第8話 渡せなかった花束に付ける名前は

 弟分なら兄貴を助けるのは当然だって言うけれど、ユーキを危険に晒したくは無い。

 もちろんその原因を作っているのは自分だって分かってるつもりだ。

 また同じような目に遭った時、喧嘩が弱い自分に彼女を守れるのだろうか。


 いや、一◯◯%は守れない。ならばいっそ。


 彼女の肩に乗せた手のひらを引き上げる。

 一歩さがろうとしたその時、引き上げた手を引っ張られた。


「あにき! ぼくは弟分として素晴らしい働きをしたッスよ! なにかないッスか!」


 キラキラとした瞳を向けられると戸惑う。

 何を求められているのか分からなかったからだ。

 引っ張られた手を握るユーキの手の温度が伝わってきて、もしや、と思う。


「こう、か?」


 温度が伝わってきた自分の手をユーキの頭に乗せる。

 ユーキの手は顔の横で宙をさまよった。


「よくやった」


 ぐりぐりと頭を撫でてやると、オレンジの香りがした。

 いい匂いだ……、って。

 思わずもう少し嗅いでいたくなる自分に気づいて恥ずかしくなる。


 弟分に何を考えてるんだ!


 こんなの嫌がるに決まってる。

 慌ててユーキを見やると、


「……あう」


 頬が真っ赤だった。

 あまりにしおらしい反応に息を呑む。

 視線が交わり、瞳孔が開いた。一瞬、お互い同じ気持ちでいる気がしたのだが。


「ちっ、違うッス!」


「おわっ! ごめん! 嫌だったよな……!」


 勢いよく手を離した。パーソナルスペースも充分に取る。

 やっぱり違うのだった。盛大に勘違いをやらかしてしまった。

 羞恥! 後悔! 反省、落胆、かくなる上はッ!


「嫌じゃないッスけど、そうじゃなくて!」


 脳裏で切腹していた花巻の意識をユーキの声が引き止める。

 嫌じゃない?

 そうじゃなくて……あっ。


「お礼も何も言ってなかったな。ありがとう、助かった」


「えへへ」


 照れを幾分か含んだはにかみが輝いている。

 心の中にあった重たいものが、いつの間にか無くなっているのに気がついた。

 一方でユーキの方は蹴られて汚れた花巻をしげしげと眺めている。


「ところであにき、こんな面倒事を背負い込んでも学校に行くんすね」


「まあな」


「あの、学校なんか行かなくても良くないッスか?」


 考えたこともなかった。しかし、面倒事を持ってくるのはいつも周りだ。喧嘩を吹っかけられるのは日常茶飯事。生傷も絶えない。家の仕事も邪魔される。でも学校には通うんだ。そういうもんだろ?


 違和感がどうしても拭えない。なんでそんなこと訊くのだろう。

 その質問をユーキがした意味は分からないが、明確な回答は持ち合わせていた。


「蓮くんの母校で最後の不良なんだ。高校合併のせいで一年にはヤンキークラスが無いから、蓮くんを尊敬して入学したのは俺らの代が最後。その火を絶やすような真似はしたくねぇ」


 なのにアタマの虎刈りが反滝沢蓮派ってのは、花巻には目の上のたんこぶだ。

 先日の葬式で、とうとう虎狩りとぶつかるハメになった。


「やっぱりあにきは格好いいッス」


 ぽつりとした呟きになにか引っかかりを覚えるが、矢継ぎ早に話題を切り出してくる。


「あにきは他に困ってることはないッスか?」


「ああ、じゃあ花を運ぶのを手伝ってくれ」


 こうしてユーキと一緒に黄色い花を店へと運んだ。



 ◆



 後日、花束が出来上がった。

 黄色の花はビタミンカラーと言って気持ちを明るくさせる。

 鮮やかな黄色のオンシジューム。それただ一種類の花束。


「おうい、坊主。出来てっかぁ?」


 ちょうど革ジャンのオッサン――注文した客が店にやってきた。


「出来てるよ。ほら、どうだ」


 作業台に寝かせた花束を起き上がらせる。

 すると、小さな花々が一斉に揺れた。

 おっさんはあごのヒゲを擦り、丁度いい言葉を探るようにすーっと空気をすすった。


「良し悪しは分からねえけどよ。まるで花が踊ってるみたいだな」


「オンシジュームという花だ。茎からたくさんの花を付けて、ドレスでめかした女が踊ってるように見えるだろ?」


「おお、たしかに」


 尤もらしい話を聞いて顔を上げたオッサンに、鼻高々になって続ける。


「だからこの花は英語で、ええと、なんだっけ。ダウジング・レディ・オットットだ」


 うろ覚えで花の英名を答えたが、たぶん違う。花を注文する時に母から聞いていたのに。

 するとレジから声が飛んでくる。


「ダンシング・レディ・オーキッド……ッスよ! あにき」


 声のした方を見ると、青い花があった。いや、ユーキだ。水色のTシャツは花屋で目立つ。

 花を運んだ後、家に上がってもらっていたのだ。補足ついでに「何ッスか、振り子を持ってよろめく女ダウジング・レディ・オットットって」とツッコミを入れた。


 オッサンはくつくつと笑っていた。

 カーッと恥ずかしくなり、ぶっきらぼうに花束をオッサンに差し出す。


「と、ともかくこれで出来上がりだ。問題ないか?」


「ああ。これでウチのバカ息子も少しは喜んでくれるだろうさ」


 息子に花を送る意味にピンと来なかったが、客には客の事情で花を買うから聞きはしない。

 オッサンから代金をもらって店の前まで送った。

 やっぱりオッサンの単車ザリは蓮くんの真っ赤な単車ザリそっくりだった。


「ありがとな、大和。あんたに頼んで良かった」


 そう残してオッサンは小気味よいリズムで単車をフカした。

 目をつぶると蓮くんをがむしゃらに追いかけていた日々が脳裏に浮かぶ。


 心の兄貴。


 まぶたを開き、店へと振り返るとユーキが花に囲まれていた。

 ユーキが好きだ。

 でも今度は自分が心の兄貴になる番なのだ。


「ユーキ、さっきは助かったぜ。さんきゅ」


「へへっ、弟分なんすから当然ッス! ところでこのブーケは何ッスか? 天使、笑顔、唇」


「わーっ!」


 大急ぎで戻って誤魔化した。題名を並べるのはもうやめようと胸に刻む。

 その日にユーキと別れた後で、今度は黄色いブーケを作った。

 渡せない花束に心のなかで『オレンジ』と題打って。

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