虹の橋に犬はいない

茶谷みなと

虹の橋に犬はいない(1/1)

 さて寝るか、と灯りを消した部屋で布団をめくると、犬がすうすうと寝息を立てていた。私が布団にもぐり込んだら、犬は当然みたいに私の脇の下に収まって、二の腕を枕にしてまた寝始めた。あったかいなあ、幸せだなあ――と思いながら、私もすぐに眠りに落ちた。


 目が覚めた。夢だ、と思った。だってあの子は3年近く前に亡くなっているから。

 寂しさも感じつつ、いい夢を見たよとすぐ母に報告した。母は「昨日あんたが仕事で泣いてたから、会いに来てくれたんだね」と言う。そう言えば、前回犬が夢枕に立ったのは私の誕生日の晩だった。つくづく律儀な犬である。(関係ないけど、夢枕に立つって慣用句は人間以外にも使うんだろうか?なんだか厳かなイメージがあるから、犬に使うのは面白い)


 犬に対して、最も律儀だと感じたのは亡くなった時だった。犬はトイプードルで、名前をクーちゃんといった。クーちゃんはトイプードルとしてはなかなかの長生きで、あちこち病気をしてヨボヨボ歩く老犬ではあったが、死を間近に意識するほどではなかった。それを意識したのは2021年の年末だった。何度も痙攣発作を起こして、水もろくに飲まなくなった。正月、長い発作のあとピクリとも動かなくなった犬を見て父は「ご臨終、か……」と呟いたが、ほどなくして犬は目を覚まし、「ご臨終じゃないし!」と家族で爆笑した。病院に連れて行っても良くならず――ということもなく、犬は不死鳥のように回復した。いつも通り出された餌をより好みして、少しだけシュークリームを分けてもらっては老犬特有の白濁した目を輝かせていた。

 とはいえ、犬ももう16歳。その日が近いことは嫌でも察せられた。腎臓をサポートするための点滴を家で打ちながら、「頑張って17歳目指そうねえ」と日々声をかけた。

 2022年6月27日、犬は晴れて17歳になった。その日はずいぶん辛そうで、私は翌日仕事に行ってよいものか大いに悩んだ。

 2022年6月28日、私は結局仕事に行った。異動してきたばかりの部署で「犬が死にそうだから」と有休を取る勇気がなかった。会社を出て、急いでスマホを確認すると、母から「ママのお腹の上で息を引き取ったよ」とLINEが来ていた。

 駅に向かいながらぼたぼた泣いた。何ならこれを書いている今も泣いている。ね、律儀でしょう? 17歳を目指そうと言われたから、しっかり17歳になった翌日に死ぬんだもん。


 とは言え、犬が死後どんどん美化されているのは否めない。彼は義に篤く、人間が泣いていればすぐに寄り添ってくれる犬であったが、とんでもない邪智暴虐の王でもあった。彼はドッグフードを憎んでいた。単体では意地でも食べないので、常に少量の肉を茹でたものをトッピングして差し上げる必要があった。彼は、数多の犬猫を虜にするおやつ・ちゅーるさえ憎んでいた。以前、錠剤をちゅーるに混入させてしつこく与えようとしたので、もうちゅーるのパッケージを見ただけで歯をむき出しにしてキレるようになった。また彼はコタツを己のテリトリーだと思っていた。人間が不用意に足を差し入れればバウバウバウ!! とキレ散らかすし最悪噛むので、入る前にコタツ布団をめくってお犬様の現在地を確認しなければならなかった。父などは、犬の死後もその癖がしばらく抜けなかった。

 そんな彼だから、当然布団の中でも暴君だった。夢の中では私がスムーズに布団に入っていたが、実際の彼ならば、布団をめくった瞬間バウバウバウ!! であるはずだった。犬の生前私がしたツイートに、「いいよ 犬は好きなところで寝ればいいんだよ 人間は余ったところで寝るからね」というものがあるくらいだ。


 そう思うと、夢に出てきた犬は、虹の橋――死んだペットが飼い主を待つと言われる天国の手前の場所――から来たわけではなく、私の想像の産物に過ぎないのだなあ、と実感する。

 そもそも私は虹の橋のおとぎ話を信じていない。それを信じることで心が救われる人を否定はしないが、人も犬も死んだら土に還るだけで、魂が残ることはないと思っている。もうこの世のどこにもクーちゃんはいない。二度と会えることはない。くるくるの茶色い巻き毛に顔をうずめて息を吸い込み、臭さを堪能することはできない。

 でも、私がひとつ年を重ねた時、仕事で辛い思いをした時、犬は夢に出てくる。無意識下に犬を求めた私の脳が、記憶の断片から構成した犬を夢に見る。

 同じテーマを扱った小説で、大好きなものがある。『星になる』だ。アニメ『K』のファンクラブで公開された短編で、現在はKindleで配信中の『Four seasons of K』で読むことができる。かいつまんで紹介すると、家族や大切な人を亡くしてきたキャラクター3人が、うち1人の故郷へ墓参りに行き、七夕の夜空を眺める話だ。一部を引用する。


《アンナは、死んだ人は星になどならないと知っていた。星は誰かが死ぬ前からずっと星であり、人の生き死になどとはなんの関係もなく存在しているのだと。だけど、ミコトの赤が、タタラの思い出がアンナの胸の中に確かに生きて、支えてくれているのだと信じているように、その人が想いを抱いて見上げるとき、人は確かに星になるのかもしれない。》(1)


 2017年の初出からずっと大好きで、お守りのように繰り返し読んでいるフレーズだ。もう本当におっしゃる通りで、クーちゃんは虹の橋にいないし、星になってもいない。けれど、私が彼の温もりを求めて布団をめくる時、いつでも犬はそこにいるのだ。それは、とても幸せなことだと思う。


【参考文献】

(1)来楽零. “星になる”. Four seasons of K~もしかしたらあったかもしれない季節の短編小説~. GoRA編著. 東京, WiZH, 2023, p.64.



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