殺戮人形ゆえ(フィーネ視点)
「──?」
はっとして、意識が冴える。
フィーネは一人、自室で佇んでいた。
頭が留守になっていたようだ。
いままでしていたこと、これからしようとしていたことが、まったく思い出せない。知らぬ間に疲労が蓄積していたのだろうか。一度休養を取る必要があるかもしれない──そんなことを考えながら、フィーネは椅子に腰掛けようとした。
そのとき、ふと違和感を覚える。
視界に映る景色がなぜか灰色だったのだ。
フィーネは訝しむ。だが、深く気に留めることはなかった。元々、自分の世界はこれぐらい色褪せていた気もしたからだ。
それから、フィーネは退屈を紛らわせられるものを探す。そして見つけた、一冊の本を手に取った。
それは『ガーデニア姫物語』という小説だった。
退屈な日々を送るガーデニア姫が、平民の少年クリスによって街へ連れ出され、新しいものに触れていく──それが、この小説のあらすじだった。
王子様に救出されるような劇的な展開はない。それゆえ他の小説と比較し、『ガーデニア姫物語』は人気がないそうだった。
しかし、フィーネはこの『ガーデニア姫物語』が他のどの本よりも好きだった。それは、これが友達と過ごす感覚というものを擬似的かつリアルに味わわせてくれる作品だったからだろう。
呪禍に取り憑かれたフィーネには、こんな諦めがあった。
──私に友達は作れない。
そんなフィーネだからこそ、『ガーデニア姫物語』から得られる体験は特別なものに感じられたのだ。
その体験は、何度読んでも輝きを失わなかった。だが、そうするたびにフィーネの諦めは強まっていった。現実との差をどうしても意識してしまうからだ。
そして、ある瞬間にその諦めはこんな戒めに変わった。
──そもそも、私は友達を作ってはいけない。
傷付けてからでは、殺してからでは、何もかもが遅いのだ。
だから、他者と距離を置いた。それだけでは不十分に思い、さらに壁も作った。
だが、そんな距離を詰め、そんな壁を壊してきた者がいた。カミルだ。
そのカミルも当初は、フィーネとどんな関係を築きたいのかが、まだ不明瞭だったらしい。
しかし、グレータからフィーネの境遇に関する話──その話は事実と違う点が一部あったが──を聞いて、答えが出たそうだ。カミルは、フィーネと友達になりたいと明確に思った。そのことを伝えるため、嵐期のなか危険を顧みず、フィーネを冒すヘルミーネ咽頭炎の薬を取りに行ってくれた。
フィーネには、誰とも関係を築かないという決意があった。だが、カミルのその行為で決意が揺らいだ。そして、市に出向く約束をしてしまった。
その日、カミルが帰ってから、フィーネは後悔し、自責した。呪禍に取り憑かれていることを忘れたのか。指輪が外れるようなことがあって、カミルを傷付けてしまったらどうする。
そんな思いを抱えながらも、フィーネは最後まで断りを入れることはできなかった。約束通り、カミルと市を回ることになる。
不安や恐怖で、市はまったく楽しめないと思っていた。だが、そうはならなかった。気付けば、それらの感情は薄れていた。その上で、フィーネはカミルと回る市を心から楽しんでいたのだ。
そして、市が終わりに差しかかったころに自覚する。胸には、カミルに対する親しみが湧いていた。フィーネも、カミルと友達になりたいと思っていたのだ。その思いを、カミルは優しく受け止めてくれた。
こうして、カミルと友達になれた。フィーネは、その事実がとても嬉しかった。
あの瞬間の気持ちを思い出し、ふたたび味わおうとする。
そのときだ。フィーネの視界が唐突に切り替わった。
凄惨な光景が目に飛び込んでくる。
──何、これ。
喉が干上がった。
巨大なゴーレムが救済士たちを蹂躙している。押し倒し、薙ぎ払い、踏み潰し、蹴り飛ばし、情け容赦なしにねじ伏せていた。
フィーネは遅れて気付く。このゴーレムはフィーネが、正確にはフィーネに取り憑く呪禍が操っているものだったらしい。
──やめて。
精一杯の声で叫ぼうとする。だが、口は動かなかった。それもそのはずだ。身体はすべて、呪禍の制御下に置かれているのだから。
フィーネは、その蹂躙を眺めるだけとなる。そんななか、ふいに痛感させられた。
五年間の歳月を経て、どうやら自覚が薄れていたらしい。
フィーネは、ただの殺戮人形なのだ。
殺戮人形が友達など作れるわけがない。つながりなど求めてはいけない。いや、そもそも生など願っていいわけがなかった。
すべて諦めるべきだったのだ。
もっとカミルと一緒の時間を過ごしたかった。
一緒にお菓子を食べてみたかった。一緒に料理がしてみたかった。一緒に本を読んでみたかった。一緒に楽器を奏でてみたかった。一緒に洋服を買ってみたかった。一緒に演劇を鑑賞してみたかった。一緒にピクニックがしてみたかった。一緒に山菜を採りに行ってみたかった。一緒にボートを漕いでみたかった。一緒に海水浴がしてみたかった。一緒に星を眺めてみたかった。
だが、どれも叶うわけがなかった。
どれも、どれも、どれも、どれも、どれも、殺戮人形には過ぎた欲望だった。
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