救済士たる者(ユリア視点)
「なっ……」
テオが絶句するなか、二匹の蛇はともに牛のような獣の形へ変貌。真っ正面から頭突きを見舞ってくる。
その頭突きは直撃した。テオは突き飛ばされ、激突した壁の瓦礫に埋れる。
ユリアが青ざめていると、その瓦礫の山からは怒号が響いた。
「怯むなっ!」
テオの声だ。テオは瓦礫を突き崩し、意気軒昂な姿を見せてくれた。
「総員構えろ! 敵に隙ができた! 一斉に〈
テオの号令を聞くやいなや、ユリアは手のひらをフィーネに向ける。
「──聖人イリスよ、神域への干渉を赦せ。祝福の導きに従い、奇蹟へ触れることに是を示せ──旭を誘い、森羅万象を照らせ〈
救済士全員が、一斉に詠唱を始めた。直後、目を瞑りたくなるほどの光が発散する。
それは、低級聖術に属する〈聖矢〉だった。
殺傷力が高い聖術とは言えない。だが大人数で掛け合わせれば、天級聖術にも匹敵するほどの力を生む。一本一本は溶けるように融合していき、やがて人の身長をゆうに超える巨大な矢が顕現した。
この矢に貫かれれば、人の身などひとたまりもないだろう。だが、フィーネは恐れる様子を見せない。狂気じみた笑みを浮かべたまま、天井に腕を掲げる。
「いひっ」
樹液が豊富な木に群がる甲虫のように、瘴気がフィーネの腕に絡みついていった。そして瘴気が腕を覆い隠し、砂粒ほども肌が見えなくなった直後、フィーネは耳を塞ぎたくなるような高笑いを響かせる。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ‼」
突如、フィーネの腕を覆う瘴気が弾け飛んだ。それは周囲に破壊を撒き散らす。
瘴気で襲われた救済士はたちまち昏倒した。巨大な〈聖矢〉は消失する。
天井や壁は砕かれ、城塞は不安定な構造と化していった。足場が揺れ動き、ユリアはやむなく片膝を突く。
「退避だ! 総員、負傷者を抱えて城塞の外に退避しろ!」
顔を歪めながら、テオが指示を出した。
ユリアは身体を翻し、仲間が穿った風穴から外に飛び出す。
救済士はあらかた脱出できたように見えた。だが敵が消えても、破壊を撒き散らす音は断続的に響く。広間があった一角は蜂の巣と化し、ついには虚しく倒壊してしまった。
森が轟然たる音に包まれる。
ユリアは耳を塞ぐ。しばらくすると静寂が顔を覗かせてきた。
「──」
ごくり、と生唾を呑む。
フィーネは、城砦の倒壊によって死んだのか。だとすれば間抜けとしか言いようがないが、呪禍は知性を備えているようには見えない。先を見越すことができない低脳な獣に成り下がっていたとすれば、このような事故が起きないとも言い切れなかった。
肩透かしを食らったような気分になる。だが、どんな形でも目的を完遂できたなら言うことはなかった。
ユリアは顔に安堵の色を滲ませる。
微かに声が響いてきたのは、そのときだった。
「いひ」
ユリアは反射的に肌を粟立たせる。
瓦礫の山が、ゴトリ、と動いた。直後、瘴気で作られた巨大な針が這い出てくる。
針は瓦礫を串刺しにし、数珠つなぎに縛り上げていった。太い瓦礫の束に、細い瓦礫の束が連結していき、頭に胴に四肢──それは最終的に人型を取る。
「──っ」
ユリアは息を呑んだ。
フィーネが何を創造しようとしているかが分かってしまう。
きっと、それは〝ゴーレム〟だ。瘴気の針を骨、瓦礫を肉とすることで、フィーネは意のままに操れる怪物を生み出そうとしているのだ。
見立てに間違いはなかった。ユリアの身体を影が覆っていく。瓦礫の角が残り、不格好ではありながらも、巨大な体躯を持つゴーレムが顕現した。
そのゴーレムによる足踏みで地面が揺れ、ユリアは這うような姿勢を強いられる。体勢が崩れたいまだと言わんばかりに、ゴーレムは砲弾のような拳を飛ばしてきた。
「ぐっ、ぎゃああああああああッ‼」
地面をも抉り取るような拳が、救済士を次々と押し潰していく。
最早、それは戦いとは呼べない。一方的な蹂躙だった。
阿鼻叫喚の嵐が渦巻く。熟練の救済士でさえ、支部長のテオでさえも、フィーネに翻弄されるがままだった。
ふと思わされる──勝てない。
ユリアは逃げる気力も削がれ、その惨劇を呆然と眺める。
そんななか、残忍な拳がついにユリアにも牙を剥いた。空気を押し退けるようにして、一直線に向かってくる。それでもユリアが固まったままでいると、ふいに脇から影が滑り込んできた。
「何やってんだ! 逃げろっ!」
影の正体は、オイゲンだった。ユリアはオイゲンに蹴られる。
そのおかげで、ユリアは拳を避けられた。だが、オイゲンが代わりに拳を食らい、森の茂みまで撥ね飛ばされる。
「アンタっ──」
その瞬間、ユリアは我に返った。
一体、何をしている? 敵を目前にしても動かず、ただ守られるだけの存在に成り下がって、どういうつもりだ?
ユリアが憧れた救済士の姿はそんなものではないだろう。救済士は立派である必要がある。市民の規範となる存在である必要がある。だから、どんなに敵が強大でも臆してはならない。果敢に立ち向かっていかなければならなかった。
「ああああああああっ!」
ユリアは吼えながら、二本の脚で立ち上がる。
「蒼穹を開き、大地を包め〈
詠唱するなり、純白の光が発散した。
ユリアは〝月〟に関する聖術に長けている。〈
「──止まりなさいよっ!」
ユリアが叫ぶやいなや、ゴーレムを構成する瓦礫から軋むような音が聞こえた。そのまま、動きが止まる。効いているということか。
ユリアは口で弧を描いた。だが、それはすぐ一本線に戻る。
「……え?」
ゴーレムが動きを止めたのは一瞬。本当に一瞬だった。何事もなかったのように、ふたたび腕を振るってくる。
「がっ……」
ユリアはその腕に薙ぎ払われ、地面を転がった。
激痛が全身を覆う。だが、のたうち回っている暇はない。すぐに体勢を立て直し、ゴーレムの追撃に備えようとする。
違和感を抱いたのは、その瞬間だった。右腕と右脚が動かない。無理に動かせば激痛が走る。骨が折れているようだ。これではどうすることもできない。
ユリアは両脚を投げ出したまま、唇を震わせた。
「い、いやっ──」
ゴーレムは、ユリアを巨大な掌で掴んでくる。ユリアは左腕と左脚で必死に藻掻いた。だが、まるで意味をなさない。
「いひ」
口角を吊り上げたフィーネが虚空を掴む。その動きと連動し、ゴーレムの握力も強まっていった。肺が圧迫され、内臓が押し出されるような感覚を味わう。視界は不明瞭になっていき、意識は朦朧とし始めた。
──ここまでか。
ユリアは死を覚悟した。
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