自主企画参加用・超短編『猫の忘れ物』
夢美瑠瑠
第1話
昨日は、エドガーアランポーの、「黒猫」という、推理小説を読んだ。
黒猫を飼っている若い男。当初は蜜月だったが、男が妻を娶り、やがて飲酒癖が高じていくにつれ、家庭は荒れていく。仲違いの挙句、男は妻を殺してしまい、地下室の壁に死体を埋め込む。が、その壁には、以前にあやめた黒猫の姿の斑紋が浮かび上がり始めて…というホラー?である。
この作家は、「推理小説の鼻祖」といわれていて、非常に鋭い知性というか、独特のユニークな稟質の持ち主で、愛読していた。
読み返して、”天才”の感を新たにしました。
怪奇小説のような、寓話のような、透徹した普遍性と奥深さを感じる…
古典とはこういうものだと思う…
で、いつもそうなんやが、あたしは何かを読んで感動とかすると直截に影響されて、日常にいろいろな微妙なバイアス?が波及する。
ポーを読んだ後には、アートなおどろおどろしさ?みたいな、日常にひそむ裂け目?が、日々のデテイルに仄見えるような瞬間がしばしば訪れて、それは異化効果というのか、面白い。
犯罪が、美しい悪徳に思えるという…同じテイスト、エートスの匂う、江戸川乱歩は、伊達にポーの語呂合わせを名乗っていないのだろう。
が、読書の効用は、そういう日常の文脈から少し距離を置いて、物事を広く多角的に眺める、俯瞰的に矯めつ眇めつ?できる、つまりは「深く考える」余裕を持てることにあるとも思う。
無我夢中、がむしゃら、もいいが、「思いて学ばざるは危うい」と、「論語」にも言う。落ち着いて、自分の内面性というものを涵養するための”よすが”に、手っ取り早くて、最終兵器なのが読書と思います。
…キャットフードを、飼い猫にあげつつ、「黒猫」のデテイルをあれこれ思い浮かべる。 ひどく懐いていて、家の中をどこまでもつきまとってくる黒猫。 だんだんに「飲酒という悪魔」に侵されて、かわいがっていた猫にまで邪険になっていく主人公…アル中だったらしい
新作の
「黒猫」の場合は、ポーの偉大さゆえの先見性とか、時代を超越しているユニークな才能の異彩さ、不気味な突出感? そこのところがクライ感動を呼ぶのかと思う…
猫は、身近な生き物で、なおかつ神秘的で謎めいていて、いろいろな投影ができるアイコン。で、「古典」文学にもたくさん登場する。夏目漱石の「吾輩は猫である」は有名やが、もとのネタ本で、「牡猫ムルの人生観」という本があるらしい。文豪のタイムカプセルは、「猫の語り手」の滑稽で韜晦していても、やはりほぼ無尽蔵に近い、たくさんの情報やイメージ、智慧の宝庫で、後年の豊饒で唯一無二、不滅の金字塔の文学活動を予見させている…(あたしには大げさな言葉を使いたがる悪い癖がありますw)
<作家=芸術>、そういう話題なら「坑内カナリア」という言葉がある。
たとえば芥川龍之介氏は「漠然たる不安」ゆえに、自殺したという。カフカも、みょうちきりんな変身譚とかばかりを書いていて、「?」の人だったらしい。 そうして、それから大戦争があって、アウシュビッツやら原子爆弾やら、つまりはそういう悲劇を「クーキ」から、彼らは敏感に予見していたのでは?…そういう解釈が一般になされている。
作家という人種を「坑内カナリア」と呼ぶのはそう意味なのだが、日本人が愛唱する古き良き時代の童謡に、「歌を忘れたカナリア」というのがある。
「歌を
ラスト、謎めいた歌詞ですが、”歌”を忘れたというちょっと哀しい歌詞の寓意は、いろんな解釈が成り立つが、「人間性の喪失」なのでは?と思います。
カナリヤは啼くのが本義。美しいさえずりがカナリヤのレーゾンデトル。
その哀しさを、現代の人間の人間疎外の現実に、なぞらえているのです。
もしろんポエムとして、美しく昇華されたそういう哀しさに対する処方箋はない。それを解決する力は詩人の自分にはない。
だから、少し美しい絵空事で、現実を彩るのが精いっぱい…
忘れた歌を思い出すまでに、われわれは滅びてしまうかもしれないが。
自主企画参加用・超短編『猫の忘れ物』 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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