフは強く危険な山だ。風のない日は障気が溜まりたちまち近づく者の命を奪ってしまう。石を集めるだけでも危険が伴う。それでもチンヤリの下で賢い人々の物に囲まれて暮らせるのなら石を集めるべきだ。


皆も疲労してすっかり熱は弱まったが、それでもできる限りの大声でそれぞれが決意を咆哮するとこの日は解散となった。


帰宅して寝床についてからも私は簡単には眠れなかった。


チンヤリの熱を思い出した。私より若くつい最近まで頼りないところがあった男が村を先導する熱を吐いたことが私をひどく安堵させた。


海から来た賢い人々はビルメンテの木よりもずっと巨大な船でやってくる。大きな船は真ん中に大木を刺していて、そこに大きな布をつけて風を受けその体躯からは考え及ばない速さで海を駆ける。ヤップフの石を集めて賢い人々と交換すれば私達もあんな速さで海を駆けられるのかもしれない。いつか海の果ての言い伝えにある太陽より大きな魚センゾノミマチガエを捕まえてきてパインパイデカミに捧げよう。そうして愛を囁こう。


やっぱり目が覚めたら私も偉大な族長ヤップフの埋葬に手を貸して、その帰りに石を探そうか。


胸は躍って眠りはなかなかやって来ない。乾燥の季節の藁の寝床は肌をつついて痒い。賢い人々の風で膨らむあの大きな白い布に寝転べばどんなに心地良いだろうか。


オニイニィはもっと知りたい。オニイニィはもっと手にしたい。


赤土の大地を見下ろす父たるヤップフから授かり、遥かな青を抱える海を駆けて、見つけ知り、そうして愛を伝えるのだ。


賢い人々はまだ生まれてないものにどうやって名前をつけるのだろうか。彼らの言葉で愛はなんというのだろう。待ち切れない。目が覚めたらすぐに始めよう。

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ぽんぽん丸 @mukuponpon

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