第二楽章 音楽同好会

 入学式が終わり、教室に戻った俺たちは、その後しばらく担任からの説明やら書類記入で時間を潰していた。そしてようやく放課後を迎えたころ、突然催馬楽が教室にやってきた。

「礼くん、ちょっと!」

 彼女は急に俺の席の前に立ち、俺の腕を掴んで引っ張り出す。

「な、何だよ? 急に!」

「つべこべ言わずに、ちょっと来て!」

 彼女は俺の言葉を無視し、そのまま強引に音楽室へと連れて行く。

 音楽室の中は、まだ朝と同じように静寂に包まれていた。彼女は俺を部屋の真ん中まで連れて行き、手を放した。

「礼くん、実はね……音楽同好会を立ち上げようと思っているの!」

 彼女の目は輝いている。まるで新しい世界を見つけたかのように。

「音楽同好会?」俺は眉をひそめた。

「そう。音楽を愛する人たちが集まって、自由に楽しむための同好会。学校には正式な音楽部がないから、自分たちでやるしかないと思って。で、礼くんにもぜひ入ってほしいんだ!」

 俺はその言葉を聞いた瞬間、心の中で一歩引いた。

「……いや、俺はいいよ。音楽はもうやらないから」

 軽く首を振って拒絶すると、催馬楽の顔が少し曇った。

「そう言うと思った。でもね、礼くんがコンクールで出したあの音色は、音楽が好きじゃないと出せないと思うの。だから……もう一度だけ試してほしいの。お願い!」

 そう言って彼女は、俺が中学時代に使っていたのと同じ楽器――トランペットを手渡してきた。

「……無理だよ、催馬楽。俺にはもう……」

 トランペットを見つめる俺の手が、自然と震え始めた。中学時代の記憶がよみがえり、父親の冷たい言葉が頭の中でこだました。

『才能がない人間は音楽をやってはいけない。お前にはその資格がない』

「せっかく誘ってくれたけど、やっぱり俺には無理だ」

 そう言いながら、トランペットを彼女に返そうとする。だが、催馬楽はその手を押し戻し静かに俺を見つめた。

「礼くん、お願い。せめて一度でいいから、吹いてみて」

 彼女の真剣な瞳に負けて、俺は仕方なくトランペットを口元に持っていった。しかし、吹こうとするたびに過去のトラウマがよみがえり、指が硬直してしまう。音を出すどころか、楽器を持つことさえ苦痛だった。

 俺は深い溜息をつき、結局トランペットを音楽室の机にそっと置いた。

「やっぱり無理だ……」

 俺はトランペットを机に置いたまま、無言で音楽室の扉へと向かった。背中に催馬楽の視線を感じたが、振り返ることはなかった。音楽から逃げてきたはずの自分が、ここでまた過去に引き戻されるのが怖かった。

「……待って、礼くん!」

 扉に手をかけたその瞬間、彼女の声が俺を引き止めた。その声には寂しさが滲んでいて、足が一瞬だけ止まってしまう。だが、俺は顔を伏せたまま、静かに息を吐いて言った。

「悪いけど……やっぱり、無理だ。俺には音楽をやる資格なんてない。もう、音楽には戻れないんだ」

 その言葉を告げると、俺は早足で音楽室を出た。廊下に出ると、急に自分が小さくなったような気がした。そして、あの日、父が言った冷たい言葉が一瞬にして頭の中でこだました。

 音楽室から遠ざかるほどに、俺の足取りは重くなり、どこか後ろ髪を引かれる感覚に苛まれた。催馬楽が俺にかけてくれた言葉は温かく、俺の心の中にまだ音楽への未練が残っていることを気づかせた。だが、だからこそ、また傷つくのが怖かった。

「音楽は……俺には関係ない。関係ないんだ」

 小さく呟きながら、自分にそう言い聞かせて、俺は逃げるように音楽室から遠ざかった。

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