其の八 命なげうつ人の子へ

ツダさんはしばらく二木さんを睨んでいたけれど、その手をぽいっと離し、どんと二木さんを押し退けた。

二木さんがよろけてその場に尻餅をつく。

「な、何だよ急に」


ツダさんは苛立ったように室内を歩き回り、ごちゃごちゃになった呪物の中から、あのQ村の油を手に取った。

そして、ソファの上の龍の亡骸たちにその脂をどろりとかけた。

ずるり、ずるりとその亡骸が動きはじめる。


「屍蝋で繋いで遺骸を依り代として使うのか」

不愉快そうに言うイヅツさんに、

「憑きものの妖はさすがに敏いな」

ツダさんが薄く笑んだ。

ところでなんでわざわざ依代を他に用意しているんだろう。


「俺を殺して、代わりに津田を返してくれるんですよね……?」

茫然と床に座り込んだまま二木さんが訊ねた。


「この体の主か? ならぬ。お前の代わりにこれを喰うことにした」

ツダさんの返答に、皆が凍りつく。


さも当然のようにツダさんは続けた。

「まず、我がこの肉体から離れねば此れを食えんだろう」

急に津田さんがぐらりとふらつき、そのまま転びかけ、片膝を強かに打った。

「それで、新しい依り代に移ったのか。体のパーツが不完全だというのに。どうやって歯のない口で僕を喰うつもりなんだろうね」

膝をさすりながら、のほほんと言う津田さん。


二木さんはそこにへたり込んだまま、出来上がっていく龍のミイラと、元に戻った津田さんを見比べている。


「だがなぁ、祟りの龍をこのまま蘇らせる訳にもいかない」

イヅツさんが難しい顔で言った。

「肉体を取り戻して僕を食い、霊力を補ってしまったら、たくさんの人を殺すでしょうね」

津田さんは、軋むようにぎこちなく動く龍のミイラを注視したまま応じる。


「どうにかしろ、みつとじ」

イヅツさん、そんな、何を無茶な。


でも津田さんは静かに肯いた。

そして、空中で身をくねらせる盲目の龍のミイラをそうっと右手で捕らえた。


左手で刀印を作って唇に当て

「荒ぶる龍鬼に謹請し奉る、この身を殯と捧ぐるからには我が身の内にてしばし眠り給え、急急如律令」

静かに、祈るように唱えた。


龍のミイラが、ぐううううう、と苦しげに唸る。


ざぁ、ずず、ざぁぁ。


ざらついたものが擦れるような音がして、津田さんの右手の先から、恐らくは腕を通って、首筋まで黒い鱗に覆われていく。


龍のミイラが津田さんの手から滑り落ち、くたりと床に伏した。


津田さんも荒い息をつきながら、両手両膝を冷たい床についている。


「津田、それ……」

右半身が黒い鱗に埋め尽くされた津田さんを見て、二木さんが流石に怯えた様子で呟いた。

「津田は龍を再び身に封じたのだ」

イヅツさんがさらりと言った。

「二度も、操られはしないさ、……だが、右半身がうまく動かん」

津田さんはどうにか正座の姿勢を取ると


「なつる」

鋭い声で二木さんを呼んだ。

二木さんがまるで吸い寄せられるように津田さんのそばへ急いで向かう。

「手伝ってくれ」

津田さんが二木さんに黒く短い角材のようなものを渡した。

それを持つ二木さんの手を、自分の胸のあたりに当てさせ、津田さんは左腕でぎゅっと二木さんを抱きしめた。


「許せよ、なつる」


そのまま、

「我が刃は軻遇突智の焔と並び魂魄を葬る炮烙刀、銘を月雲双鬼」

早口に唱えた。


その呪文に応じて、真白の炎を纏った何かが角材から現れ、津田さんの体を貫いた。


背の向こうに見えたそれは、先が二叉に分かれた黒い刃だった。


夏の山で怨霊を払い除けた白い炎が、

今、津田さんを包みこんだ。


津田さんは白焔を全身から立ち昇らせながら、ごふっと血を吐いた。

胸と背の傷からどく、どくと出血が続く。


「……え、あ、」

茫然自失になっていた二木さんが、未だ自分が握ったままの刀の柄を伝う津田さんの血に我に返った様子で

「あ、い、今、抜くか、ら」

声を震わせて言うと、イヅツさんが答えた。

「まだ抜くな。今抜けば身の内の龍が出てくる。鱗が全て燃えつきる頃には、焔も刃も自然に消える」

疲れ切った顔で壁に寄りかかり此方の様子を見ていた渡会教授が、その後を引き継ぐように口を開く。

「あの焔は津田の霊力、そして生命そのものだ。……我々は、誰かの代わりに死ぬのが仕事だ」

感情を押し殺した、重々しい声音。

「ただ、ただそれを、その時を待ってろって言うんですかッ」

二木さんが怒鳴る。イヅツさんも渡会教授も黙って頷いた。

「あいつらを、よそへ」

渡会教授がイヅツさんに命じる。


津田さんから離れようとしない二木さんを、イヅツさんが無理やり引き剥がして幸虎くんの傍に連れてきた。


そして、僕と幸虎くんを縛り上げていた紐を解き、僕や二木兄弟を会場の外へ追い出そうとした。


これ以上、この場に居るなと、

津田さんの死に様を僕たちに見るなと

いうことらしいけれど。


僕だって見たくないけれど。

それでも、僕は言った。


「せめて、見届けさせて下さい。さいごまで」

僕は涙が止まらなかった。

悲しくて、自分が情けなくて。


僕は何度、津田さんを犠牲にするのだろう。

どうして、津田さんを犠牲にしてまで、僕は、生きているんだろう。


焰に焼かれた黒い鱗がゆっくりと、一枚、また一枚、はらりはらりと散り落ちる。

やがてじりじりとその焰が弱まりはじめる。


津田さんが、ばたりとその場に倒れ込んだ。白い焔に包まれたまま、赤い血溜まりの中でぴくりとも動かない。


刀身が消え、柄がごとりと床に転がった。


津田さんが纏っていた白い焔が見えなくなった。

喉元に大きな黒い鱗形の痣を残して。


「さすがに駄目だったか」

ぽつんと呟いたのはイヅツさん。


「津田ああああああああ!」

津田さんの血のついた掌で髪を掻きむしり、二木さんが絶叫した。


******


ちょうどその時。


こんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこん……

誰かが戸を叩いているような音が聴こえてきた。

延々とその音が続くなか、

ちりーん、ちりん、ちりりん、ちりーん、ちりん、ちりりん……

僕の鈴がいつもと違うリズムで鳴り始めた。


「光研二の霊力を持ってしても」

「えぇ、霊核を宿せただけでも御の字、滅ぼすには」

何やら深刻な面持ちで話していたイヅツさんと渡会教授がふと黙って、僕の鈴を見つめた。


ちりーん、ちりん、ちりりん、ちりーん、ちりん、ちりりん……

どこか厳かな鈴の音と共に

ほた、ほた、ほた……

水の滴る音が聞こえた気がした。

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