第6話 兄貴と呼ばれるからには兄貴らしく

 花巻大和の朝は早い。

 兄貴と呼ばれるからにはなにか兄貴らしくしてぇ! と前のめりで目覚めた。

 それも今日の放課後、ユーキに会う予定になっているからである。


「おはよう、おふくろ! 今日は帰り遅いから、やれるもんやっておくぜ」


 母より早く起きたのもそのためだ。軍手をして植木鉢を運び、床をモップで拭いた。

 朝に働いて、一時間だけ放課後に時間を作ったのだ。



 ◆



 おかげで五時間目は超眠い。木造校舎のボロ教室、その窓際であくびをした。今日もクラスは平和だ。爺さん先生の蚊の鳴くような声はぜんぜん聞こえないくらいダベってるし、アホの男子が上半身裸になって腕相撲を申し込んでくるし。もちろん勝負は受ける。そして勝つ。


 そんな空気をぶち壊し、「おいコラァ」と声がした。一瞬で静まり返り、声のした方へ目を向ける。タッパのある男子が二人。ただごとではない雰囲気に誰もが息を呑む。鼻金ピアスが「滝沢蓮の葬式に出てたのは誰や」と問うた。誰も返事しないまま、たった一秒後に「誰やァ!」と教室の引き戸を叩き、溝から外れて廊下に倒れた。窓は最初から割れているから木板がベコンとなる音だけがする。


「俺だ。何の用だ」


 席についたまま、鼻に金ピアスの男子へ返事した。金ピアスはニタァと笑って、虫歯がちの白黒の歯を見せる。もう一人の男子に合図した。

 

 もう一人が背中から出てきた。ざんばら髪で薄気味悪い奴で、ナイフの刃を舐めた後、それをコチラへ投げつけた。カッターはザクッと花巻の机に突き刺さった。

 暗殺者みてぇな輩だ、と喉がゴクリとなる。


 金ピアスが両手で中指を立てた。


「今年もわが校の伝統行事がやってきました。そう、殺し合いです」


 言い終わると同時にサムズダウン、ニタァと笑う。

 上半身裸のアホ男子が「でもそれってよぉ、一年の目立つ奴を三年のDQNがシメる奴だべ?」と一言いれた。その通りだ、と花巻はうなずく。


「あのー、センパイ。ここ、二年のクラスっすよ」


 花巻たちは二年なのだ。たぶん三年らしき金ピアスに敬語で話す。


「虎刈りの命令や。滝沢蓮の葬式でテメェはやりすぎた」


 虎刈りは葬式に先陣切って特攻を仕掛けた男だ。この学校のヤンキーたちを仕切っている事実上のボスである。つまり、この二人はその手下というわけだ。


「うちらに手ェ出したツケはキッチリ払ってもらうわ。おら、来いや!」


 筋肉ダルマが口から煙を吐く。コーッ、シューッと蒸気が上った。どう見ても人間じゃない。ただ一つ明確なのは、行かなければここで暴れるってことだ。


「しょうがねえな」


 クラスの平和を愛してる。それに、蓮くんのことはこいつらに関係ねぇ。



 ◆



 この喧嘩は買うべきではない。連れていかれたのはなぜか精子の臭いがツンと漂う体育倉庫で、そこには三人の三年が武器を持って屯していた。バッド、折れたモップ、ナックルまで持ち込んでやがる。金ピアスと根暗ナイフを合わせて五人が相手という計算だ。

 金ピアスがバスケットボールの入ったカゴを蹴る。


「ウチは虎刈りが仕切ってんだよ。滝沢蓮の葬式にいたテメェは何者だ?」


「俺は蓮くんを尊敬してるんだ」


「終わった世代だろ。同じチームだったわけでもねぇ。そんな繋がりであの虎狩りと敵対するなんて道理が通らねえんだよ」


 ちょうど『あの』のところに力を入れて金ピアスは語った。

 確かに葬式の抗争で虎狩りは倒せなかった。隊服を着た上世代がいても、サツが来るまであいつは式をめちゃくちゃにしたのだ。

 だが、彼の言葉に花巻は鼻で笑う。


「道理? じゃあお前は理屈で不良やってんのかよ?」


 金ピアスの奥歯がギリッと鳴った刹那、ボールの入ったカゴを蹴り上げる。体育倉庫の用具入れをボーリングみたいになぎ倒した。

 はっきり言って、こんな連中を相手に勝てるわけがない。

 確実にボコって虎刈りの前に差し出すとか、そんな見積もりでもあるんだろう。


 売られた喧嘩は買うしかねぇ。

 一対五の殴り合い。


「おらああああ!」


 ……。

 …………。


 結果は花巻のボロ負け。体育倉庫の汚い天井がぐるぐると回って見える。

 煽ったくせに情けねえ。喧嘩は大して強くないのにイキっちまう。

 バカなことした。今日はユーキに会うって約束だったのに。


「もう良い頃合いだろ。てめーら、こいつを虎刈りの所に連れていくぞ」


 金ピアスが仕切った時、運命の鐘が鳴った。放課後だ。一瞬の隙をついて、体育倉庫から飛び出た。ローファーのガタガタとした音がフロアを響かせてうるさい。金ピアスが「待てや!」と叫んだが、全力疾走で体育館裏から道路に出た。追いかけてくる連中は武器所持のせいで遅い。

 全身バキバキに痛む体を引きずって命からがらの敗走である。



 ◆



 高架下に逃げ込む。コンクリートに背中を預け、その場にしゃがんだ。

 そこへ思いがけない人物が来る。


「ユーキ!?」


 パシャリ、驚く顔をスマホで撮影された。ご丁寧に自撮り棒まで持ち歩いてるし。


「やっほー、あにき。偶然バッタリ記念ッス。って、すごい顔ボコボコじゃないっすか!」


 ぶかぶかの袖から指だけ出した手で、頬をふっと触ってくる。「いたそ~」とあまりに薄い感想を述べられて、なんだか痛みも感じなくなってきた。そうするとユーキの姿に意識が映っていく。今日の服装は下に何にも穿いてないみたいに見える水色のロングパーカー。厚底スニーカーを履いているが、身長は花巻の胸の下ほどだ。ああ、なるほど。


 ユーキが好きだ。かわいすぎる。


 自分がギリシャ人ならこの可愛らしさを星座にしていたに違いない。しかし、好きだと言うわけにはいかないのだ。なぜならユーキは弟分。自分をあにきと慕う義兄弟の関係だから。


「はぁ……」


「もう何すか、ぼくに会うなりクソデカため息して~」


「してない」


「してたッスよ。あ、もしかして学校でつらいことでもあったッスか?」


 ハンカチを取り出して、こちらの頬に当てた。やけに熱い痛みが走る。


「痛っつ……」


「また喧嘩ッスか~。変わらないッスね、あにきは」


「うるせえ。うちの学校はヤンキーばっかだからしょうがねえんだ」


 ハンカチを奪うようにして自分で怪我を押さえる。


「え、でも、定禅寺高校ッスよね? 進学校じゃないッスか」


「それは普通科の話な。県下最強の不良高校と思って入ったら、高校合併だかでヤンキー全員が一クラスに集められたんだよ。しかも、ボロっちい木造校舎だぜ?」


「へ~、『ごくせん』のZ組じゃないすか。あ、それとも『暗殺教室』のE組的な?」


「すごい先公がいたらの話だろ。うちにはいねーよ、ヤンクミも殺せんせーも」


 けっこうユーキもマンガ読むんだな、と振り向いたら、彼女は思い詰めたような表情をしていた。違和感を覚えるが、なぜそんな顔なのかまったく検討がつかなかった。


「あにき、学校は楽しいッスか?」


「まあ、家に居るよかマシだな。バカしかいねーから暇つぶしになるし」


 ユーキは沈んだ声色で「ふーん」とこぼした。


「じゃあそれって大勢に追いかけられていてもッスか?」


 ユーキはスマホをチラリと見せた。スマホカバーがウサギ耳で、画面が割れたアイフォーンだった。そこには確かに花巻が三年に追いかけられる姿が映っていた。

 驚いた。逃げて隠れている状況を思い出し、驚く声を飲み込む。


「ダセェよな。兄貴失格だぜ」


 後頭部をコンクリートの壁に当てた。ひんやりとしたのは壁の冷たさだけではない。

 もしもユーキが兄貴として慕ってくれなくなったら、と想像したがゆえの冷えである。


「失格じゃないッス!」


 大声が高架下で反響した。耳がキーンとなる。その方へ目をやるとランランと輝く瞳がこちらをじーっと睨みつけていた。さらに、すーはぁー、と呼吸を貯めている。あ、まずい。

 とっさに口を押さえにかかる。


「あにきはかっ……わぷっ!? ん――!」


「バカ。大声を出したらバレるだろうがっ……!」


 言いながら、手のひらに伝わる感触に心臓が跳ねる。


 やっ、柔らけぇ……っ!


 だが、唇の柔らかさに感動する時間も束の間に。

 ガリッ、と指を噛まれた。


「痛っででででで!」


 手を振って噛みつきから逃れる。とんでもない奴だ。噛むのは反則だろ。


「いつまで口を押さえるッスか!? 窒息死ッスよ!」


 そんなに押さえていたつもりはなかった。あまりに感動して、束の間に感じられたのだ。

 まあ、そんなことは教えられるわけもなく、小さく手刀を切る。


「わり」


「あにきはぼくの扱いが雑なところあるッス!」


 ぷんすか、という感じで頬を膨らませた。リスみたいだと思ったが、胸に秘める。


「昔はやんちゃ坊主だったから仕方ないだろ!」


「じゃあ今は?」


 手のひらにまだ柔らかい感触が残っていた。それを抑え込む勢いで手を握り締める。


「か、隠れてる時に大声出すからだ」


「へ~~~~。なら今度は小声で話すッス」


 ユーキは耳元に唇を持ってきた。いや、口を近づけた。すぅー、と呼吸音がする。


「ふーっ」


「ふぉおおっ」


 変な声が出た。そのせいか「なんか声がしたぞッ」と遠くから聞こえた。

 三年に見つかったらしい。

 なんで、これで見つかるんだよ。


「逃げるぞっ、ユーキ!」


 ユーキを連れて走った。バカバカしいけど、ちょっと楽しい。

 それにしたって上手く兄貴らしくできなかった。

 ただ、それで良いかもしれない、と思う気持ちが心の片隅に芽生えていた。


 なぜならいつも通りの自分でいたって、ユーキは変わらず隣に居る。

 そんな時間がとても大事に思えたからだ。

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