対峙
マルセルが近いと言った場所から、メデューサは十分とかからない位置にいた。
どうやら川辺で水を飲んでいるらしい。
山に生え並ぶ木の影を縫うように進み、アイリスはマルセルと共にメデューサに忍び寄る。
近くの山に本当にこのような魔物がいるとは。彼にしかわからない手がかりがあったのだろう。
考えても仕方ない。アイリスはマルセル同様、木の影に隠れながらメデューサを観察する。
それにしても大きい。
上半身は人間、下半身は蛇とマルセルの言う通りだが、身長で言えばアイリスの三倍はある。
しかも下半身だけでなく髪の毛も蛇になっているようで、わらわらと好き勝手動いている。索敵を兼ねているのかもしれない。
「武器は持っていないようだな。それとも置いてきているのか」
「武器?」
「メデューサは冒険者や旅人から奪った武器を持っていることがある。まあ剣術どころか子供が振り回す程度にしか扱えないが、身体の大きさからくるリーチは厄介だし、膂力も成人男性の四、五倍だ。剣で叩かれれば斬るというより潰れされるな」
「……ふと思ったのですが、誰がメデューサを倒すのですか」
「もちろんきみだアイリス」
「ふぇ?」
呆けた面でアイリスが見やると、マルセルはくつくつと笑った。
「冗談だ。討伐は僕がやる。金貨二百枚には討伐費用も含まれている」
「……私は未だにあなたのことがわかりません」
「短時間でわかるほど僕も単純であれば良かったんだがな……さて、取り掛かるからアイリスはここにいろ」
「本当にひとりで大丈夫なのですか?」
「手伝うつもりなら囮として飛び出してくれて構わない。潰されても良いならだが」
「いや、そうではなくて応援を呼んだりとかは」
「時間も命も金も無駄になるだけだ。そして秘密もな」
「結局お金ですか」
「どれほどあっても困らないのが金だ」
言い終えてマルセルは木の影からゆっくりとメデューサへ近づいていく。
世間では奇襲がセオリーとされている相手だ。交戦状態になると石化を起こす成分が出るのであれば、なるほど確かに奇襲で決めてしまうのが一番良い。
――いや、当たり前だよね。
考えて馬鹿な話だとも思ってしまう。不意打ちで仕留められるなら、どんな魔物だってその方が良いに決まっている。
シャッ、と音がした。
頭の蛇の一匹が近づこうとするマルセルに気づいたらしい。
一匹が鳴くと次々に鳴き声を上げ、そしてメデューサ本体もこちらを向いた。
思わず喉が鳴る。
女性だ。それもかなりの美人。
上裸であるがゆえに色々見えてしまっていて、同性なのに目のやり場に困る。
――そうではなくて。
場違いな感想を頭を振って掻き消した。
メデューサの両眼がマルセルを捉える。
攻防は一瞬だった。
メデューサはマルセルを視認するや否や空中へ跳び、両手を重ね合わせて作った大槌を振り下ろした。
轟音が響き、河原の石が飛散する。
咄嗟に隠れたアイリスは難を逃れたが、隠れている樹木はまるで数多の獣が引っ掻いたように傷だらけになっていた。
十メートル以上距離があるのにここまでの被害。しかも石のつぶては副産物だ。マルセルの言う通り、叩かれたらぺちゃんこだ。
――マルセルはどこに。
砂煙が舞い、姿が見えない。
メデューサも同じようで頭の蛇があちらこちらに向いている。
次の瞬間だった。
妙な音がした。
包丁で野菜を切るような場違いな音。
――なんの音?
疑問に思っていると、メデューサの頭がズレ落ちた。
「なっ」
ずるりとズレて落っこちた。
制御を失った身体がドサリと崩れ、その背後からマルセルが現れる。
遅れてメデューサの切断面から血飛沫が噴き出した。
「汚れるな」
血を浴びながら心底嫌そうな顔でマルセルがぼやく。
――つ、強い。
治癒術師だから、ではなくマルセルが強いのだろう。
彼はいったい何者なのか。
驚きと油断でアイリスは木陰から身を出した。
「まだ来るな!」
「……へ?」
転がるメデューサの頭部が動いた。
正確には頭部に髪の毛のように生え並ぶ蛇たちだ。
一斉にアイリスの方を見たかと思えば、各々が地面へ顔を突き刺し抜いてを繰り返し、こちらへ向けて転がってきた。
「いやいやいや! ちょっと待って!」
叫びながらアイリスは逃げた。
蛇まみれの頭部がゴロゴロと凄い勢いで転がり、追いかけてくる。
頭部を切られたくらいでは死なないということか。
――どうしてこっちにくるの!? もしかして私がやったと思っているとか!?
「勘違い! 勘違いですぅ!」
釈明したとて伝わるはずもなく、メデューサの頭部は止まらない。
そして追いかけっこはすぐに決着した。
アイリスの足がつんのめる。石化病による麻痺が始まった足で長距離を走るのは無理だった。
アイリスは石化の始まった指を地面へ刺して立ちあがろうとする、その時だ。
ドサッと背中に何かが乗った。
アイリスは首だけ回して背後を見やる。
「シャァァァア!」
「いぃやぁああ!」
無数の蛇が一斉に大口を開けてアイリスへ迫る。
瞬間、間に影が入り込んだ。
ブスブス、ブチブチと嫌な音が連続した。
無数の蛇が紺ローブの袖上から噛みついている。
「ま、マルセルさん」
自らの左腕を盾にしたマルセルは舌打ちする。
「囮がやりたいならもっと早く言え」
「そんな。腕、腕が!」
「構わない。どのみちこうするつもりだった」
言いながらマルセルはメデューサの頭部が絡まる左腕を振り回す。
しかしメデューサは離れてくれない。
分泌物が石化する毒ならば、おそらく蛇の口からも毒は出るはずだ。
――やっぱり。
ローブが破れマルセルの左腕が露わになる。完全に石化していた。
「マルセルさん! 私のポーチにダガーナイフがありますから使ってください!」
「必要ない。離れていろ」
マルセルは振り回した左腕を近場の樹木へ叩きつけた。
メデューサの頭部が石化した左腕と樹木に挟まれ、グシャリと音を立てた。
マルセルの腕がだらんと垂れ下がる。
蛇たちは牙を食い込ませたまま動かず、メデューサの頭部がネックレスのようにぶら下がっていた。
「殺せたのですか?」
「気絶しているだけだ。トドメは歩きながらやるから胴体の方に戻るぞ」
そう言ってマルセルは右手で蛇を掴んで潰しながら、メデューサの胴体が転がる川辺へ歩き出した。
蛇を一匹一匹丁寧に潰すマルセルへアイリスは問う。
「人型の頭を潰した方が早いのでは」
「そっちの頭を潰しても意味がない。人型の頭は飾りでメデューサの本体はあくまで蛇だ」
「だから蛇を……ところで腕の方は大丈夫ですか」
「治療薬を飲めば治る」
マルセルの言う通り薬を飲めば石化は解けるのだろうが、蛇に噛まれた傷までは治らないだろう。
なんなら石化が解ければ穴だらけの腕から血が噴き出しそうだけれど。
想像しただけで痛々しく、アイリスは唇を噛んだ。
「軽率に動いて、すみませんでした」
「謝らなくていい。その分反省しろ」
突き放すように言われ、アイリスは頷き返す他なかった。
それから川辺へ戻ると蛇の頭を全て潰したマルセルは、頭部をポイと投げ捨てた。
そして右手でローブの内側を漁ると細長い小瓶を取り出す。
「何かお手伝いできませんか」
「このあと火を起こすから枝を数本もってこい。なるべく乾いているものだ」
「わかりました」
アイリスは小走りで林へ向かう。乾いた枝、乾いた枝と呟きながら探して気づく。
――掴めない。
石化が進行しており、指すら動かせなくなっていた。
とはいえできませんでしたと戻るのも許せず、考えた末にアイリスは地面に頭をつけ、枝を口で拾った。
そして脇で挟み、口で拾ってを繰り返した。
口の中はジャリジャリするし、口の周りも土だらけになってしまった。
それでも役目は果たせた。
「拾ってきました」
川辺に戻るとマルセルが赤紫の液体が入った複数の小瓶を片手に立っていた。
マルセルはアイリスを見て一瞬固まるが「ふ」と小さく笑った。
アイリスは唇を尖らせる。
「汚くてすみませんね」
「まったくだ。ほら、そこに枝を置け」
マルセルが顎をしゃくって場所を示す。
アイリスは目を丸くした。
腕があった。
石化した腕。穴だらけの腕。
マルセルに視線を戻して確信する。
破れて露出していた左腕がなくなっていた。
「……腕を」
「僕の場合は切り落とさないと石化が進むんだ。それにこの程度ならあとで治せる」
アイリスは情けなくて泣きそうになる。
治せたとて痛みは負う。自らの腕を切り落として平気な人間などいるはずがない。
そうさせたのは他ならぬアイリスだ。足ばかり引っ張る自分が嫌になった。
「枝、置きますね」
バラバラと枝を落とすとマルセルは小瓶を枝の上に置き、右手をかざした。
「火よ」
マルセルが呟くと手のひらから火の玉が飛び出して小枝が燃え上がる。
「魔術まで使えるのですね」
「まあな」
パチパチと焚き火が燃える。
アイリスは火を見つめながら、マルセルに報いる術を考えていた。
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