治療薬

 火が消えると赤紫色だった小瓶の中身は透明に近い色に変わっていた。

 マルセルは小瓶をローブの袖を通して掴むと、川に近寄り、流水で冷やした。


「それ、中身はメデューサの血液なのですか?」


「そうだ。厳密には首の右側に流れる血だな。それを煮詰めることで治療薬になる」


「と言うことはもう完成したのですね」


「ああ。飲んでみろと言いたいが、その手では無理だな。飲ませてやるから口を開けろ」


 アイリスは言われた通りに口を開ける。

 マルセルは小瓶を拾うとその端をアイリスの口につけ、傾げた。

 苦く塩辛い、筆舌し難い味の液体が喉を下り、次いで生ゴミのような生臭い臭気が口腔に広がった。

 アイリスはえずき、吐き出しそうになるのをどうにか堪える。

 苦労して作られた薬を吐き出すわけにはいかない。

 目尻に涙を浮かべながら飲み干すと、アイリスは「あぁぁああ!」と唸った。


 方やマルセルは酒でも呷るように小瓶を口につけるとすぐに飲み干した。

 そして切り落とした左腕へ、別の小瓶の治療薬をかけた。


「それでも石化は解けるのですか?」


「蛇の牙で開いた穴から石化成分が入ったからな。逆にそこから薬が入ればある程度は解けるはずだ」


「……よかった」


「安堵する暇があるなら薬を持って行け。もう走れるだろう」


 言われてハッとする。

 なんのための治療薬か。急いでシレナの元へ行かねばならない。

 アイリスは小瓶を拾おうとして気づく。すでに指の石化まで解けていた。


「凄い効き目。これならシレナも」


「今なら助けるか否かは選べるぞ」


「助けますよ」


 マルセルの言葉にアイリスは即答する。


「例え目覚めなくても。たったひとりの家族ですから」


「そうか」


「お気遣いありがとうございます。それではまたあとで」


 マルセルに頭を下げてアイリスは駆け出した。

 川に沿って山道を下り、村へと帰る。

 そして我が家に飛び込んだ。


「シレナ! 薬持ってきたよ!」


 アイリスは呼びかけながら、石像となった妹シレナの口へ小瓶をつける。

 石化する時に泣いていたから口が開いていたのは幸いだった。これならしっかり喉の奥まで流れてくれる。

 薬を溢さないよう慎重に、アイリスは小瓶を傾げた。

 そして全て流し込み、効果が現れるのを待つ。


「きた!」


 体の中心からゆっくりと石化が解けていく。

 ――このままでは倒れかねない。

 アイリスは慌ててシレナを抱き止める。

 やがて、トクンと心臓の音が伝わった。


「生きてる。間に合ったんだ」


 堪えきれなくて、アイリスはボロボロと涙を溢した。


「良かった。本当に良かった! ごめんねシレナ。ごめんね」


 苦境に立たされて吐いた弱音こそが本音なのだと、昔両親は言っていた。

 ――それは正しいと思う。

 絶望の淵に立たされ、シレナへの仄暗い感情を自覚してしまった。

 妹さえいなければ自分の人生を歩めたのにと疎んだのだ。

 しかしだからこそ本音と向き合えた。向き合えたったうえで、この先どうなろうと自分は再び妹と生きる道を選んだ。

 辛くて苦しくて逃げ出したくなったけれど、シレナを愛している気持ちもまた本音であるからだ。


 もしかしたらシレナだってアイリスに何か思うところがあるのかもしれない。

 聞くのは怖い。アイリスがシレナを疎んでいたように、逆もまたしかりという可能性だってある。

 でも話せなければ、それすらもわからないままだ。

 今はただ、たったひとりの家族であるシレナへ愛していると伝えたい。

 

「だからお願い。目を覚まして……!」


 シレナを抱き、アイリスは祈る。

 しかしその願いは、叶わなかった。


※※※


「やはりだめか」


 マルセルは川辺でひとり吐息した。

 メデューサの石化能力。生物を無機物へ変えてしまう能力で心臓を石にしてしまえば死ねるのではないかと考えたが、失敗した。

 心臓を止めても苦しいだけで意味がない。まあ心臓を貫いても死ねないのだから当然と言えば当然なのだけれも。


 石化の解けた左腕を拾って傷口にあてがい、治癒魔術を行使する。

 腕はピタリと繋がり、手を握り開いて問題ないか確かめる。


 ――収穫はあったから、まあいいか。

 幾ばくかの金貨と雑用係。使える内は身の回りの世話をさせて、ある程度歳を食ったら捨てれば良い。

 今までもそうしてきた。だからこれからもそうする。


『つまらんな』


 頭の中で響く声にマルセルは笑う。


「一千年、玉座で踏ん反り返っていたやつが言えたことか?」


『五百年死に方を求める貴様よりはマシだろう』


 くつくつと嘲笑が響く。

 消せない声。前世の人格。割り切るには少々お喋りが過ぎる。


『どうするつもりなのだ』


「……なにが」


『全ての方法を試し切ったあとだよ』


 いずれくる限界。終わりを迎えられぬまま手段が尽きた時のこと。

 考えないわけではない。けれど考えたとて意味がない。


「死ぬさ。必ずな」


『今なお貴様の内に我がいるのにか?』


 高笑いが響く。

 頭の中で、ただひとりにしか聞こえない嘲笑が。

 マルセルは舌打ちした。

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