[3.4] 「feat. スパイダース」②
開場の時間が来ると3人は揃って会場内に入った。グッズスペースや軽食のブースのあるコンコースを通り抜けるとマイクやドラムセット、キーボードなどが置かれたステージと客席が一望できるホールへ。ホールの上層でステージからは遠い端の方ではあるが、角度がついて見やすい設計にしてある。中心のステージにはスパイダースの名の通り、蜘蛛の巣をあしらった白線がある。蜘蛛の巣に捕まった蝶のように観客を虜にするということらしい。
もう既に入って自分の席を探している他の客と同様にイツキたちは自分たちの席を探す。幸いにして席は3つ並んでいる。
席の順をどうするかやいのやいのと言い合ったが、通路側からイツキ、レイ、ユウジの順となった。開演までにはまだしばらく時間がある。その間にも前後の列にもどんどんと人が入ってくる。
「俺、先トイレ済ませてくるな」
そう言ったユウジはイツキに退いてほしそうにして、体を細めるようにして出て行った。
公演中は休憩があるとはいえ、その時に皆トイレに殺到するのは目に見えている。
「レイも今のうち行って来たら? 女子トイレはぜってー混むだろ」
「そだね、そうする。イツキは?」
「オレはユウジが帰ってくるまで荷物番してるから。先行ってきな」
イツキはそう言って道を開ける。確かにイツキは通路沿いの席だからその方がいい、という判断だろう。こういう気配りや頼り甲斐のある所は流石お兄さんである。
ありがとー、と言いながらレイはトイレのあるコンコースの扉へいそいそと出ていった。
さて1人になったは良いが。
この混みようと開演時間だと自分の番がどうなるか。まあ最悪休憩時間にでも行けば良い。
そう考えていたが、結局湧き上がってくるのは入場するまでに見た怪しい男。この暖かくなってきた季節に似つかわしくないロングコート。この前にリュラと会った時は雨も降って寒かったため、ロングコートを着ていても不自然とまでは言えなかったが、今日は暑いくらいの好天である。もう世間の大半の人は半袖で、このホールも冷房が効いている。
(ぐぁ、気になる……)
イツキは頭を抱えた。
こんな方舟と無縁そうな場所で会わないといけないんだ。そう思った瞬間には違う考えが浮かんだ。
(もしかして、方舟が動いてるってことは……)
イツキは自分の妹の顔が思い浮かぶ。
ついこの前会ったばかりだ。ここにいても不思議ではない。
荷物番放り出してあの方舟メンバーを探してみるか。だが、せっかくユウジが誘ってくれたライブだ。ましてや下手を打つとユウジやレイまで巻き込みかねない。即断即決はしなくても良いとはいえ、好奇心と使命感のせめぎ合いだ。
悶々と考えているとユウジが帰ってきた。手にはドリンクのカップと、ケチャップやマヨネーズのソースが付いたフライドポテト3つずつ。
「ただいま、レイは?」
「トイレ行ったぞ」
「あー、もう女子トイレめっちゃ並んでたな。途中で諦めてる人もいたし」
開始までしばらく時間があるとはいえ、レイも帰ってこれるだろうか。
「そうだイツキは? 行かねーのか?」
「オレは後でにする」
「休憩中の方が混むぞ?」
「大丈夫だって」
イツキはにやりと口角を上げて笑う。どうするのか算段が決まったようだ。
そんな会話をしてしばらく待っていると開演の時間が迫る。そこにバタバタと少し疲れた様子のレイが戻ってきた。イツキはもう一度立って道を開ける。
「お待たせ」
「やっぱ混んでたか」
「そうだよー……。ホント男の人はこういうトコ楽で良いよなー」
「しゃあねえじゃンか。ほら、ジュース買ってきたからレイも飲みな」
レイは頬を膨らませて、入場までかぶっていたベレー帽をくるくる回している。食べ物でたしなめながらも両脇の男性陣は苦笑いである。
そうしているうちに、照明が徐々に落ちて暗くなった。いよいよ開演時間だ。それがわかり客席はにわかにどよめきだす。
紫色のライブレーザーがチカチカと点滅しながらステージの周りから花開くように動くと、エレキギターの鋭い音が響く。
中央にスポットライトが一つ当たると、観客のお目当ての人物が姿を現した。歓声が湧く。
彼の名前はキッド。スパイダースはバンドとしての名前だ。バンドと言っても彼1人しかいないが。紫色の髪に少しパーマがかかって、左の目元の蜘蛛を模したタトゥー。おちゃらけてもいるが、その一方で自身の作品のテーマや世界観にも忠実である。
まずはしっとりかつ少しずつプラス思考になるような曲調のバックミュージック、そして歓声に包まれながら彼は口を開いた。
のっけからミドルボイスで、それでいてハスキーでどこか妖艶さを感じる声だ。イツキは彼の声や曲を今初めて聴いたうえ、特別音楽に造詣が深いわけでもないが、彼の音楽世界に引き込まれる理由がわかる。実際左隣の幼なじみは少しずつ恍惚とした表情でリズムに乗って手を叩き、2つ左隣の幼なじみは静かに首を縦に振ってヘッドバンギングを始めている。1曲目から一見さんもここまで引き込むとは、歌手としてのスパイダースの実力がうかがえる。
と思っていたら上手くオムニバスに繋いで次の曲に移った。今度はアップテンポで明るめの曲調。ユウジや周りもつられてリズム取りが大きくなってくる。イツキも徐々に耳から感じる世界観に引き込まれていくような感覚になる。
3曲目はハードロック調の曲だ。これはスパイダースの代表曲で知名度も高いのか、一段と歓声が大きい。それに伴ってフロアのボルテージもどんどんと上がってきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(さあ、糸は張ったぞ。せいぜいもがいてくれ、『セロ』)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それじゃミンナ、また後でな!」
曲と曲の間の、キッドによるMCの時間。
フロアの熱気もたけなわで、観客はもちろんのことキッド本人も汗が滲んでいる。
暗転。
フロアが明るくなった時にはキッドの姿はない。ここから30分間の休憩だ。
そこでイツキはペットボトルのお茶を一口含むと、レイの右肩にポンと手を置いた。レイは置かれた手とイツキの顔を見比べる。
「んじゃ、オレはトイレ行ってくるから」
「おう」
「行ってらっしゃい」
ユウジはかなり熱狂していたようで、息も荒い。この様子なら多少動いても気にしないだろう。
レイは肩に手をやる。何か軽いものの感触。レイは何となくといった程度の勘であったが、イツキの表情から察したらしい。
(ライブの時くらい楽しめば良いじゃん……)
やれやれといった表情で肩にあったメモをユウジに気づかれないように素早く読む。
「開場前にぶつかってきたロングコートがホール内にいたら教えて。あと時間までに戻らなかったらユウジには上手くごまかしといてくれ。後でポテトおごるから」
食い物で釣る気満々ではあるが、実際ライブでカロリーを使ってレイも小腹が空いてきた。当然のように、ユウジが買ってきたポテトは既に完食済みである。
レイはこっそり渡されたメモをポケットにしまうと、クスッと笑った。アドレナリンが出まくっている様子のユウジに声をかける。
「ユウジ、わたしもトイレ行ってくるね」
「りょー」
ユウジから離れると、ポテトのくだりの下にある追伸にも目を通した。
(こういう役回りだけ、わたしなんだから。ま、その代わり柚子胡椒マヨネーズのL頼もうっと)
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