病の正体
フェリク村を出て二日が過ぎ、アイリスは故郷の村へ帰ってきた。
その間もアイリス自身の石化病は進行し、指先は石化を始め、足の先にも痺れが回っていた。
「ようやく着いた……! シレナ!」
転びそうになるのを堪えながらアイリスは我が家に飛び込んだ。
妹のシレナはアイリスが家を出た時と変わらぬ姿でそこにいた。
今のところ風化して欠けてはないようだ。
「あとにしろアイリス。急がないと目覚めなくなるぞ」
「わかっています。でも寂しい思いをさせたから。きっとひとりで怖かったと思うから」
アイリスはそっとシレナを抱き締め、ごめんねと呟いた。
そして先に家を出たマルセルのあとをアイリスは追った。
家を出ると、村の中央で辺りを見回しているマルセルがいた。
「何を探しているのですか」
「水源だ。村はどこから水を引いている」
「水源、ですか? ええと村から東に十分ほど歩いたところに川がありまして、そこから水路を引いています」
「となると川の上流はあの山か」
マルセルが指差したのは村から最も近い山だった。動植物が豊富で、村の飲み水と食料の半分以上を賄っている。
冬が明けたばかりの今はまだ禁猟の時期であるため、村人も踏み入らない。
「まさか誰かが毒を!?」
「当たらずとも遠からずだな。……さて、では上流へ向かいながら少し説明してやろう」
そう言って山へ足を向けるマルセルへアイリスは追従した。
川沿いに山の緩やかな傾斜を登りながらマルセルは語る。
「まず石化病はメデューサと呼ばれる魔物が原因だ」
「魔物、メデューサ?」
「上半身が人間で下半身が蛇。亜人種と判別された時期もあったが知性が低く、亜人種の定義からは外れているから魔物だ」
「て、定義」
知らないことばかりの連続で早くもアイリスの頭はこんがらがる。昔から勉強は苦手だ。でも馬鹿に見られたくなくて丁寧な言葉遣いを心がけていた。
「まあ定義はいい。それでメデューサだが、世間では目を見て戦うなと言われている」
「なぜですか?」
「メデューサは特殊な眼をしていて、視線が合うと身体が石化するからだ」
「そんな。どうやって倒すのですか」
「不意をついて一撃で殺すか、足元だけを見て戦うか……しかしこれは誤りだ」
「え?」
「流布されている定説は必ずしも真理ではない。特に魔物は知られていないことの方が多いんだ。だから有効だった方法を真理だと思い込む、要は勘違いだな」
「つまり不意打ちで殺したり、足元を見て戦ったら倒せたから、逆に目が合ったら石化したからそうだと思ったということですか?」
「そうだ。目が合わずとも石化は起きる。それを知らないから石化病とメデューサの繋がりを排してしまう。石化と言えばメデューサかバジリスクというくらい有名なはずなのにだ」
思い込み。
知らない以上、有効であった術から学んでいく他ないのは当然だ。
昔、山で手付かずの美味しそうな果実を見つけたことがある。試しに食べてみてあまりの酸っぱさに吐き出した。以降見つけても取らなくなった。だから手付かずで残っていたのだ。
食べられないなら食べないのが正解だ。けれど他所から来た旅人が教えてくれて、実は他の果実と煮詰めてジャムにすると酸味が程よく抜けてとても美味しくなる。
正しい食べ方を知らなければずっと取らないままだったのだ。
同じように初めの経験が間違っていたのなら、まして正す機会が来ないなら、果たしてそれはいつ、どうやって気づけるのだろうか。
マルセルはどうやってメデューサの石化が眼差しによらないものだと気づいたのだろうか。
「結局、メデューサはどうやって相手を石化させるのですか?」
「目に見えない成分だ。交戦時に発せられる分泌物に石化する成分が含まれていると僕は見ている」
「……分泌物って、汗とかの」
「ああ。人間の汗もそうだが水分は乾いて見えなくなると、一部の成分が空気中に漂う。それを吸い込むから石化を発症するというわけだ」
「吸い込むと発症する? でも私も妹もメデューサなんて魔物には……だから川に」
アイリスの問いにマルセルは頷く。
「分泌物が溶け込んだ水を飲めば当然石化を発症する。だから石化病は一部の地域で同時多発的に発症する。ゆえに流行病だと思われるわけだ」
「妹が先に罹ったように個人差が出るのも飲んだ量が原因ってことですか」
「いや、その時の飲用水の成分濃度にもよるから一概には言えない。そして最も厄介なのはメデューサが立ち去っている可能性もあるという点だ」
「立ち去る?」
「メデューサは警戒心が強い。大勢人が来れば逃げてしまう」
「そんな……でも今は禁猟時期ですからあまり人は来ないはずです」
「それなら大丈夫か」
せっかく原因を突き止めたのに逃げられていたのではどうしようもない。
ふと、アイリスは疑問に思う。
「そういえばどうしてメデューサ自身は石化しないのですか?」
「それが治療法だ。メデューサ自身が石化しないのは耐性を有するからだ。自分で発した成分を吸い込んでも平気なように、解毒する成分が全身を流れている。それを利用すれば治療薬は作れるし、僕は実証済みだ」
「……待ってください。なぜそれを世間に広めないのですか」
治療法が明確であれば、それさえ広めてしまえば他の治癒術師だって治せたはずだ。
アイリスが村を出る必要も、盗賊に襲われることも、そして高額の借金を負うこともなかった。
その時、アイリスが出会ってから初めてマルセルが笑った。
「きみは無知だが馬鹿ではない。もうわかっているだろう」
「あなたが稼ぐため、ですか」
「正解だ。僕自身の願いを叶えるには何かと金が入り用でね。だから治療法は明かさない」
「あなたって人は!」
「無知に甘える者に責められる謂れはない。ましてアイリス、契約を結んだきみにはどうしようもない」
「……っ、一切他言無用と言うのはこのためですか」
「そのとおり。だから言ったろう。契約を甘く見れば後悔すると」
何も言い返せずアイリスは黙る。
マルセルの言うことは正しくはない。けれど彼が自身で見つけた治療法だ。明かすも隠すも彼次第。金を払うのが嫌なら自分で探せば良いだけのこと。
それでもやはり。
「ひとでなし」
アイリスが睨み付けるとマルセルは薄く笑った。
「それも、間違いではない」
「どういう意味で――」
「近いな。講義は終わりだ」
マルセルの瞳に射すくめられ、アイリスは口を噤んだ。
――この人は、まだ何かを隠している。
筆舌し難い不安が燻るのだった。
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