後篇 ケイ
昔から人には見えないものが視えた。けれど両親からすれば子どもの言うことなんて冗談にしか聞こえない。道端に変なのがいる、新居が悪霊だらけ、何と言おうが信じてもらえなかった。
その結果、私は独りになった。約十年前のある朝、起きてきたら洋館の大広間に黒ずんだ変死体が三つ――両親と妹が転がっていたのだ。こんなところ住みたくないって言ったのに。内心で両親を責めながら泣いていると、真っ黒で大きな何かに右腕を掴まれた。今思えばアレが怨霊だったのだろう。その時に助けてくれたのが雪だった。大きくなり過ぎて祓えないからと一時的に封印し館を出た。
現在は喫茶インフェルノの二階の一部屋を借りて、祓い屋をしながら生活している。刀の扱いを学んでからはひたすら霊を狩り技術を磨いた。
全ては今日、館の怨霊を祓う為に。そう決意していた割に、自分の体は動かなかった。先ほど現れた扉も怨霊も後輩と共に消え失せ、目の前にあるのは何の変哲もない壁だけ。私は後悔の念に駆られ、その場で立ち尽くしていた。……が、不意に後輩が『さっき言ったこと』を思い出す。私がやるべきことは教えてもらった。
行き止まりなら引き返せばいい。くるりと180度体の向きを変えると、宙に浮く青白い人魂がいた。気配もなく現れたので思わず肩が震えた。まさか善性の霊が残っているとは想定外だ。刀を鞘に収め、暫く様子を窺っていたら突然ふよふよと廊下を進み出した。
ついて行ってみると、人魂は突き当たりの扉から少し離れた位置で止まった。行ってと背中を押されているような気がする。その感覚がどこか懐かしい。
「……めぐみ?」
人魂は一切の反応を示さない。
怨霊も同じように呼んでいた。私の名前の漢字から着想を得たという妹の名前。あの怨霊の中には両親の魂もいるのかもしれない。でも妹は――めぐみは、呪いに呑まれることなく確かに此処にいる。
「案内してくれて、ありがとう」
扉をゆっくりと開く。見上げるほど天井の高い大広間が其処にあった。大階段の踊り場に置かれた大きな振り子時計の中には後輩が閉じ込められている。呪いの影響を受けているのか血色が悪い。走って向かった矢先、時計の前に怨霊が姿を現した。その巨躯に圧倒されつつも瞬時に抜刀する。時を重ねた弊害か、十年前より僅かに小さくなったように見えるし、自らお出ましとは好都合。
絶対に斬る。地を踏みしめて高く跳躍し、刀を振り翳す。
目には目を、歯には歯を、呪いには呪いを。
「どうか、安らかに」
二つに裂かれた怨霊は静かに消えた。
刀で時計の扉をこじ開けると、後輩は私に覆い被さるように倒れてきた。左手だけではどうにも支え切れなくて私は足を踏み外し階段から転落した。お蔭様で背中が痛い。後輩が私の上に乗っている状態なので、ついでにお腹も苦しい。
「起きて後輩。終わったよ」
優しく背中を叩くも、目覚める気配が微塵もない。体勢を変えて後輩を地面に寝かせようかと思考を巡らせていた、その時だった。
天井からガタッと音が鳴ったと思うと、大量の蜘蛛の巣に絡まれ、ある意味では豪勢なシャンデリアが落下してきた。血の気が引いた。もう避けられないと諦め、固く目を瞑る。
「ほら、言った通り。足は引っ張らなかったでしょ」
ドンッ!
重々しい音に目を開けた。左側に首を動かしてみれば、ところどころ砕けたシャンデリアがある。
「……遅い」
「はは、すみません。疲弊してたもので」
後輩は笑いながら私の手を引いて、起き上がるのを手伝ってくれた。思っていたよりずっと元気そうだ。それより手を握られ……右、手。
「離し、」
「知ってますよ」
後輩は私の右手を握り締める。
怨霊に掴まれたのが原因で呪いを受け、それによる腐食を止める雪の特製包帯を巻き、更に手袋も装着した。怨霊を祓っても絶えず呪われていると何となく判るこの手を人に触れられるのは久しぶりだ。
「右手、呪われてるんですよね」
若葉色の真っ直ぐな瞳で言われた。
「なん、で」
「手袋してるし、あからさまに距離取るし、変だなとは思ってました。最初はそれだけ。怨霊に捕まった時に気配が同じだって気付きました」
「そうじゃなくて」
首を捻った後輩はすぐに察したようで話を続けた。
「これは雪さんに言われて知ったんですけど、呪いに強い耐性があるみたいなんですよね、僕。だから触っても平気なんだと思います。多分」
「はっきりしないね」
「確定事項じゃないので……まあ、こんな変な体質もあるくらいですから」
後輩がずっと握っていた私の右手の甲に唇を落とす。……今、何が起きた?
「林檎に毒を盛られた白雪姫が王子様のキスで目覚めるみたいに呪いも解けたら、なんて」
考えるより先に手が出た。私はわざと右の拳で後輩の頬を殴った。いったああい、と間抜けた声が大広間に木霊する。
「ちょっと、冗談言っただけで殴らなくてもいいじゃないですか!」
「やっていいことと悪いことがある。君なら、どうせ友達にも似たようなことしてるんでしょ」
図星だったらしく、後輩は口をキュッとすぼめた。その顔が何だか面白くて、ふっと笑い声が洩れてしまった。
「今の流れで何か面白いことありました?」
「あったよ」
「えー……?」
「さて、帰ろうか」
立ち上がって袴についた埃を払い、後輩に向き合う。
「如月くん、でいい?」
怨霊に囚われていたのは嘘みたいに、彼は笑顔で返事してくれる。
「……はい!」
考えたことがある。霊的存在を知らない方が幸せなら、知っている方は不幸なのか。何も知らず呪い殺された私の家族は幸せだったのだろうか。
何となく如月くんに訊いてみると。
「僕は知ってて良かったと思ってますけど、そう言う先輩はどうなんです? ……さあどうかなって、はっきりしませんねぇ。
ブーメラン? 分かってますよこちとら。ご家族に関しては――さぁ、本人次第じゃないですか? 少なくとも、先輩と過ごした時間は幸せだったのでは?」
なんて。彼らしくて、いい答えが返ってきた。
独りになってから、自分は『恵』という漢字が名前に充てられているのに恵まれていないと思っていたけれど、そうでもないかもしれない。
祓い屋さまの赤い冬 双葉ゆず @yuzu_futaba
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