第7話 弟分は弟分として

 別の日、放課後に実家の仕事を手伝う。おふくろは出張サービス中で店に居ない。

 天気がグズついてきたから外の鉢植えを店内に運んでいると、遠くからツクツクボウシのような排気音コールが聞こえてきた。蓮くんの単車ザリを思い出して手が止まる。


 近づいてくる単車の真っ赤なフォルムは間違いなくザリガニと言っていい。

 超カッケェ。中免を取ったのに未だに自分の愛車を持ってないから、羨ましくて凝望する。

 そんなザリが花巻生花店の前に停まった。乗り手は高そうな革ジャンとジーンズの男だ。


「あん?」


 フルフェイスヘルメットのせいで顔が見えない。蓮くんが乗ってるのかと目を疑った。

 だが、メットを取ったら色黒で人相の悪いオッサンだった。眉に傷があって、歯がヤニで黄色くなっている。蓮くんと比べたらガタイが良すぎる彼は、こちらをねぶり見る。


「客に『あん?』はねえべよ、大和」


 名前を呼ばれてドキッとする。名前呼びをするのはおふくろか蓮くんくらいだ。じゃあ、このオッサンは誰なのか? まったく思い当たる節が無かった。少なくとも客ではあるようだ。


「さーせんっす、いらっしゃいやせー」


 植木鉢を置いて小さく頭を下げる。

 オッサンはズカズカと店の中に入って、「さゆりさんは?」と尋ねた。居ないと答えると、まいったな、と白髪交じりの頭を掻いた。


「なんだや、さゆりさんの花束を買いに来たってのに」


「花束なら俺が作るっすよ」


「ああ? お前に出来るのか?」


 失礼な客だ。だが、まあ、接客もロクに出来ないし、そう思われてもしょうがない。

 せっかくだから証拠を示そう。店内に展示された花束を指さす。


「そこの花束はなぁ、何を隠そう全部この俺が作ったんだよ」


「嘘こくなや。さゆりさんの作った花束だべ?」


「は? 嘘じゃねえよ。おふくろ……店長が言った通り、贈る相手のことを思い浮かべて作ったら、こんな会心の出来になったってワケよ。それぞれ題名は『天使』『笑顔』『唇』だ」


 鼻高々になって三つの花束を右から順に説明する。全部、白系か青系だけど少し違う。

 オッサンは顎髭をジョリジョリしながら、渾身の作品集を鑑賞した。


「へぇ、大したもんだ。でも、なんかキモいな」


「うるさいわい!」


「まあええ。ただ、この花束じゃダメだ。できれば元気をくれそうな花束を見繕ってくれや」


「え……、それは俺に注文するってことか?」


「んだ」


 地元訛りで首肯した。初めての仕事を任されたのだ。

 花巻は舞い上がって仕事を受けた。二日後の同じ時間に受け取りに来るという。



 ◆



 元気をくれそうな花束なら黄色い花にすべし、バイ、おふくろ。


 初めて受けた注文ということもあって、張り切って仕入れまでしてくれた。しかし、トラックがネオン街のストリートに入れないため、大通りまで移動してそこから運ぶ形になった。


「おつかれさまっしたー」


 トラックの運ちゃんに挨拶し、花の入った箱を見下ろした。黄色い切り花が黒い正方形のコンテナに入っている。しかも三箱。台車を持ってくればよかったのだが、すっかり忘れた。

 持ち上げると、思いのほか軽かった。浅く水が入っているだけで大して重くないようだ。


 あの日、花巻はユーキに花束を渡せなかった。

 思い出すと歯の裏を舌で舐めてしまう。

 気持ちを伝えられなかったって経験は苦いのだ。


 だから、あのオッサンにもそうなってほしくない。

 ちゃんと届けられるといいな。

 と、数刻後の引き渡す光景を想像して、笑みが浮かぶ。


「オイ」


 そんな声に目をやると、いつぞやの鼻金ピアスだった。一緒にいるのはざんばら髪の薄気味悪い根暗ナイフ野郎。二人で歩いている奴らは高校のアタマ張ってる虎刈りの取り巻きだ。

 威圧感を出しながらぐんぐんと近づいてくる。


「おいコラァ、よう逃げよって。テメェのせいでドヤされたわ」


 口角に絆創膏を貼っているところを見るに虎狩りから一撃をもらったのだろう。

 二対一なら勝てるかもしれない。

 ただ、花巻には戦えない理由があった。


 まずいな、花を置いて喧嘩すりゃあ、確実に花をめちゃくちゃにされる。


 それだけは絶対に避けなきゃならない。

 先日の体育倉庫での決闘で気づいた。金ピアスは手を出さずに監視だけってことだ。

 そういう奴は頭を使える。だから、花の入ったコンテナを手放せば狙われるのは明白だ。


 手を出せれば簡単なのに、と悔しさを呑んで、路地へ逃げ込む。


「待てやコラァ!」


 思ったより軽いとはいえ、コンテナを抱えたままじゃ逃げ切れない。

 そう思った時だ。背後で、ヒュン、と風を切る音がしたかと思うと、太ももに灼けるような痛みが走った。

 堪らずアスファルトに膝をつく。花をつぶしてしまわないように四つん這いになった。


 手で確かめ、足に刺さった獲物を抜いた。ナイフだ。見覚えがある。

 振り向くとあの根暗野郎の汚い歯が見え、野郎の後ろから勢いよく金色の影が飛び出した。

 逃げる間もなく、金ピアスに背中を打たれる。


「ゲホッ」


 肺の空気が一気に押し出されて咳き込む。

 横っ腹を蹴られると、吐き気がこみ上げる。背中を丸めて亀になった。


「喧嘩も出来ねえヘナチョコがよ! それって滝沢蓮のマネごとかぁ?」


 怒りがブワッと噴き上がった。歯ぎしりが頭の中でリボルバーのようにガチガチと鳴る。

 この金ピアスは蓮くんを馬鹿にした。何よりも許せないことだ。

 もう黄色い花のことが目に入ってなかった。


「ピアス野郎、お前ーッ!」


 勢いよく立ち上がる。だが、その勢いのまま雑居ビルの排気管に思い切り頭を強打した。

 はっきり言って自滅である。

 意識が飛びそうになった時、横から飛び出してくる影があった。


「ユーキ!?」


 色素の薄いボブカットの下から覗かせる病的なほど黒い瞳で金ピアスを射抜く。瞬間、壁のダクトを掴んで跳躍。オーバーサイズのTシャツがめくれ、ショートパンツが見えた。厚底スニーカーの踵が金ピアスの脳天を打つ。


 ぐしゃ、とおよそ人間が鳴らしてはいけない音をさせて、金ピアスが地面に伏せた。

 腕や足が不規則に震え、うー、うー、と唸っている。足を全部もいだバッタみたいだ。


 まさかの一撃。


 その思い切りの良さに根暗野郎は狼狽えていた。オロオロして挙句の果てに花巻へ「どうしよう」とすがりついてきた。花巻だって地面に尻を付けて、この光景に混乱しているのに。

 ユーキは金ピアスの髪を掴んで、ドロドロの顔と向き合った。


「もうあにきに手を出さないでください。鼻の穴、一つになりたいッスか?」


 鼻についた金ピアスを、緩んだアームカバーから顔を出す細い指でつつく。

 金ピアスのぼんやりとした表情がみるみる恐怖の色に変わった。


「ああああああああッ」


 目がぐるんと白くなって、頭がガタガタと上下に震えた。

 短い呼吸を繰り返し、よろめきながら路地から逃げていく。それに根暗野郎も追随した。

 そして路地に居るのは花巻とユーキだけになると、


「はぁ~~~~……」


 ユーキは空気が抜けるようにその場へしゃがみこんだ。

 慌てて駆け寄る。肩に手を乗せると、小刻みに震えていた。

 複数の感情が大量に湧き上がる。心配と恐怖、後悔と情けなさをいっぺんに処理できない。


「ユーキ、お前そんなに怖ぇなら、危ない真似するんじゃねぇ」


 口をついて出たのは怒りだった。

 もし失敗していたら。

 思い返すだけでぞっとする。


「ぼくは弟分として当然のことをしたまでッス!」


 怒気を孕んだ返答だった。言外の「なぜそんなことを言われなきゃならないのか」という意味が充分に伝わってきて、それでやっと花巻は自分の言葉選びにしくじったと気がついた。


「確かにそうだ。俺が悪かった」


 この扱いは弟分にするべきものじゃなかった。

 ならばどうすれば良いのか。

 ユーキは弟分で好きな人なのであった、不覚にも。

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