第5話 Infancy(幼年期)5

 帰りの行程はドナルドの遺体がない分身軽なうえ、坂も下りで、朝早く山麓さんろくを出立したK達は昼過ぎには院に辿り着いた。

 だが、院に到着すると新たな騒ぎが起こっていた。帯刀が前日から姿を消したというのである。

 話を聞くと、最初のうちは院に残った大人達は余りそのことを重視していなかったようであった。ドナルドと帯刀の仲は誰もが知ることであったし、おそらく帯刀は友の死をどこかで一人ひっそりといたんでいるのであろうと、思っていたらしい。

 だが、彼が食事を夜、朝と連続して欠食するに当たって、大人たちは疑惑を抱いた。

 まず帯刀の部屋が調べられた。皆と同じように質素なものしか置いていない部屋であったが、幾つかあるはずの衣装がすっかり持ち去られているのを見た大人は、帯刀が院を抜け出したのだとようやく悟った。

 それまでも失踪をした子供たちは何人かいたらしい。だが皆、どこかへ行き着く前に連れ戻されたということであった。

 院から、人が住んでいる別の場所へ行き着く道は子供たちには教えられていない。連れられてきたときの記憶も曖昧あいまいな上に、院から出る道は、一見どれも人里に繋がるように見えるが、幾つにも分かれる道のうち、人里へ繋がる道は僅か一本なのである。そしてその道は最後の場所で交差を隠されている。Kがそのことを知ったのは後に、人に連れられてこの院から出るときに付き添った男から聞いたもので、この時は、まだそのことすら知らなかった。


 埋葬から戻った者たちも旅装を解くなり早速、帯刀の捜索に加わることになった。Kは曽良に付き従うことになった。

「はぐれるな。はぐれれば、今度はお前が迷うことになる。迷えば下手をすれば戻ってこれぬ。お前は大人と違って道を知らぬ」

 曽良は苛立たしげに言った。足手纏あしでまといを押しつけられたとでも言うような表情であった。

「はい・・・」

 足手纏いというならばなぜ自分はこの捜索に加えられたのであろうか、と疑いを抱きつつKは曽良の後を懸命に追った。

 それにしても・・・いったい帯刀は何から逃げたのだ?逃げる先にあてでもあったのであろうか?

 曽良の脚はドナルドの葬儀に向かうときとは段違いに早かった。彼よりも二十も年下の筈のKも付いていくのに精一杯だった。2時間ほども歩いたであろうか、埋葬から戻ったばかりの脚は疲れ果てていた。

「休むぞ」

 曽良の言葉に返す気力もないまま、座った曽良の横に崩れ落ちるように腰を下ろした。山を遠くに望む、小さな丘の辺りであった。

「本当に・・・」

 喘ぐようにKは言った。

「こんなやり方で見つかるのですか?」

「大丈夫だ。お前達は知らないが、我々はこの場所を隅から隅まで知っている。それを分担して探しているのだ。私たちが見つけられなくとも、必ず誰かが見つけることが出来る筈だ。その前にあの男が死なぬ限りは」

「死なぬ限り・・・」

 荒れた息づかいで言うと、なぜかその死がひどく現実的なおそれのような気がした。

「そうだ。人は様々な理由で死ぬ。飢えで死ぬかも知れない。過ちを犯して罰せられて死ぬかも知れない。或いは生きる力を失って死ぬかも知れない」

 曽良の表情は引き締まっていた。ドナルドの埋葬の時はそれなりに厳粛な表情だったが平静であった。その時とは少し異なる表情だった。

「帯刀が死ぬのは困るのですか?」

「ん?」

 その問いに曽良は刺すような視線でKを見返した。

「いや・・・ドナルドが死んだときは、余り、皆、困りも悲しみもしなかったようだったので」

「ああ」

 曽良はふっと視線をKから逸らした。

「困る、ということはない。だが、もしも帯刀が死ねば・・・それは慮外りょがいなのだ」

「慮外?」

「うむ。そのことはそれ以上聞くな。いずれにしろ、早く見つけねばならない」

 そう言うと、それ以上の質問を断ち切るかのように曽良は立ち上がった。休息は全然足りなかった。つまらぬ質問をして休息の時間を短くしたように思え、自らの愚かな行為にため息をつきながら仕方なく立ち上がったKの耳に誰かの呟く声が聞えたような気がした。


 だが懸命の捜索にも関わらず、帯刀は一向にみつからなかった。

「他の誰かが見つけたということは・・・?」

 太い木の根元で二度目の休みをしている時に曽良に尋ねると、曽良は小さく首を振った。

「ならば分かる」

「・・・」

 Kは曽良の顔を覗いた。だが「分かる」というその理由は彼の口から語られなかった。

「良かったら・・・分かれて探しませんか?」

 Kが言うと、曽良は即時に却下した。

「それではお前も道に迷う。言ったであろう?」

「そんなことはないと思います」

 自信ありげに言ったKの言葉に曽良は視線を上げた。

「なぜ、そう思う?」

 探るような視線を曽良は浴びせてきた。

「探している間中、誰とも会いませんでした。帯刀はもちろん、誰とも・・・。誰の声も聞えません。おそらくは皆私たちと同じように名を呼ばわっているはずなのに」

「距離が離れているからであろう」

 そっぽを向いた曽良に向かって、Kは話し続けた。

「思ったのですが、私たちが探しているのは閉じた空間ではないのですか?」

「閉じた・・・」

 曽良は奇妙な目つきでKを見つめ返した。

「どういうことだ?」

「私たちは同じところを歩き回っている、そんな気がするのです。ですが道は続いている。誰とも出会うことはない。それは・・・」

 曽良は答えなかった。ふと思い付いた考えだったが、曽良のそんな様子を見てKは自信を深めた。

「それにこのあたりに帯刀はいる。つまりここが閉じた空間である限り私たちがみつけねば、誰もみつけることはできない。そう思います」

 その言葉に曽良は強く反応した。

「どうしてそう思う?・・・つまり帯刀がこの近くにいると」

「最初、休んだときにどこかに帯刀が隠れている気配がしました」

「・・・」

「恐らく、僕たちは帯刀と同じ空間にいます。ならば分かれて探したほうが効率的でしょう。或いは人をこの空間にもっと呼べば」

「なぜ・・・」

 そう言って曽良は口を閉じた。なぜ・・・それはさっきと別の質問であろう、と思われた。Kは慎重に答えた

「ずっと同じ音がするのです。せせらぎのような。まとわりつくようなその音は院の近くでは聞えませんでした。ですが、どこからとは言えませんがあの最初の休息を取った少し前からずっと聞えています」

 そう言ったとき、曽良は再び奇妙な目つきでKを見て、それから視線を逸らした。

「そうか、お前には聞えるのか」

「はい・・・」

「ならば、お前の言うとおり、分かれて探そう」

 曽良は頷いた。

「ありがとうございます」

「ただ、時間が来たら見つかるまいと、私の名前を一度だけ叫んでその場に暫く留まれ。見つけたときも同じだ。そうすれば私はお前のいるところへ辿たどり着ける。一人でなんとかしようなどと思うな。そうすれば抜け出せなくなることもある」

「分かりました」

 Kは返事をした。抜け出せない・・・。やはりここは閉じた空間なのだ。そして今、その空間にいるのは曽良、自分、そしておそらくは帯刀の三人だけなのだ。

「そうか・・・聞えるか」

 曽良は再び呟いた。

「そうだな。お前が一人のほうが見つけられるかも知れぬ」

 曽良はうっそりと立ち上がった。

「時間は、日暮れまでだ。その後は・・・」

「その後は・・・?」

 Kの問いに答えることも、振返ることもなく曽良は立ち去った。太陽は西の空へと傾きつつあった。


 Kは、最初に休んだ場所へと向かっていた。誰かの呟き声を聞いた、そんな気がした場所である。山の形と、木々の様子を見ながらそこに辿り着くと、Kは周辺を丁寧に探り始めた。

 せせらぎの音は絶えず微かに聞えるのに、どこにも川はない。だが、その場所ではせせらぎの音が二重に聞えていた。通奏低音のようにいつも聞える淡々とした流れの音と別に、もっと弱い、少し息切れのするようなひそやかな水の噴く音。それはまるで死者の息切れのような音でもあった。

 だがそれこそが、本物の水の流れの出す音の様にも思えた。もし、自分が帯刀なら、水を見つけたらよほどのことがない限りそこから動こうとはしないだろう。

 細い山道が丘陵の作る裾野と平行に走っているだけで、そこから下へは小さな藪をかき分けて降りていかねばならないような場所だった。急峻きゅうしゅんというほどではないが、下手を打てば滑り落ちかねない坂になっている場所をKはゆっくりと踏みしめて下がっていった。

 水の音は下がるにつれて、少しずつ大きくなっていった。

 しかし、辺りを見回してもどこにも川は流れていない、泉が湧いているわけでもない。Kは少し平坦になった場所を見つけると、そこにうずくまって地面に耳を押し当てた。

 水音が急に生々しく聞えてきた。それは死を予感させるような微かな音ではなく、奔流のように力強い音であった。

「地下に水が流れているのか?」

 呟くと、Kは辺りをもういちど注意深く見まわした。灌木かんぼくの茂み、夏の陽に向かって手を伸す蔓草つるくさ、Kの三倍ほどの高さまで育ったが、そこで成長を止めて立ち枯れていく運命らしい木々。

 一つの大きな灌木の茂みの脇の地面の土が黒いのを目聡めざとく見つけると、Kはそちらへと足を向けた。黒いのは濡れた土だった。

「この辺りに水が染み出ているのだろうか」

 そう呟くと、もう少し観察しようと身を乗り出した。すると、その土の上に足跡がついているのが見えた。Kは構えつつ、灌木の茂みにゆっくりと更に近づいていった。だが、そこには人の姿はなかった。ただその代り、更に低い場所へと続く緩やかな道のようなものがあった。その土の表面はやはり黒く湿っていた。

「昔あった河の跡だろうか?」

 足跡はその土の表面を下へと向かっていた。Kは空を見上げた。空の一部は鴇色ときいろに染まって、日暮れが近いことを告げていた。

「もう少しは大丈夫だろう」

 誰にともなく呟くと、Kはその坂をふたたび慎重に下っていった。


 坂の途中に人が一人、すっぽり入れるほどの小さな洞穴が口を開けていて、足跡はそこに続いていた。帯刀がそこに隠れているのは間違えなかった。洞穴の中からは、先ほど地面から聞えていた水の流れる音が微かに響いていて、地面の下を流れる水がそこにも流れ込んでいることを示していた。

 帯刀は水を求めている内にここに辿り着いたのだろう、Kはそう考えた。

「帯刀」

 Kは名を呼ばわった。洞穴からは自分の声が谺して返ってきただけである。だが、間違えなく帯刀はそこにいる。

「ここからはのがれられない。分かっているだろう。出てきた方が利口だ」

 中で何かが動く音がした。

「帯刀」

 Kは再び呼びかけた。

「呼び捨てるな」

 苦々しい響きの声が返ってきた。

「ドナルドが死んだからと言って、お前が俺の年上になったわけではない。馬鹿にしているのか」

「そういうわけではない。だが、子供同士は呼び捨てが習わしだ」

「ふん・・・」

 鼻を鳴らす音と共に中から帯刀が顔を覗かせた。僅か1日の逃亡の筈だが、髪は乱れ顔には泥がついて、着ているもの襟はよれよれになっていた。だが、眼光は鋭かった。

「なぜ、ここだと分かった?」

「声が聞えた」

 Kは短く答えた。

「声?俺は声など出しておらん」

「いや・・・確かにお前の声だった」

 そう続けたKに向かって帯刀は首を二度振った。

「お前たちが近づいてきたのは分かった。俺を呼ばう声を聞いたからな。お前と・・・曽良師の声だった」

「ああ、その通りだ」

「声の聞える間中、俺はここに身を隠していた。声も出さずに、息を殺してだ」

「だが、声は聞えた」

 Kは反論した。

「そんなわけはない」

 帯刀も強情だった。

「ならばお前の・・・心の声だったのかもしれない」

「それはもっとない」

 帯刀は切り捨てるように答えた。

「俺は見つかることを望んでいなかった」

「だが、現実にお前はここにいて、俺はそれを見つけた。それがお前の心だったのではないか?」

 Kの言葉に帯刀は沈黙した。

「俺は・・・声など出してはいない。それにお前たちに見つけて欲しいなどと、これっぽっちも思っていなかった」

「まあ、いい」

 Kは手を差し出した。帯刀はその手をつかみ、穴から這い出た。

「逃げそこねた」

 吐き捨てるように帯刀は言った。

「どこへ逃げるつもりだったのだ?」

 Kの問いに帯刀は視線を遠くへ彷徨わせた。

「・・・。どこでも良かった」

「逃げられると思ったのか?」

「この世界はどこかに繋がっているはずだ。そうではないのか?俺たちはどこかから連れられてやってきた。ならばそこに戻る道もまたあるはずだ」

「そうかもしれない。だが、お前が逃げたと知れたとき、おそらく空間は閉じた。それも小さくな」

「空間が閉じた?小さく・・・どういうことだ?」

 帯刀は鋭い視線をKに向けた。

「仕組みは分からぬ。だが、この場所は何かが起きない限り、どこにも繋がらない。部屋の扉が閉じてその中をぐるぐる回っているようなものだ。おそらく曽良師がいなければ、院にも戻れぬ」

 Kの言葉に訝しげに視線を送ってきた帯刀は、思い当たることがあったのか小さく頷いた。

「・・・。そうか、なんだか、今朝からというもの、外にでても堂々巡りをしているような気がしていたが・・・そういう訳だったか」

「分かるのか?」

「ん?」

 帯刀は目を上げた。

「空間が閉じるということが・・・理解できるのか?」

「お前が言い始めたことだろう」

 帯刀は挑戦的な眼で応じた。

「それはそうだが・・・」

 直観では分かっても、どういう仕組みなのかさっぱり分からない。理性は途方に暮れる。そんなKを見て、帯刀は助けを出すように言葉を紡いだ。

「ドナルドも言っていた。ここは刑務所のような所だと」

「ああ」

「刑務所というのは逃げようとしても逃げられない。だったらもともと閉じているんだろう」

「うん、そうかもしれない」

 もともと閉じている空間を、更に小分けにして閉じる、そういうからくりなのかも知れない。一つ空間を閉じる術があるなら、更にそれを分割するのは訳もない、そんな気がした。

「ドナルドは一度逃げだそうとしたことがあったそうだ」

「そうなのか?」

 Kは眼をみはった。そんな話は聞いたことは無かった。

「ああ、だがやはり逃げ切れなかったらしい。もう少し時間があれば逃げ出せた、と言っていた。逃げ出すことができる、ある場所がある、と教えてくれた」

「・・・」

「それがこの場所だった。でも、どうやって逃げ出せるのか、あいつは言わなかったし、それはここに来てもさっぱり分からなかった」

 そう言いながら帯刀はドナルドが描いたという稚拙な地図を見せた。それは院からここへ来る道だけを記した大雑把な地図で、よくこれでここまで辿り着けたと思うような代物だった。

 よく見ると、そこには曖昧な筆致で青い線が短く引かれていた。

「・・・」

「どうした?」

「この穴には・・・川は流れているのか?」

「川?」

 帯刀は眉をひそめ、それから小さく首を振った。

「池の奥に小さな湧き水が出ている。そこで水は飲めるが、川はない」

「そうか・・・」

「なんだ?」

「いや、水の流れる音がこの辺りでしていたからな、その湧き水の音だったのだろう。だが湧き水が流れているということは地下に川が流れているかもしれない」

「ああ・・・」

 帯刀は頷いた。

「ドナルドはどこかに川があると信じて、川を伝って逃げられると考えたのかも知れないな」

 Kが言うと、

「だが、川はない。もし、川があり水が流れて、そこを泳げば別の場所にいけるのだとしても俺は泳げない。結局逃げ出すことはできなかったんだ」

 帯刀は苦々しげに答えた。

「そうだな」

 Kは頷いたが、もしかしたら・・・と思った。この穴と別にもっと深くまで伸びる穴があり、それが別の世界に通じているのかも知れない、と。それは地図の青線が示しているように川なのかも知れないし、単なる通路かも知れない。

 だが帯刀に向かってそれを言う必要はなかった。

「戻るか」

「それしかないようだ」

 帯刀はさばさばと答えて、腰を上げかけた。それを制するように

「その前に聞きたいことが一つある」

 とKが言うと、帯刀は座り直した。

「聞きたいこと?」

「ドナルドはもういない。知っているとしたら、帯刀、お前だけだ」

「なんのことだ?」

 訝しげに帯刀はKをみた。

「ユウのことだ」

「ユウ・・・」

 その名に思い当たることがあったのか、帯刀は眉間みけんに皺を寄せた。

「お前たちが殺したのか?」

「殺した?」

 帯刀の目は見開いた。

「そんなことはない。少なくとも俺は関係ない」

「関係ないはずがないだろう?」

 Kは思わず、帯刀の胸ぐらを掴んだ。

「あの日、ユウが死んだ日の次の朝、お前たちのカードが落ちていた。お前たちがユウの部屋に居た証拠だ」

「知らない、知らない・・・。俺は手をかけていない」

 帯刀の目は泳ぐようにKから逸れた。

「嘘をつくな、嘘をつけば罰が与えられる」

「罰・・・?」

 帯刀の泳いだ眼が恐怖の色に染まった。

「罰・・・」

 その言葉がなぜ帯刀にそれほど響いたのか、Kには分からなかったし、なぜ自分がその言葉を口にしたのかも定かではなかった。だが、その「罰」という言葉が帯刀から抵抗する力を奪ったのは確かだった。

「やっぱり、そうなのか?」

「やっぱり・・・?」

「あいつは罰を受けて死んだのか」

「あいつ・・・ドナルドの事か?」

「そうだ・・・あいつ、死ぬ前の日に言ったんだ。 ここから出ていけばもう罰をうけることはない。俺は自由だ、と」

 ドナルドは知っていた?修道院が選別の場である事を?そうでなければ「罰」という言葉が出てくることは考えにくい。

「罰?」

「ああ、そう言っていた」

 ぐったりと項垂れ、帯刀は地面に手をついた。

「何の罰だ?」

「決まっているだろう?」

「決まっている・・・」

「そうだ。あの子・・・ユウ・・・。あいつがあの子にしたことへの」

「何をした」

「お前と同じ事だ」

 吐き捨てるように帯刀は言った。

「カードか?」

「そうだ、最初はな」

「それで貸しを作った」

「そうだ」

 帯刀は項垂れた。

「あれは・・・いんちきだ」

「それは俺も分かっている。で、仲間になれと・・・?」

 帯刀は微妙な表情をした。

「違うのか?」

「まあ・・・そんなようなことだ」

「ユウは断ったんだな」

「そうだ。だからドナルドは報復した」

「殴るという事か?」

「違う、別のことだ」

「別のこと?」

「そうだ」

 帯刀はだらりと首を落した。

「ドナルドはあの子に興味を抱いていた。俺やお前に抱いたのと違う興味だ。俺は奴の手下になった。お前はならなかった。だが、あの子は手下をする積もりはなかった。自分のものにしようとしたんだ。結局なんにしてもあの子を自分のものにしようとした」

「自分のもの?どういうことだ?」

「・・・」

 帯刀はそっぽを向いた。

「言え、どういうことだ?」

「お前だって・・・経験があるだろう?大人になれば」

「ん?」

 もしかしたら・・・?

「そういうことだ。あいつはあの子に自分の欲望を処理させようとした。あの子は負け続けた。ずいぶん前から、いうことを聞けばちゃらにすると脅されていたんだ。あの子はカードで買って負けをちゃらにしようとしたけど、そんな事が出来る筈がない。だって、俺とあいつは組んでいるからな。あの日は最後通告だった。もしカードで勝てばちゃらにする。そうでなければ言う事を聞けってな。案の定、あの子は負けた。あいつは俺に命じてあの子を押さえ込ませた。最初からそう言う段取りだったんだ。あの子は弱いから暴れる前に簡単に取り押さえることができた。あいつは自分のものをあの子にくわえさせようとした。けど・・・」

 帯刀は言い淀んだ。

「あの子はあいつを噛んだんだ。あいつは声を上げるわけにいかなかったけど、あの子を思い切り殴った。押さえつけていた俺まで吹っ飛びそうになった。思わずあの子を俺は離した。その時、あの子は窓を開けて・・・」

「・・・」

 飛び降りた。

「きさま・・・」

「俺じゃない。やったのはドナルドだ」

「同じ事だ」

 荒々しく帯刀を突き飛ばすと、帯刀は何の抵抗もなく地面に崩れ落ちた。そしてうめいた。

「俺も死ぬんだ」

「どうしてそう思う?」

 立ち上がったKは冷たい眼でボロクズのように倒れている男を見た。唾をはきかけてやりたい、そう思った。

「夢に出てくるんだ」

 身体を丸めた男は悲鳴のような口調でそう言った。

「夢?」

「そうだ。夢だ。夢ではあの子が俺を背後から締め上げるんだ。そして俺はあいつのペニスを舐めさせられる。だが俺には飛び降りる勇気なんかない。臭くて苦いんだ。毎晩、そんな夢ばかり見る。呪われているんだ」

「夢・・・そんなもので死ぬわけないだろう?」

「いや、あいつも死ぬ前に夢を見続けた。どんな夢なのか詳しくは言わなかったが、夢の中にあの子が出てくる、と言った」

「・・・」

「あいつは噛まれたところを痛がっていた。素振りに出さないようにしていたが、ここを出てどこかにいったらすぐ治療して貰うつもりだった。ここじゃ、あの子の死との関連を疑われると思っていたんだ。呪いが掛かっていたんだ。だって噛まれたが血さえでなかったんだ。それなのに・・・」

「・・・」

 ドナルドの遺体を思い出した。血が出なかったからと言って傷がつかなかったのかは分らない。遺体の陰茎がそそり立っていたのは、もしかしたらその時の傷で腫れていたのかも知れない。或いは彼が死んだのはその時にうけた目に見えぬ傷のせいかもしれない。それとも・・・呪い?

「俺も死ぬんだろう。罰を受けるんだ」

 帯刀の身体は慟哭どうこくで、奇妙に揺れていた。こいつは反省しているんじゃない、ただ死を恐れているんだ。Kはそう思ったが、それでも平気でここを抜け、自由になろうとしたドナルドよりはマシかも知れない、そう思った。いずれにしろ、この男を連れ帰らねばならない。ならば、ここで更に追い詰めて自暴自棄にしても仕方あるまい。

「僕だって夢を見る」

 Kは蹲ったまま奇妙に揺れている肉体に声を掛けた。ひくり、と肉体は別の動きをしたが、暫くは揺れは止まらなかった。だが、Kの言葉は帯刀の好奇心を刺激したようだった。

「どんな夢だ」

 帯刀はぐしゃぐしゃになった顔でKを見た。

「埋められる夢だ。地中に埋められる夢だ。僕はあの男・・・ドナルドを埋めてきたが、まるで自分があの男になったかのような夢を見る」

「そうなのか」

 帯刀は肩で息をつくようにした。

「お前も・・・あんたも・・・夢を見るのか」

 Kは頷いた。

「不思議だ。その夢はまだドナルドが生きていた頃から見ていた。そして今でも、時折、同じような夢を見る。もしかしたら、ユウが恨んでいるのかも知れない。助けなかったことを。時間を巻き戻すことができたなら、僕はユウを助けたい。だが時間を巻き戻すことなんかできない。或いはドナルドが見せる夢なのかも知れない。あいつはもしかしたら死ぬことを予期して僕にそんな夢を見せたのかも知れない」

 這いつくばったまま帯刀はKを見つめていた。そこに何かの救いを求めるように・・・。救ってやる積もりはなかった。この男はドナルドと同罪だ。

 だが、同罪ということならば・・・「その同罪はどこまでも広がっていく」、とKは言った。助けなかった自分にも広がっていく。僕にできることは、罪を「意識」することだけだ。「意識」していると言う意味では、目の前で這いつくばっているお前も同じ事だ。そういう趣旨のことをKは呟いた。

「ならば・・・俺もそう考えれば救われるかもしれないのか?」

 弱々しくそう言った男に

「夢を見ると言うだけで決めつける必要はないんじゃないか」

 Kは答えた。本心ではなかった。お前は救われることはない。せいぜい、良心めいたかさぶたで血が流れることを防ぐことができるだけだ。

 だが、言葉は発しなかった。ただ、帯刀をじっと見ていた。

「そうか、そうだな」

 帯刀はぐったりと横たわったまま喘いだ。

「帰るか?」

「うん」

 素直な子供のように帯刀は頷いた。

「立てるか」

「大丈夫だ」

 帯刀は蹌踉よろめきつつも立ち上がった。

「でも・・・」

「なんだ?」

「昨日の夜、見た夢は・・・」

「昨晩?」

「ああ・・・」

 吐息を一つ付くと、帯刀は話し続けた。

「誰かがこの洞窟に入ってくる夢だ。てっきり見つけられたんだと思った。けれど、いつまで経っても姿を現さない。俺はずっと穴の中で身を固くしていたんだ。あれはお前ではなかったのか」

「僕はあいつを埋めに行っていた」

「・・・そうか。そうだったな。遠くだったのか?」

「ああ」

 そこが山の麓であることを明かして良いものか、分からずKは曖昧に答えた。帯刀はその場所をしつこく尋ねることもせず、

「じゃあ、あれは何だったのだろう。院の誰かだったのだろうか?」

「院の者が見つけたら、放っておく筈がなかろう。それに、お前がいなくなったことは今日の朝まで気づかれていなかった」

「そうなのか・・・」

 帯刀は意外だったとでも言うようにKに盗み見るような視線を送った。

「ああ、みなてっきりお前が友の死を悲しんでどこかで一人でいるのだろうと考えたらしい」

「・・・」 

 そんな殊勝な人物であると思われたのがやはり意外だとでもいうように帯刀はKの顔を暫く見つめていたが、

「驚いたんだ」

 とだけ、呟いた。

「何が・・・」

「実は、俺は殺されると思ったのだ。その入ってきた誰かに、或いは生き物に。なのに・・・」

「なのに・・・」

「俺はそのまま寝入ってしまった。殺されてもしかたないとでもいうように。眠気に抗しきれなかったんだ」

「お前の考えたとおり、きっと悪い夢でも見たのだろう」

「俺もそう思いたい」

帯刀は、ふと、大きく身震いした。

「俺も・・・」


 辺りはもう暮色が濃かった。Kは言われたとおり、曽良の名を一度、叫んだ。

 それから暫く、太陽が地平線に身を沈める頃、曽良が草をかき分けてやってくる音が聞えた。


 曽良に引き連れられて帰ってきたKと帯刀の姿を見た大人達は何も言わなかった。二人は交互に修道院のシャワーで身体に付いた汗と土を洗い流し、いつものように自分の部屋に戻った。

 それからというもの、帯刀はまるで大人しくなり、食事時にKを見ると目を伏せるようにして挨拶をしていたが、暫くすると食事の席に現われないことが続いた。身体を壊すと、自分の部屋で食事をすることが許されるので、そういうことなのだろう、とKは考えた。


 ドナルドの埋葬から一週間が過ぎた日、五人の新しい子供たちが修道院にやってきた。Kはこの場所にやってきた日のことを思い出していた。

 その子供たちをここに連れてきた男の一人が、Kがその前にいた「こども園」からKをこの修道院へと率いてきた男であったからだ。

 それまで、Kは子供たちが率いられて来る日には部屋から出るなと命じられていた。その命は厳格で、Kを除いた子供たちはやはり、命に服していたから命から免除されたのはK一人であった。それが、何を意味しているのかKには見当が付かなかったが、他にする事もないのでKは修道院の前の道を掃き清めていた。

 そこに別々に子供たちが引き連れられてきた。Kはその一組毎に、目礼を交わし、引き連れてきた男たちも小さく頷いた。その男たちの視線に物珍しげな色が浮かんでいたので、男たちにとっても物珍しいものだったのだろう。

 しかし、そういえば、とKは昔のことに思いを馳せた。

 ユウが連れられてきた時、あの日はなぜ自分は外に出ていたのだろう。確かに命は発せられていなかった。いや、逆に外で作業をするようにという命があったのだ。だからこそ、Kは外に出ていたのだ。あの日、他の者は外に出ていただろうか? 

 記憶は曖昧だった。そんなことを考えていたKの前に最後の一組が現われた。その子供を連れてきたのが、Kを連れてきたのと同じ男だった。男は4年の歳月などなかったかのように、全く変わっていなかった。灰色の上着、茶のズボンと同じ色の山高帽、黒い縁の眼鏡、一見すると20代の後半のようにも見え、60代にも見える不思議な男であった。そんな男にとって4年の歳月など須臾しゅゆの間のようでもあった。

 

 柔らかい笑みを浮かべ、帽子を取って一礼をすると、

「久しぶりですね」

 と以前と変わらぬ口調でKに挨拶をした。一緒に来た男の子は、ユウに似ていないこともなかった。黒目がちのまんまるな瞳で、驚いたような顔でKを見つめている。

「この子は、同じ所から」

 Kの問いに、男は曖昧に首を振った。Kの暮らしていた「こども園」にはいつも200人くらいの子供たちがいた。そのうちの一人なのか、と懐かしく思って聞いたのだが、そういう話をするのは禁忌タブーのようであった。

 「あと、2年もすればあなたもここを卒業される。その後にまた会えましたら」

 そう言うと、男は連れてきた子を振り向いて院の中に入るように促した。子供は門を潜る時に、もういちど振返ってKを見た。Kは小さく手を振ったが、子供はそれに応じることはなく少し怯えたような表情を浮かべると、門の向こう側に吸い込まれていった。

 その時、ふと、甘い香りがKの鼻腔びこうくすぐった。去って行った子供が残した香りのようであった。

 ひどく懐かしい・・・その香りの向こう側に誰か、柔らかいすべすべとした人がいて、幼いときの自分を撫でていた、そんな微かな記憶を呼び覚ました。


 秋が来、冬が過ぎ、そして春がやってきた。

 ドナルドの次の年次の子供たちが院を出ることになったのだが、その中に帯刀の姿はなかった。

 院に戻ってからの帯刀はおとなしかった。だが、それと引き換えに身体を病んだ。最初の頃は食事時になれば、食堂にも姿を見せたのだが、次第にその頻度は減っていった。

 院を出るときにたまたま身体をそこねているものたちがいないではなかったが、そうしたものたちは、一応、院を出る者として取り扱われ、歓送会にもちらりと顔を見せるものもいた。そして全員が身体が良くなってから出立することを許された。

 だが、帯刀の名前は出立するものの中にはなく、当然、歓送会にも現われなかった。ここ一月、その姿を見たものは子供たちの中にはいなかった。

 それどころか・・・。ある日、帯刀の居た部屋の前を通ると、ドアが開け放たれていた。覗いてみると中に人が住んでいる様子はなく、窓もまた開け放たれていた。


 その夕、Kは食後に曽良のもとを訪れた。ドアをノックすると「誰だ?」と誰何すいかする声があり、Kが答えると中から扉が開いた。

「どうした?珍しいな」

 曽良はどこかぎこちない表情でKを迎え入れた。まるでKが来ることを予期し、それを望んでいなかったような顔色であった。Kは構わずに尋ねた。

「聞きたいことがあります」

「なんだ?」

「帯刀はどうしたのですか?」

「・・・。知ってどうする?お前には関係のないことだ」

 曽良は無愛想に答えた。

「あの男は、失踪した時に僕が見つけた男です。関わりがないということはありません」

 Kはきっぱりと主張した。

「ふむ・・・」

 曽良は苦いものを飲み込んだような表情で呟いた。

「何を知りたい?」

「帯刀は・・・死んだのですか?」

 曽良は首を振った。

「ならば、どこへ?あの男は院を去るリストにも載っていませんでした。今日は部屋も空いていた」

 Kがそう言うと、曽良は苦い表情のまま、答えた。

「仕方あるまい。あの男はここを去ることはできない。受け入れる場所がなかったのだ。というか・・・、本来行くべき場所を失った。だからといって修道士のままでいることはできない」

「場所を・・・失った?」

「滅多にないことだがな。慮外のことだ」

 慮外・・・。それは帯刀を探しに出た時に同じ口から聞いた言葉であった。

「どうなるのですか?」

「ここで一生過ごすことになる。だが、もはや人の前に出ることは無い。ここで一生誰と交わることもなく、働き続けることになる。あの男は従容しょうようと運命に従うことに決めた。もっともあの身体では、そうせざるを得まい」

「だいぶ、悪いのですか?」

「いや、すぐにどうなるというものでもないし、むしろ気の問題であろう。毎夜、うなされておる。あの、死んだ男があいつを迎えに来ているのかも知れぬ。業の深い話よ」

「・・・そうなのですか」

「今度、院を出る子供たちが去った後、山へ行き、あの男の墓を掘り返して深くへと埋めることにしておる」

「・・・」

「それで効果がなければ更に何かを考えねばならぬ。因果なことだ。あの男に会わねば帯刀にはもっと別の道もあったのだろうが」

 恐らく、その道はドナルドに屈したときに選択肢から消えたのだろう。

「ならば会わせねば、よかったのに」

「そういうわけには行かないのだ。巡り合わせは決まっているからな」

「巡り合わせ?」

「・・・」

 曽良は黙ったまま強い眼でKを見据えていた。

「もう一つ聞きたいことがあります」

 Kの問いに曽良は仕方なさそうに応じた。

「なんだ?」

「子供たちがここを去ることは・・・、僕を含めてですが」

 Kは今まで思っていた疑問を口にした。

「うん?」

 曽良はKを見た。

「幸せなのでしょうか?」

「・・・。幸せとか幸せでないとかそういうことではない。それもまた決められた道だからな。端から見て決めることではない」

 禅問答のようであった。

「ここにいる大人達は、ずっとここにいるのですか?」

「いや・・・」

 曽良は首を振った。

「ただ、ずっとここにいる者は帯刀と同じ、二度と他の場所で人前に現われることは無い」

「では、一度は外へ出てここに戻ったのですか?」

「そうではない。みな別の場所で生れ、そこを出て最後にここに集まった。私もだ。ただ、われわれはもうここを離れることは無い。此処ここついの地としておる」

「・・・」

「外はどのような世界なのですか?」

 Kの問いに曽良は首を静かに振った。

「それを言う事はできない。それはそれぞれがそこに行って自ら学び、感じ取るものだ。我々の間で話すことはあっても、それをお前達に言う事は堅く禁じられておる。もし、その禁を破れば、どのような事が起こるか分らぬ。聞いたものも答えた者も恐らく強い罰を受けることになるのだろう」

「・・・」

 それは・・・ドナルドと同じような扱いを受けるという事なのだろうか?Kの沈黙を曽良は黙って見ていたが、最後に言った。

「ただ、一つ言えることは、我々は同じ景色を見たのに違いないが、それに対する考え方は人それぞれだったということだ。だが、我々が思ったその景色は、おそらくは真実では無い。いや、我々はそこに真実を見つけられることができなかった、というのが正しいのだろう。だからこそ、我々はここに来た。育った場所とは別のところだが、結局は戻された、ということだ。我々がお前達にできることは少しの知識を与え、あとはお前達が育つのを見守ることだけだ。お前達の仲間うちのことに介入できないのは、そういうことなのだ。我々には権利がないのだ。真砂も勇魚も別にお前が憎くてそうしたわけではない。そしてその結果、お前はここを出て行くことができ、ドナルドは死に、帯刀はここに残る。そういうことなのだ」

 昔、大人達が見ぬ振りをしたわけはそういうことだったのか、とKは思った。しかし・・・、そのためにユウは命を失うことになった。

「お前の考えていることは分る。しかし、お前はここを出ていき、何かを学び、その意味を知る事になるかもしれない。いや知る事になろう。でなければ、あのような事が起こるはずも無いのだ」

「そうですか・・・」

 そのために誰かが命を落す・・・そんなことは本当にあるのだろうか?正しいことなのだろうか?

「お前もあと1年すれば、ここを出ることになる。いや出ていって貰わねばならぬ。お前だけではない。同じ期の全ての子にな。ドナルドがああなることは予期していたが、しかし、2年で3人我々は失った。2人は命を、もう一人は別の場所で生きる術を。幼年期でこれだけ立て続けに失うのは珍しい」

 曽良は吐き出すように言った。

「幼年期?」

「うむ。この世界は幼年期の世界なのだ。幼年期というのが不満なら第1期と呼んでも良い。いずれにしろ、そこではお前達は保護される代わりに自主的に物事を行う必要はない。だが、次の場所ではそうはいかない。そのレベルは人それぞれで設定されている。恐らくお前のものは難しいものとなる」

「・・・」

 Kは黙って曽良を見つめた。

「なぜ、お前があのドナルドという男の葬儀に付き添うことになったのか、或いは帯刀を探す任務につかされたか、様々に考えてみた。今まではそのようなことは一度もなかったからな。同じ疑問をもった大人もいた」

「・・・」

「恐らくお前は試されたのであろう。もしや・・・あのユウという子もそのためにここに遣わされて来たのやも知れぬ、いや、これは単なる推測だ」

 Kが何かを言おうとしたのを制するように曽良は手を挙げた。

「試された、のではないか、ということ自体も推測でしかない。本当はこのことはお前が出ていくときに話そうと思っていたのだ。身の振り方に役立つかと思ってな。だが、あと1年、そういうこともあると考えて過ごすのも良かろう」


 それから1年が過ぎ、最後の夏を迎えたある日、いつもの通り作業へとひとり向かう道すがらの木蔭に一人の男が凭れているのをKは認めた。そんな場所に人がいるのは滅多にないことで、怪訝に思いつつ、通り過ぎようとしたが、ふと目を遣ると、その男もKを見返した。

 「・・・帯刀、か?」

 まるで別人のように痩せさらばえていたが、目元に昔と同じ俤があった。

「もうすぐ、お前も出るのだな、ここを」

 声も、弱々しかったが、昔と同じ調子だった。

「ああ」

「俺は出ることができなかった」

「そんなことより、身体は大丈夫なのか?」

 帯刀はKの視線を見て、自分の身体をあらためるように視線を落した。

「ああ、これで、だいぶよくなったんだ」

「そうなのか?」

「うむ」

「今はどこにいるんだ?」

「修道院にいることは間違えない。俺のようなものが居る場所があるのだ」

「お前ひとりか?」

「いや。もう一人。だいぶの老人だが、おれと同じようにここを離れることができなかった人が居る」

「そうなのか・・・?」

 いったいどこに住んでいるのか、と聞くのは憚られた。恐らく聞いても答えたく無いであろうし、答えることも許されていない可能性があった。それに・・・聞いたところでKに何かできることもないし、恐らく帯刀も何も望んでいるまい。そんな趣が帯刀から感じられた。

「お前が昔、俺にことを気に掛けていたと聞いてな」

「ああ」

 1年前、帯刀が姿を消したときのことだとKは思った。

「もう、気にするな。俺はここで一生くらす。お前には悪いことをした。それに、あのユウという子にもな」

「そうか・・・」

「うん、そのことだけを伝えたかった」

 そういうと帯刀は大儀そうに凭れていた木から身体を離すと、

「じゃあ、な」

 と手を挙げたが、ふと首を傾げ、

「お前・・・まだ、夢を見るか?」

 と尋ねてきた。

「あ、いや・・・」

 そういえば、いつの間にかあの夢を見ることはなくなっていた。

「曽良師が言っていた。俺が今の境遇になった時、もう一度あの男、ドナルドの墓を掘り返したそうだ。あいつは・・・埋めたままの姿だったそうだ。腐りもせず、なんというのかな屍蝋しろうというのかな。そんな状態だったらしい。それは望まれた姿ではなかった。大人達は協議して、結局埋め直すことを止めて油を掛けて焼いたらしい。その火が・・・森に移って山火事になりかけたそうだ」

 そういえば・・・一度、山に煙が立ったことがあった、とKは思い出した。だが、すぐに消えた筈だ。

「思い出したか?実際、火は大人達を包んだが、突然、大雨が降り始めた。お陰で命拾いをしたんだそうだ」

「・・・」

 曽良は、一度もそんな話をKにはしなかった。

「そうか・・・」

「それから俺も夢を見なくなった。おかげで身体も持ち直したようだ」

 そういうと、帯刀は背を向けた。

「そうか、これからも身体に気を付けろよ」

 Kにはそれしか掛ける言葉はなかった。帯刀は軽く頷いたように見えたが、振り向くこともなく、修道院へ戻る道をとぼとぼと歩いて行った。


 それから10日が経った。その日、Kは曽良に呼ばれた。滅多にないことであった。外に出る子供たちに対しても、大人が特別のことをすることはないのが通例であったのだ。

 Kが訪れると、曽良はまえと同じようにKを部屋へ招じ入れた。

「帯刀とは会ったか?」

「はい」

 答えると曽良は頷いた。

「帯刀がお前と会いたいと言ってな。最後の願い、だそうだ。もう会うこともないだろう」

 と言うと、

「お前の去る日が来た」

 と続けた。

「はい」 

 Kは再び短く答えた。

「お前と共に去る人間たちの殆どは私と同じような仕事に就く。どこかで子供たちを育て、見守り、命に従う。そういう仕事だ。彼らは暫くそのために学ぶそのための場所へと赴く。だが、お前は別の場所へと行く。1年前、お前に告げたことはその通りとなった」

「別の場所・・・」

「そうだ。今までこの院からその場所に行った人間はいない。この院で育てられた子供たちの数は今まで3500人、うち350人は院を巣立つこと無く死に、312名はあの森に葬られた。38名は森では無く別の場所に葬られた。その余のうち、別の場所に旅立てなかったものは帯刀を含めて2名。残りは定められた場所に行く。今までは多かれ少なかれ同じ場所へと旅だった。だがお前の行く場所は今まで行った者は一人としてない。・・・いや、もしかしたら別の場所へ旅立った者の中で、その場所に行き着いた者があるかもしれぬが、それは我らには知り得ぬこと」

「・・・」

 Kは黙ったまま曽良を見つめた。曽良は厳しい表情をしていた。

「だが、儂はその場所へ行くお前に祝いを述べるつもりは無い。恐らく、儂らよりも厳しい先行きが待っていると思う。それを耐えられる者と考えられたからこそ、お前はその場所に行くのであろう。お前は皆と違って外から来た者と一緒にこの院を出ることになる。それを伝えねばならなかったので、呼んだ」

「はい・・・」

「精進せよ。お前がどこに行き着くかは知らぬ。だがお前にはお前の役割がある。それを全うすることだ」

 それだけ言うと、曽良は背を向けた。もう話すことは無い、とでもいうように。Kは一礼をして、曽良の部屋を立ち去った。

 部屋を出た瞬間、何か風のようなものがふっと吹いて、Kは後ろを振返った。だが、そこには何もなかった。

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Infancy(幼年期):The termination of the human being is not the end of the Being I (人類の終わりは世界の終わりではない I) 西尾 諒 @RNishio

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