作戦開始(ユリア視点)
森の丘に古城が聳えていた。見張り台の機能を備えた塔が並び、それらに囲まれるようにして居館が建てられている。古城の周りには高い壁が巡らされており、その壁の横合いには侵入者を奈落へ突き落とす溝が掘られていた。
ユリア・ゲッフェルトは、そんな古城を離れた場所から睨むように見つめている。
「──作戦を確認する」
物々しい声が響いた。その声を放ったのは、救済士協会レオノーレ支部の長テオ・オーベルシュタットだ。ユリアを含めた、数十人の救済士が一斉に顔を向ける。
「最終目的は、フィーネ・ラングハイムの抹殺だ。偵察より、彼女はあの城砦に運ばれたと報告を受けた。フィーネ・ラングハイムは呪禍の負荷によって、一時的に昏睡を余儀なくされているらしい。であれば、いまがチャンスだ。呪禍が身体に馴染む前に、フィーネ・ラングハイムの命を奪う」
瞳に凄みを宿しながら、テオは続けた。
「だが、敵はフィーネ・ラングハイムだけではない。騒動を引き起こした張本人は、かつて叛逆の徒で破壊と虐殺を重ねてきたヴォルフラム。その男とも対峙することになるだろう。ヴォルフラムは屍を使役する死霊術を扱う。使役している屍は二体。イザーク・ブライトナーとカトレア・アイヒンガーだ」
イザークは〈
「ヴォルフラムは肉弾戦に長けていない。前に出てくることはないだろう。よって、作戦はこうだ。俺が前々代支部長の対処を試み、カトレアは精神干渉に耐性がある数人が対処を試みる。そして道をこじ空け、残りの救済士がヴォルフラムとフィーネ・ラングハイムに襲撃を掛ける。いいな?」
救済士一人一人を見回しながら、テオは確認する。
そのとき、ユリアはふと気付いた。声が普段よりもわずかに低い。そこには戸惑いが垣間見えた。
無理もない。
救済士協会はこれから、フィーネを抹殺する。そのフィーネに罪がないことは分かりきっていた。だが市民の命を危機に晒さないため、救済士の責務を果たすため、任務を遂行しようとしているのだ。そこに戸惑いを抱かないわけがなかった。
ユリアも例外ではない。戸惑いがある。だが、参事会の判断が正しいというところは揺らがない。だから、従うのだ。
「──突入する」
テオは言い捨て、張り詰めた表情で古城へと向かう。
他の救済士は続き、城門と伸びる道を駆け抜けていった。
木製の門扉に孔を穿ち、救済士の一団は強引に城へ侵入。それから寝室や厨房として使われていた部屋を一つずつ確認し、最後に蝋燭の明かりが漏れてくる広間を発見した。
そこにいる。フィーネが、ヴォルフラムが、そこにいるのだ。
テオは壁に背中を預け、深呼吸をくり返す。
「行くぞっ!」
勢いよく扉を蹴破り、テオは部屋に踏み込んだ。
ユリアも同じように部屋に踏み込んで──その直後に見た光景に愕然とした。
「何、これ……?」
亡骸が二つ転がっている。
一人は白い髪を伸ばし、口髭を蓄えた老人。もう一人は背が低く、錫色の髪を持つ女性だった。二人の肌は
二人の胸には、巨大な孔が空いている。あんな孔があるという報告は受けていない。死霊術の知識はないが、二人は致命的な損傷を受けたがため、活動を停止したように思えた。
ならば、それは誰の仕業なのか。ヴォルフラムはどこに消えたのか。
ユリアが当惑していると、広間奥の影から声が聞こえてきた。
「は、はは……最高だよ……」
それは、歓喜を抑えたような声だった。蝋燭の炎が揺れ、影に隠れたシルエットが明らかになる。
ユリアは息を呑み、あんぐり口を開ける。
声を発した者の正体は、ヴォルフラムだった。
ヴォルフラムは宙に浮いている──と思ったが、すぐ認識の誤りに気付く。ヴォルフラムは胸を穿たれ、その胸を貫く腕によって身体を持ち上げられていたのだ。ならば、それは誰の腕か。
「いひ」
喜ぶような声が響く。
ユリアは目を凝らした。人形のように小ぶりな顔、ミルクのようにきめ細かい肌、卵のようにくりんとした瞳──聞いていた特徴と相違ない。
フィーネ・ラングハイムだ。ヴォルフラムの胸を貫いていたのは、フィーネだった。
「紅薔薇だけじゃなく、イザークまでひと捻りだなんて……やっぱり、これなら世界を壊せる、世界を白紙に戻せる……一族の悲願を果たせるぞぉ……‼」
ヴォルフラムは恍惚な表情で、高らかに叫ぶ。
次の瞬間、ザシュッ、と肉を抉るような音が響いた。身体の内側から漆黒の棘が突き出し、一瞬のうちにヴォルフラムは無残な肉片に変えられる。
蘇生の兆しは一向に訪れなかった。今度は、変えられない運命の死だったか。
「──」
足を半歩引きながら、ユリアは事態を理解した。
フィーネ・ラングハイムが、目を覚ましていた。そして衝動が赴くままに、みずからを信奉する者さえも殺していた。
混乱するとともに、恐怖が身体を硬直させる。それは他の救済士も同様のようだ。みな目をひん剥いたまま、動かない。
「あーは」
フィーネが首を回し、ユリアたちを見据えてきた。
幼児のように無邪気な顔だ。だが、眼差しだけは肉食獣のように鋭い。ユリアを蝕む恐怖が一気に膨張した。
そのとき、怖気を払うような、ドンッ、という音が響き渡る。
「臆するな! ヴォルフラム、イザーク・ブライトナー、カトレア・アイヒンガーは無力化された! 残すは当初の目的のみだ! フィーネ・ラングハイムを打倒せよっ!」
テオが床を踏み締めながら、気勢高らかに叫んだ。その言葉をきっかけに恐怖は薄らぎ、ユリアの硬直は解ける。
「うおおおおおおおっ!」
雄叫びを上げながら、テオは天井ぎりぎりまで跳躍。フィーネの頭上で、大剣二振りを振り下ろす。そこには一切の容赦がなかった。
「いひひ」
不気味に笑うフィーネは前方に腕を掲げ、漆黒の瘴気を滲ませた。瘴気は収束し、結合し、盾に変貌を遂げる。
テオは眉を寄せながらも、判断を変えることなく大剣を叩きつけた。
直後、ガキンッ! という音が響く。
「むうっ⁉」
大剣二振りはどちらも弾かれてしまった。テオは、地面に背中から落ちる。
フィーネは口元を吊り上げながら、滲ませた瘴気を二匹の蛇に変えた。
二匹の蛇はそれぞれ別の大剣に巻き付き、強烈な力で締め上げる。すると虚しい金属音を立て、二振りの大剣は折れてしまった。
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