第18話 文化祭
いつもより早く目が覚めた。
ドキドキしているし、ワクワクしている。
いつもはつけない良い香りのする母のスタイリング剤を肩までの髪につけるが何が変わったかは判らない。
学校までの道のりもいつもの朝より明るい気がする。
クラスの出し物は展示物なので当日やることはない。
9時からの三年生の舞台は全校生徒全員で鑑賞。
そこから各自自由行動。体育館では引き続きダンス部や有志のグループがアイドル曲などで踊る。
軽音のバンドは音楽室で11時から。
その時間まで七星とそのまま体育館でで過ごす。
流行りの振りや曲で体育館全体が大盛り上がりだ。
軽音のみんなもここにいるかな。
どんな風に過ごしているのだろう。
楽しんでいるのか、緊張しながらその時を待っているのか。
自分は断然、後者だった。
こんなにも自分に目が向く中でよくあんな風に全身が動いて、声が出るものだ。
思えば思うほど身体がこわばっていく。
まずい。
「七星」
「ん?」
「ちょっと早いけど先いくわ」
「おっけ、また後でね。がんばれ」
意識はしていないものの音楽室へ向かう足はとても早かった。
小さく弦楽器の音が漏れ聞こえてきてほっとした。
防音扉を開くと、みんながそこにいた。
「芽実ちゃーん!おはよう!」
明るい桜木先輩の笑顔を見ると喉が熱くなった。
「こらこら!泣かないでよ!?緊張しすぎ!!」
「だって。、私大丈夫なんでしょうかぁあ」
「そのために早くに来たんでしょ、大丈夫!取り敢えず声出そう。その前に、おいで」
「へ……」
手を引かれて連れて行かれたのは女子トイレの鏡の前。
「今日は髪に何かつけてるんだね。えらいえらい。下手くそだけど」
「へへへ」
持ってきたポーチを探ってコンパクトを出した。
「眼鏡取って」
言われるまま従う。
ぽんぽんと顔を抑えていきながら呪文を唱えてくれる。
「大丈夫大丈夫。絶対できるから。はい、目閉じて」
アイラインを引く。
「ほら、今日はいつもの中川芽実じゃない。みんなの前で歌える自信がある」
薄く色づく桜色のリップを手渡してくれた。
新品だ。
「はい、最後にこれ塗って。きっと似合うと思って買ったの。あげるね」
魔法のアイテム。
グッと噛み締めて鏡に映る自分を変身させた。
「ありがとうございます」
「失敗なんかないから。わたしは芽実ちゃんを選んだんだから」
よし。どうにかなれ。どうにでもなれ。
私はこの人に報いるだけ。
11時。はじまる。
桜木先輩がマイクで軽音楽部の紹介と「気になった人は是非一緒に音楽しましょう」と案内をしてから曲をはじめる。
結構な数の生徒が入っている。渡瀬先輩もかっこいいし、桜木先輩も可愛いもんなあ、そりゃ観たくなるよ。
私は藤澤くんのノートに出逢っていなければ。軽音楽部に入っていなければ。多分わざわざここにはこないだろう。
楽しそうに騒ぐ体育館に滲んで、そのあとは自分のクラスの端に座って携帯を弄りながら七星とだらだらお喋りをしているんだ。
ギターが、ベースが、ドラムが肌をビリビリと震わせて、歌声がぎゅっと心臓を締め付けるこんな心地いい体験、出来なかった。
小さく一緒に歌う観客。
渡瀬先輩が歌う姿をみて目をハートにする女子生徒たち。
桜木先輩が掻き鳴らすギターに痺れる男子生徒たち。
まるちゃんは相変わらず安定していて、後藤くんは練習の時よりも明らかに楽しんでいるのがよくわかる。奈良にも「あのギターの人、かっこよくない?」との声がかけられている。
もうすぐ私の番。
隣で同じ時を待つ藤澤くんへの気まずさは今日はかなり薄れていて「緊張する……」と話しかけるように吐いた。
「大丈夫。間違えても止まらずに歌い切って」
色素の薄い瞳が少し濡れて潤んでいる。
綺麗だな、と思っているとしばらく目を離せないでいた。
「え、なに?」
「あぁ、いや。ごめん。」
もうすぐ2曲目が終わる。
「あの。……ノート。ごめんなさい」
アウトロ。
「絶対今じゃ無いでしょ」
軽く笑って一歩踏み出した。
音が止まって拍手が鳴る。
追って自分もマイクに向かった。
桜木先輩と渡瀬先輩は少し遠い。
前に沢山の目がある。ちょっとこわい。
でも私はあかねさんの気持ちを掬って、ゆづるさんにぶつける。
きちんと確かめるため眼鏡は取らない。
カラカラに乾いた唇をピンクのリップで潤した。
後藤くんに、奈良に、藤澤くんに、こくんと軽くうなづく。
後藤くんが大袈裟に両腕を振り上げて音が鳴り出した。
Bメロまでは歌詞の感情を汲んでも落ち着いて歌える。
ありがとう、大好きだったの本当に。
初めて2人で見た桜も、次に見る時はひとりで。
きっと全く違う色に見える。
それでも、ごめんね。
どうしてもわたしは同じ色を一緒に見ることはできないんだ。
そばにいたのが大好きだった貴方だったからこそ、私はわたしをいきていける。
2回目のサビ。
沢山の視線の中、潤むものがちらほらみえる。
唇を噛む姿も見える。
確認するようにひとつひとつ拾っていく。
桜木先輩も、渡瀬先輩からも笑顔が消えている。
見ている、私を。
わたしたちの世界。
ブリッジ、桜木先輩から静かになみだが流れた。
喉が締まる。ああ、くそ、負けない。
私はやり切るんだ。
ラスサビまでの短い間奏でマイクを離して
「あ゛あぁっっ!!!」
と叫んだ。通す。最後まで絶対この声を通す。
後ろを、隣を見る。同じ気持ち。
たった一曲。3分と少し。
それだけで私たちはこの空間を自分たちの色にする。
はあ。
アウトロ。終わった。
出し切った。すごい疲労感。
ありがとうございました、は頭を深く下げたせいでマイクが拾わなかった。
顔をあげるとたくさんの拍手を貰えたけど、酸欠なのかフラフラして端に退いた。
振り返ると藤澤くんがセンターに移動していて奈良がギターを持って出てきている。
あれ。
渡瀬先輩は「?」いう顔をしているが、桜木先輩は藤澤くんをじっと見ている。
何も取りこぼさないようにと真剣な目で一直線に。
ゆっくりと音が鳴りだし、歌い始めるが「誰のうた?」「なんの曲?」と生徒たちがこそこそと話している。
最後列に長岡がいたことを確認したところでハッとした。
知ってる。
私はこの曲を。
急いで七星がいた方向をみるとやっぱり目が合った。何度も頷いてみせた。
藤澤くんの声が淡々と水色のノートをなぞっていく。あのまんまでは無いけれど“そら”の姿をみた。
やっぱり、美しくて優しくて、重いけど素直なそのことばたち、私は、だいすき。
渡瀬先輩も内容に気づいたみたいだがまだ戸惑っている。
知らなかったんだ。
ってことは話している中で歌詞を編んでいった。
彼氏はどれだけ詩的なことばを並べて彼女のことを語ったんだろうか。
その光景を想像すると胸が暖かくなった。
『茜色の風が滲むふたりの影を寄せて、遠ざけて、いつかまた重なる時を信じて』
桜木先輩がぽろぽろと泣きながら隣に居る渡瀬先輩の手をぎゅっと握っていた。
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