第5話 「庫内の終焉と新たなる哲学」

ある晩、村田が冷蔵庫を開けると、庫内の電球が点滅していた。


「なんか……嫌な予感がするな。」


冷蔵庫の奥を覗くと、トーフ・デカルトの姿はそこになかった。代わりに、彼がいつも居た場所には、一枚の紙が置かれていた。


『私は庫内を去ることにした。新たな世界を求めて——トーフ・デカルト』


「えっ……? どこに行ったんだよ……?」


村田は慌てて冷蔵庫の隅々を探した。しかし、どこにも彼の姿はない。


その時、冷蔵庫の機械音が異様に高まり、ついに電球が完全に消えた。


「……まさか、冷蔵庫が壊れたのか?」


嫌な予感が的中し、村田は慌てて電源コードを確認する。すると、背後から微かな声が聞こえた。


「……私はここにいる。」


「え? どこだ?」


「冷蔵庫を超えた場所に。」


村田は困惑しながら、冷蔵庫の外を見回す。そして、目を疑った。なんと、キッチンのテーブルの上に、トーフ・デカルトが鎮座していたのだ。


「お前……いつの間に……?」


「冷蔵庫という狭き世界を超え、私は新たな次元へと移行したのだ。」


「いや、ただ取り出されただけじゃないのか?」


「そうとも言えるが、視点を変えれば、それは『進化』であり、『新たな哲学の始まり』とも言える。」


村田はしばらく考えた後、肩をすくめた。


「まぁ……確かに、冷蔵庫の中にずっといるよりは、外の世界を知る方が成長するよな。」


「まさにそうだ。人もまた、同じこと。我々は慣れ親しんだ環境に安住しがちだが、時にはそれを超えねばならぬ。未知の世界こそ、哲学の新たなる舞台なのだから。」


村田は思わず笑ってしまった。


「結局、お前はただの豆腐なのに、妙に深いこと言うよな。」


「豆腐とは、形を持たぬがゆえに、どの器にも適応するもの。哲学もまた、そうあるべきなのだ。」


村田は静かに頷いた。


「……よし、お前を新しい世界に送り出す準備をしよう。」


「ほう?」


村田は包丁を手に取り、トーフ・デカルトをまな板の上に置いた。


「いよいよ、お前の哲学が誰かの血肉になる時が来たってわけだ。」


トーフ・デカルトは、静かにその運命を受け入れた。


「哲学とは、語られるだけではなく、受け継がれることにこそ意味がある。私が消えようとも、この対話が君の中に残る限り、私は存在し続けるのだ。」


村田は頷きながら、包丁を振り下ろした。


——こうして、冷蔵庫の哲学者はその生を終え、新たな形で村田の中に生き続けることとなった。


(完)

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冷蔵庫の哲学者 @kakukaku007

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