第7話 アンコール

 席に戻っていくと、すでに座っていた匠が響子に改めて軽い拍手を贈ってきた。照れと驚きが混じって響子の頬が緩んでしまう。

「たくちゃん、びっくりしたよもう。いきなり入るんだもん」

「靖人さんに言われるままやっただけだよ」

「カクテルのシェイクしながらパーカスパーカッションとか格好良すぎでしょう」

「言うな俺も恥ずい」

 なんと匠がシェイカーを振る音が間奏の打楽器の最後を締めたのだ。普段の匠なら絶対にやらない所業を見られ、はじいって顔を覆うのもなかなか拝めない。

「でもおかげで出来たから。匠の新作カクテル」

 盆を持ってきた靖人が傍から円錐型のグラスを差し出す。中は濃茶とクリーム色の二層で、グラスの淵はラズベリーとピスタチオが飾る。

 シンプルな色とフォルムは、彩色ガラスを使ったテーブルライトの横で宝石のように映えた。

 勧められて一口飲むと、芳香な味わいと酸味が絶妙に交わる。経験したことのない感覚だ。響子は言葉が出ず、余韻に囚われた。

「匠にうちで出すバレンタイン限定のカクテル・レシピ、頼んでたんだよね。自分とこのカフェ・メニューにもするって聞いてたけど、またくそ真面目に悩んでたろ」

 図星を刺されたのだろう。匠が嫌そうに靖人から目を逸らす。

「悩んでたって?」

「靖さんの店、体にいいのが売りなのにこの合わせは、と……」

 先の話を聞いていた響子は、その意味を理解した。濃厚なビターショコラのリキュールにスパイスを効かせ、生クリームベースの層を重ねる。体に良いかと言われたら、毎日は控えろと医者は言うだろう。

 しかしピスタチオは甘すぎないキャラメリゼが施され、焦がした砂糖の苦味がベリーの酸味とマッチした。それらもメインのカクテルが濃厚だからこそ合うのであって、さっぱりしたテイストなら良さを発揮できないに違いない。

 響子と匠、それぞれの様子を交互に見遣り、靖人は満足げにもう一つの皿をテーブルに置いた。真っ白な円形の平皿には、色とりどりの蒸し野菜が並び、数種のソースが周りを飾る。

 ソースから立ち上る香りは焦がしバターとハーブ、トマトとバジル、それから醤油ベースの和風か。

「俺の店は確かに体に良いものって売り出してるけど、体にいいっていうのは栄養素だけの問題でもないでしょ、二人とも」

 靖人はグラスの中でマーブル状になるショコラ・リキュールを指した。

「気持ちが伴わないと体に良いものも一気に不味くなるし、美味しければ気持ちは回復して体の調子も良くなる。そういう店なの、ここは」

 まだ決まり悪げに口をへの字にしている匠を前に、響子はもう一口リキュールを飲んだ。

「すごく、美味しい」

 ほろ苦さが混ざる甘いリキュールは、舌だけでなく気持ちを溶かしていく。そして確かに、じんわりと満たす。味わった響子の全体を。

「響子のピアノもだよ」

 靖人が他の客に呼ばれたタイミングで匠がやっと向き直った。顔にあった陰は晴れ、今度こそ愛想ではない微笑が浮かぶ。

「聴くと気持ちが上向く。目の前に示せないのが残念だけど」

 そっちもそうだろ? と匠は首を傾げた。確かにそうだ。

 思うままにこれだと思う音を発して、周りの人の顔を見て、いつしか喉のつかえは取れていた。匠のショコラを食べる時と似ているえも言われぬ静かな高揚は、形どころか言葉にすらうまくできない。

「無駄なんて言えないよね」

「掴めないけど、ちゃんとあると思いたいよな」

 実用や利潤と分かりやすく結びつかなくても。内を刺す目に見えぬ毒針があるのと同じで、うちから癒し力をくれる薬もある。

 突如、卓上のスマートフォンが明滅した。匠がタップし、画面を響子に見せる。

「というわけで、メシ終わったらデセール食べにいくか」

 突き出されたメッセージ画面に並んだ文面を読んで、響子はにまりと同意する。

「苦味のお供はやっぱりショコラかな?」

 そしてどちらからともなく、ふっと二人で笑い合う。

 穂積からのメッセージはごく短い。

『昼間の珈琲からのカフェオレ・ゼリー、いるなら十時までにいらっしゃい』


 Fine.

*ジョージ・ガーシュウィンのミュージカル、『Crazy for You』より、I got Rhythm. 日本語の歌詞はクエスチョン・マークのルビを活かす形で訳出しました。

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心に降る音、余韻の甘さ 蜜柑桜 @Mican-Sakura

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