人魚の恋──蒼い月が出る海
華周夏
海に棲む美しいもの
『君は、僕に石を投げないんだね』
俺に怒鳴られ、睨まれただけで、部活仲間は俺を波打ち際に残して走り去った。傷だらけの、人間ではない、この海に住む、あまりに美しい生き物は、俺を冷たく、軽蔑の瞳で見つめた。
満月、しかも蒼い月の夜は明るい。灯りなんて必要はない。だから長引いた陸上の部活帰り、俺と部活仲間は、普段大人達に夜になったら近づくなと言われている海際の波打ち際を帰った。
そこで、君は悠々と碧い海を泳いでいた。月の光を跳ね返す、七色に光る尾びれ。金色の髪。碧い瞳。蒼い月と戯れるように泳ぐ君は美しかった。
俺は君と目が合った。君は笑って俺たちに近づき、何かを話しかけたけれど、波の音に遮られて聴こえなかった。
皆は君を見て顔色を変え、口々に
「化物だ!」
「あっち行け!」
と君に言いながら、石を投げた。痛みをこらえながら石から顔を庇い君は耐えていた。綺麗な声で、
『やめてよう』
『痛いよう』
と泣いていた。
「やめろよ!怯えてるだろ!可哀想じゃんか!」
俺は初めて見た君の涙があまりにもつらかった。じいちゃんが言っていた。
『この海には美しいものが集う。もし会うことがあったら優しくしておやり。人間は、彼等に虐げることしかしてこなかった。哀しいほど弱い生き物だ』
部活仲間のカワセが言った。
「な、なんだよ。お前化物の味方かよっ!」
「とにかく、やめろって!」
「ちぇ、つまんねぇ。ショウは優等生だからな、結局さ」
そう言い、カワセは足元のビールの空き缶と、捨てられたゴミになった花火の燃えかすを海に放り投げた。
「二度とこっちに、来んな、化物が!」
そう言いながら、部活仲間はゴミや石を海に、美しいものに投げつけ続けた。俺は呆然とそれを見ていた。じいちゃんが言っていた言葉が頭をめぐる。
『やさしすぎる者達だ。いつも傷つくのは彼等の方だ』
部活仲間たちは気が済んだのか、笑いながら遠ざかっていった。俺と君は終始無言だった。
『君は、僕に石を投げないんだね』
「手当てするから、そっちへ行く。あのさ、君は人魚なの?」
『だったら殺すの?魔物だって、人を惑わして海に誘って人を喰うって!』
泣きながら俺を嘲笑しながら睨む君は痛々しくって、でも怯えていた。多分たくさんの人魚がそう言われ、人に殺されてきたんだろうと思った。俺は努めて優しく訊いた。
「名前、何て言うの?」
『言いたくない』
「言いたくないなら、言わなくていいよ。俺はショウ。今そっちに行くね。腕、血が出てる」
人魚の少年は、終始黙っていた。ハンカチで腕を縛って血を止めてあげた。盗み見た、蒼い月を映したような碧色の瞳に吸い込まれそうだった。優しい、哀しい目をしていた。
俺は沈黙が重かったので、人魚の少年に話しかけた。返事を返すことはないと、解っていた。でも、俺は伝えたいことがあった。
「斜め後ろに住んでた婆ちゃんが、『海には美しい魔物が棲む』って言ってた。『禍々しいほど美しいのは海に誘って人間を喰うからだ』って。俺はそうは思わない。じいちゃんが言ってたんだ。昔、死にかけた時、美しい人魚に助けてもらったって。あまりにも彼等が美しいもんだから、ここは天国で自分は死んだんだなって思ったって。それでね、俺が小さい頃、さっきの話をして『この海には美しいものが集う。もし会うことがあったら優しくしておやり』って。それにさ、君が人を食べるなら、幾らでも俺たちを喰う機会はあったはずだ。あとこれ!一緒に食おう!」
俺は給食の蜜柑をバックから出した。
『何これ?丸い、夕陽みたい……』
「蜜柑。甘酸っぱいんだよ。一緒に食べよう」
俺は蜜柑を剥いて二つに割った。爽やかないい匂いが潮風に混じる。
不安そうに蜜柑を見つめ、食べるのを躊躇う人魚の男の子を見て、俺は先に蜜柑を彼より先に半分に割った小振りの蜜柑をパクリと食べた。つられて彼も食べる。
彼は驚いた顔で目をみはり、可愛らしく両手で頬をくるみ、笑った。
「うまいだろ?気に入った?君は月の光が似合うね。それにしても尾びれが本当に綺麗だ。金色の髪も、碧い瞳も。見惚れるくらい綺麗だから、悪口はやっかみだな」
人魚の少年の優しい眼差しが嬉しかった。
「じゃあな。また、逢えたらいいな」
『待って!僕、アイラって言う。君を待ってるよ。また、一緒に蜜柑、食べたい』
俺は笑った。
「待ってて。幾らでも、持ってくるよ。今度友達連れて来ようか?いっぱい友達がいた方が──」
『君だからいい。一緒に蜜柑を食べるのも、こうして姿を見せるのも君だから。君だけだから……皆僕を見ると石を投げる。化物っていう……君が蜜柑をくれた。君が初めて優しくしてくれた……僕を初めて綺麗だと言ってくれた。君だけだよ。君だけが僕の特別なんだ。君に、また逢いたい』
潤んだ声が切なくて、アイラの孤独が見えるようで、俺は頷いた。
───────────────
「アイラ、蜜柑美味しい?」
『……うん。美味しい。甘酸っぱい。僕、蜜柑大好きだよ。ショウの次に蜜柑が好きだった。でも、もうここには来ないで』
秘密の洞窟で、俺とアイラは半分個して蜜柑を食べるのが毎日の習慣になった。寂しそうに微笑むアイラを良く見ると、酷く傷だらけだった。
今日は月がない新月。気づけなかった。中学生じゃ躊躇うような切り傷、酷い打ち身。それは大人のやり方だった。
「アイラ、どうした?誰にやられた?その傷……!今、手当てするからな!家に帰って救急箱持ってくるよ!」
アイラは俺の手を掴み、首を振った。そして、静かに俺の瞳を真っ直ぐに見つめ、声を潤ませて言った。
『いいんだ。ヒトと関わりをもってはいけない掟を破ったのは僕の方。でも、僕は……僕は……何もしていないよ?君には言っておく。僕たち人魚は船を沈没させるような力もないし、ヒトを惑わしたりもしない。心を奪いとったりしない。勿論食べたりなんかしない!……浅瀬にも、普通人魚は来ない。浅瀬来たのは、僕だけだよ。偶々君たちが見えて。楽し、そうで。羨ましくて。それに、君と逢う時しかこの洞窟にも来ない。なのに、どうしてこんな目に遭うの?君に逢うことはそんなに悪いことなの!?』
俺は何も言えなかった。俺がアイラを抱きしめると、アイラは微笑んで月を仰いだ。
『ニンゲンになりたかったなあ。君と学校へ行って、勉強して、学校が終わったら君と蜜柑を食べるんだ。うんと甘酸っぱい蜜柑。蜜柑はショウ、君が剥いて。君が剥いた蜜柑がいい。……ねえ僕は欲張りかなあ。僕の望みはそんなに贅沢だったのかなあ……。君の友達に言われたよ《身の程知らずの化物》って。君が言う『友達』は大人を連れてやってきて、僕を殺そうとしたよ。僕は君と一緒にいたかっただけなのに………』
アイラはそっと、抱きしめた俺の手をほどき、俺の手の甲に額をのせ咽び泣いた。俺はアイラの肩に額をつけ泣いた。
「……ごめんな。ごめんな。俺のせいだ。きっと、跡をつけられてたんだ、気づけなかった。アイラのこと、守れなかった………」
『───もう、さよならだね。いつも蜜柑、ありがとう。ショウのこと、忘れない。でも、もうここには来ない。君も来ないで。潮が満ちて危ないから。僕が、この洞窟には波が来ないようにしてた。さよなら。優しい君を、僕は──』
最後の声を残して、君は身を翻して波間に消えた。綺麗だった。七色に光る尾びれ、金色の髪、碧色の瞳。
本当に君は人魚だ。言い伝えのままじゃないか。あの日から俺の心には君が棲んでる。心を奪われて何もやる気が起きない。思い出すのはたくさんの表情。
笑った顔も、怒った顔も、涙も。最後に君が言った言葉を思い出す。
『優しい君を──僕はずっと好きだった』
同じ言葉を伝えたかった。きちんとそう、言えば良かった。あの時叫べば君は振り向いたかもしれない。君が振り向いたら今は違ったのかもしれない。
見上げればあの日の蒼い月。ここにはもう、彼はいない。
─────────【了】
人魚の恋──蒼い月が出る海 華周夏 @kasyu_natu0802
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