[3.5] 「feat. スパイダース」③

 ただトイレに行くのも嘘ではない。あのコートを探すためこのタイミングを狙っていた。


(ホールは薄暗いが、幾分場外に出て探しやすい状態……。ましてやあの長身と、プライドは一丁前な方舟メンバーだ。おそらくオフにでもならない限り、あの悪目立ちするコートは脱がないだろう)


 そんなことを考えながら、U字型のコンコースを辿る。ちなみに姿はイツキのままだが、メガネをかけて軽く変装し、外からの認識を冴えなさそうなお兄さんに変更してある。

 あのロングコートの男も人間だ。この閉鎖空間、この4時間はある長時間のライブで全く行かないとは考えにくい。


(だからトイレの待機列か、ホールにまだ残っているかのどちらか。あの長身とコートは目立つ。もし見つけられなければ、見つけられないような位置にいるはずだ)


 かなりの混雑だが、くまなく目を配る。目の焦点をずらして、一箇所に注目しすぎないようにする。


 間違い探しは得意だ。一度姿を見た人間は立ち振る舞いや歩き方、それらが以前見たものと一致すると、その一点が視界にはくっきりと映る。例えるならば、その他大勢であるエキストラは白黒写真に見えるが、マーキングした人間はカラー写真のように見える。

 またイツキは自分の視界に映った人間の視線や動線がどこを向いているのかは全て見えていた。周りをよく見ているといえば聞こえは良いが、無意識のうちにそういうものを敏感に感じ取るそんな癖に辟易していた自分もいた。



 U字のコンコースを半分過ぎた所で、左肩にまた衝撃。すみませんとお互いに謝り合ったが、ぶつかってしまった男性はイツキよりも身長が低く、目当てとは明らかに違う。


(なんかまだ痛むな……)


 肩を回しながらもイツキは変わらず目を配る。一度携帯電話を開いて通知が来ていないか確認するが、レイからは無い。


(こちらもまだとはいえ、連絡は無い……。となると会場内かもう出てしまったか)


 出たならそれまでの縁だ。

 だが、わざわざあの目立つ格好で異国を調査しに来たのならものの2時間で帰るとは考えにくいが。


 そして視線を右に向けた瞬間……「彼」の後頭部が映った。


(いたッ……!)


 すぐさまレイにターゲットを見つけたというメッセージを送ると、尾行開始。同時にレイからも一報。後で落ち合おうとメッセージを送る。

 同時に緊張が走る。武者震いにも似た、方舟への緊張感。だがこれも良く言い換えれば冒険心だ。生唾を呑んで、刈り上げられた後頭部を静かに追う。イツキにとってはもう彼以外はモノクロに見えていた。

 しかしあのロングコートの男はどこに向かっているのだろうか。トイレへ行くとすれば並べば良いが、トイレには目もくれない。


(どうする、思い切って仕掛けるか?)


 イツキの手には小銭が数枚。男はコンコースの端にある関係者立入禁止の階段方面に向かい、立ち止まる様子は無い。

 よし、と意を決して足取りを早めた。そして追いついて、背中を叩こうと近づいた時だった。


 男が自分からこちらに振り向いて、目が合った。


「何か、私に用でも?」


 かなり見下ろされている感覚だ。男がでかいのはあるが、そういえば皮の男性もどちらかというと小柄だった。


「い、いえ。小銭落としてたっぽいので……お兄さんの物じゃないですか?」


 想定外の事態に驚いたが、すぐさま演技に戻って注意を引いた。だが男は首を横に振った。


「いや、私は現金は持ち歩かない主義でね。人違いではないか?」

「そうでしたか、すみませんでした」

「フフ、君の殊勝な心がけに、神が応えてくれることを祈っているよ。ではさようなら」


 男はにこやかに笑ってそう言うと、踵を返して去っていった。だが男が振り向いた瞬間にイツキの左手が素早く何かを投げた。

 笑っていたのは男だけではない。イツキも内心ガッツポーズをして口角を上げて笑っていた。


(かかった……!)


 ネタばらしをするとあの小銭はイツキのもので、拾ったというのももちろんウソである。

 小銭はあくまで口実作りと、男の注意を引くための撒き餌だ。全ては振り返った瞬間に、男のコートのポケットにミシャお手製の発信器兼盗聴器を忍び込ませるためのもの。


 本来なら背中を叩いて振り返ったと同時に右手の小銭で注意を引いて、左手で忍び込ませるつもりだったのだが、結果オーライである。


(だがあの口ぶり、どこか傲慢な態度……やはり間違いなくお前は方舟メンバーだな?)


 獲物を狩る捕食者のごとく、鋭くかつ目を爛々と光らせながら、イツキはイヤホンを耳に付けた。コードの先には盗聴器から送られてきた情報や音を受け取る端末。


(さあ、何をしに来たか、洗いざらい教えてもらうぜ……?)


 去っていった男の背中を得意げな顔で見送りながらイツキは不敵に笑うと踵を返した。



 だがイツキは得意なあまりに気づいていなかった。いや、よく確認しないと気づかなくても仕方ないほど細いものだ。

 イツキの足下に紫色の糸が伸びていた。足元だけではなく床一面にも、壁や天井にも伸びている。鋭い観察眼を持つイツキをもってしてもわからないほどに、糸は傾き始めた日差しを反射してキラリと光った。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 一方その男。

 仕事柄、他人の視線や気配を感じることには慣れていた。先程小銭を落とした、と声をかけてきた小男は寸前まで気がつかなかったものの、感じなかったわけではない。

 このコンコースの端の目立たない階段の下であっても人の気配くらいならすぐ感じ取れる。

 男はここで電話をかけることにした。


「ああ、『アルフ』か。私だ」

「どうした、『セロ』。今は推しのライブ中じゃなかったのか」

「軽口を叩くな。任務だ」


 電話に出たのはこちらも男の声だった。セロと呼ばれた男に対してアルフという男は幾分若い声だ。


「前半が終わったのでな。その報告だ」

「ほーい」

「……その喋り方どうにかならないか。気が散るんだ」

「お前が硬っ苦しいんだよ。そんで? ターゲットの様子はどうだい?」

「……特に変わった様子は無い。こちらに気づいているかはわからないが、今の所問題は無い。明日まで張り込んで、ヤツの動向を確認する。以上だ」

「りょうかーい」


 セロは顎に垂れてきた汗を拭いながら簡潔に報告を終えた。だがその拭った衣擦れの音や息遣いはアルフにも聞こえていたようで、


「ってかなんだ、暑いのか? まさかお前、なんだかんだでライブ楽しんでるとか?」

「人前で話せない内容だからな。ここは空調が届かないが、致し方無い」


 アルフのからかいに相変わらずセロは生真面目に返す。だがアルフのようなからかい好きにはセロのような真面目な輩は楽しいオモチャのようで、再度語気に笑いを含んで言う。


「ははーん。さてはお前、まだあの分厚いコート着ているな? もうそちらも初夏だというのに、悪目立ちするだろ?」

「仕事だからな。やむを得まい」

「だから、スニーキングミッションなのに怪しまれるぞって言ってんだ。ただでさえお前デカいのに、目立ってどうする」


 アルフの正論にセロは珍しく言葉に詰まった。さっきの小銭を渡そうとしてきた小男の顔が思い浮かぶ。


「……そうだな、すまなかった。以後気をつける」


 他人をからかうことが好きな人間は、あくまでからかった相手の反応が面白いからするのであって、面白くなければ冷めるものだ。アルフはそんなしんみりした様子のセロの語調に拍子抜けした様子である。


「ま、とりあえず了解した。また後でライブの感想聞かせてくれたまえよ」

「だから私は仕事に来たと……」

「はいはい。それと、コートも脱いどけよな? お前の汗臭いコートを毎度毎度洗ってくれてるカミさんに感謝しろ。それじゃ」


 電話は一方的に切れた。

 だがアルフの捨て台詞の通り、かなり汗をかいている。周囲からカタブツ、と評価されるのもそれも自分の性分だと思ってあまり気にしていなかったが、コートの件然り何か妙な胸騒ぎがしていた。


 しかしセロは客席にまだやることがあった。戻る前に楽屋前の人間の出入りの様子を見ておかねばならない。今はまだ仕掛ける予定は無いが、仕掛けざるを得ない状態になった場合に対応できるようにするためだ。

 コートは客席に戻った後でも脱げるだろう。



 だが、暗がりのせいかセロも気づいていなかった。

 セロの足下にも紫色の糸が伸びていた。紫色の糸は非常灯のわずかな光を反射してキラリと光った。

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