僕の青い羽

ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中

僕の青い羽

 僕は大好きな父さんと母さんと、誰もこない森の中で暮らしている。


 父さんの背中には、夏空みたいに鮮やかな青色の大きな羽が生えている。大きさは全然小さいけれど、僕にも同じ色の羽が生えていた。


 だけど母さんには羽がない。父さんは鳥獣人という種族だからあるけど、母さんは人間という種族だから元々羽がないんだって。


 僕は父さんからは青い羽を、母さんからは母さんそっくりの顔と黒髪を受け継いだ。どちらも僕の宝物だ。


「森の外には鳥獣人と人間が沢山いるの?」


 何も知らない僕の質問を聞いた母さんが、辛そうな表情に変わる。僕は自分が言っちゃいけないことを聞いたことが分かった。父さんが慰めるように、僕の頭を撫でる。


「できればフェイには何も知らないままでいてほしい。だがそういう訳にもいかないだろうな」

「あなた……っ、フェイが知るには早すぎるわ!」

「そうだね。せめてこの子が一人前に空を飛べるようになる時までは、今のままで――」


 僕を抱き締めた母さんを、父さんが大きな羽で守るように包みこんだ。


 僕は人間で言うなら、もうすぐ大人の年らしい。だけど鳥獣人は人間より長命な分、成長が遅い。だから僕は子どもの見た目をしていた。そのせいで、父さんも母さんもいつも僕を子ども扱いしかしないんだ。


 ――でも、二人が困った顔をするくらいなら、このまま何も知らなくていいや。


 二人のぬくもりを感じながら、思った。



 そんな幸せだった僕たち家族の時間は、唐突に壊された。


 森の友達と遊んでいる時、おうちの方角から母さんの叫び声が聞こえてきた。胸が締め付けられるような悲痛な叫び声に急かされて、必死に家へ向かう。


 僕の羽は未熟で、父さんみたいに飛ぶことはできない。だから羽が邪魔にならないよう、折りたたんだまま走った。


 以前父さんから、父さんは記憶にない小さな頃からお空を飛んでいたと聞いたことがある。「だから私は見つかってしまった。結果こうして母さんといられているから、悪いことばかりではなかったけどね」と意味が分からないことも言っていた。


「見つかったって、何に?」


 僕の質問には、父さんのちょっと困ったような笑みだけが返ってきた。


 でも父さんの言葉で、僕の羽が小さいせいで飛べないことが分かった。人間のお母さんのお腹から生まれたかららしいけど、この先羽が成長するかは誰にも分からないんだって。すると母さんが言った。


「飛べなければ見つかることもないわ。だからこのままでいいのよ、私の可愛いフェイ」


 母さんは、僕が何かに見つかるのが嫌らしい。だったら僕は母さんが大好きだから、飛ぶ練習はやめちゃおう。そう思って、密かにしていた練習はやらなくなった。


 だけど今だけは、飛びたくて仕方なかった。だって母さんがあんなに悲しそうなんだ。早く、早く行かなくちゃ――。


 懸命に走って、ようやく家の屋根が見える所に辿り着く。木々の間をすり抜けた先に、母さんの姿が見える筈。


「母さ――」


 だけど目の前に広がっていたのは、信じられない光景だった。


 おびただしい量の青空の羽が、宙を舞っていた。綺麗だなと思った。だけどすぐに、量がおかしいことに気付く。それになんで羽に赤いものがついているんだろう。父さんの羽は混じり気のない夏空の青なのに。


「え……」


 頭の中が真っ白になった。家の前には、背中に真っ赤な穴を空けて倒れたまま動かない父さんの姿があった。


 母さんは気が触れたように泣き叫びながら、父さんに向かって手を伸ばしている。だけど母さんを後ろから羽交い締めした体格のいいおじさんに邪魔されて、届かない。


 地面に縫い付けられたかのように、身体が動かなかった。


「嫌あぁ! あなた、あなたあぁっ!」

「何を言う。貴女の夫はこの私でしょう」


 体格のいいおじさんの陰から出てきたのは、キラキラ光る服を着た細いおじさんだった。母さんの顔を覗き込みニヤニヤしている。ひと目見て、僕はこの人のことが嫌いになった。


「駆け落ちなんて笑えない冗談ですよ。結婚式に奴隷と共に花嫁に逃げられて、私がどれだけ恥をかいたと思いますか?」

「貴方の矜持なんて知ったことではないわ!」


 母さんは一度も見たことのないくらいの怒りを露わにして、噛み付くような勢いで怒鳴る。


「それが関係あるのですよ。王位継承権を持つ王女が不在の現在、花嫁に逃げられた婿が何の権利があって国政に携わっているのかという声がうるさくてね。なかなかにやりにくいのです」


 僕には二人が何を話しているのか、さっぱり分からなかった。だけど母さんは泣いて嫌がっている。気が付けば、身体が動くようになっていた。僕は迷わず、一直線に走っていく。


「……母さんを離せっ!」


 狙うなら弱そうな方だ。僕は細いおじさんの足に思い切り体当たりをした。体格のいいおじさんが「閣下!」と叫び、慌てた様子で母さんを掴んでいた手を離す。


 今だ! 僕は母さんの元に駆けつけた。


「母さん!」

「フェイ! あの人が、あの人が……っ」


 母さんは、泣きながら大きく震えていた。父さんがどうなってしまったのか、僕だって不安でいっぱいだ。だけど父さんにはいつも「何かあったらフェイが母さんを守るんだぞ、男と男の約束だ」と言われていたから。


 母さんの手をぎゅっと握り、引っ張る。


「母さん、今の内に逃げよう!」

「で、でも」


 体格のいいおじさんに支えられた細いおじさんが、僕を見て顔を歪める。


「子どもがいる!? しかも男ではないですか! これは拙い、獣人の子に王位継承権保持者などあり得ません! 急ぎあれを殺すのです!」

「はっ!」


 体格のいいおじさんが僕たちに剣を向けた。すると、次の瞬間。


「うわあっ!?」


 真夏の空の色が、視界いっぱいに広がる。


 背中に穴を空けた父さんが羽を広げ、僕たちを庇うように立ちはだかっていた。大きく広げられた羽は血だらけの穴だらけで、折角の真夏の空の色がくすんでいる。


「父さん! 大丈夫なの!?」


 口からも血を流している父さんが、僕たちを振り返り微笑んだ。


「ここは私に任せて逃げるんだ。フェイ、母さんを頼んだぞ」

「――あなたっ! 嫌よ、嫌!」


 父さんは近くに落ちていた斧を拾うと、おじさんたちに向き直った。トンと地面を蹴ると、羽を広げて宙を舞う。急降下すると、おじさんたちに襲いかかった。おびただしい量の血を周囲に撒き散らしながら。


「うおおおおっ!」


 おじさんたちは、父さんの攻撃を前にへっぴり腰で逃げ惑っている。


「わっ、こいつ死んだんじゃなかったのか!?」

「閣下! 危険です、お下がり下さい! うわあっ!」


 おじさんたちが混乱している隙に、僕は母さんの手を引っ張って森の中に逃げることにした。


「母さん、早く!」


 母さんは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、僕が引っ張ると足を動かし始める。


 僕も母さんも分かっていたんだ。僕たちはこれまで、数々の動物を殺して命をいただいてきた。だから生き物がどれくらい血を流すと命が尽きるのかなんて、知っていた。


 父さんはもう助からない。僕と母さんを逃がす為に、消えかけていた命の炎を燃やし戦っているんだ。


 僕たちは走って走って走り続けた。


 父さんじゃない人の断末魔がひとつ、広大な森の中に響き渡る。多分、あのキラキラした方の声だ。


 その後少しして、今度は野太い断末魔が聞こえてきた。


 僕と母さんは、抱き合いながら声を殺して泣いた。周囲を旋回していた鳥たちが、次第に巣へと戻っていく。


 僕たちはその場でひと晩過ごし、翌朝になると警戒しながら家に戻った。


 家の前には、腸を引きずり出されたキラキラした細いおじさんと、首と胴体が離れた体格のいいおじさんの死体が転がり。


 彼らの前には、膝をつき、誇らしげな表情で息絶えている父さんの姿があった。



 おじさんたちの死体は、少し離れた場所に放り投げて、鳥や小さな獣たちに食わせた。


 父さんの遺体は、家の隣に大きな穴を掘って埋めた。そこに木の苗を植えた母さんは、「ここに父さんが眠っているという印――墓標っていうのよ」と教えてくれた。


 父さんがいなくなってしまった今、母さんを守れるのは僕しかいない。幸い父さんが強かったお陰で、この辺りには大きな獣は近寄らない。だけどそれもいつまで保つかは分からなかったから、僕は早く大きくなって母さんを守れる立派な大人にならなくちゃいけなかった。


 僕は再び、飛ぶ訓練を始めた。


 母さんは時折とても悲しそうに泣いたけど、「フェイがいるから幸せよ」と言って抱き締めてくれた。僕も父さんがいないのは悲しかったけど、母さんがいるから頑張れた。


 そうやって季節がひとつ変わりふたつ変わり、父さんが亡くなったのと同じ季節がまたきた頃。


 僕の背が、母さんの背を抜いた。父さんほど羽は大きくはならなかったけど、辛うじて滑空だけはできるようになった。


 母さんは「約束だものね」と言うと、父さんと母さんの話を教えてくれた。


 母さんは、とある国の王女様だった。王家に子どもは母さんしかいなくて、とても大事に育てられたんだって。


 そんなある日、お城に出入りする商人が大きな鳥かごの中にいる少年を売り込んできた。背中には、艶のない青い羽。目は虚ろで、今にも死にそうなくらい痩せ細っている。お城の誰もが「いくら珍しくてもこんなみすぼらしいのは」と嫌そうな顔をした。


 このままでは、この少年は死んでしまう。母さんは咄嗟に、「この子は私が飼うわ!」と言った。周りの大人が止めるのも聞かず、買い取った後は自室に連れて行き、自分で面倒をみた。


 そう。その少年は若い頃の父さんだった。少年と言っても、見た目が幼いだけで、人間の年齢で言えばとっくに成人していたらしいけど。


 鳥獣人は、母さんの国ではとても珍しい存在だった。その為、鳥獣人が住む南の山脈から出たところを捕らえられた父さんは、愛玩用奴隷として売られたんだ。


 はじめは警戒していた父さんだったけど、母さんはひたすら誠実に接した。次第に二人は心を通い合わせていき、いつしか恋仲になっていく。


 だけど母さんはこの国を継ぐ人だ。公爵とかいうキラキラのおじさんと結婚させられそうになり、全てを捨てて父さんと駆け落ちした。


 鳥獣人は大の人間嫌いだから、母さんを連れて里には戻れない。かといって、父さんの羽は目立つから人間の町にもいられない。


 そんな二人が選んだのは、お城と鳥獣人の里との中間地点にある、どちらからも遠く離れたこの森だった。


 森での暮らしは決して豊かではなかったし、王女だった母さんは箱入り娘だったこともあって、最初はかなり苦労した。だけど父さんがいたからずっと幸せだったんだって。僕という愛の結晶も生まれて、毎日本当に楽しかったんだって。


 その後、どこから聞きつけたのか、公爵というキラキラのおじさんがやってきて、母さんを連れ戻そうとした。僕が来る前に公爵が得意げに語っていたところによると、青い羽を持つ大きな鳥がこの辺りを飛んでいると、近隣で噂になっていたんだとか。


 母さんが言うには、以前はこの森の周辺には人里がなかったんだって。だけど十何年と森で暮らす内に、人間が森に近付いてきていたことに気付いてなかったんだ。


 そして、あの惨劇が起きる。


 だけど幸いにも、行方不明になった公爵を探しにくる人はいなかった。


 だというのに、僕の大切な人が、またひとりいなくなろうとしていた。


 冬に体調を崩した母さんは、春が来ても咳が止まらなくなっていた。咳をすると次第に血が滲むようになってきて、僕は怖くて仕方なかった。


「僕、母さんと離れたくないよ」

「勿論母さんだってそうよ。すぐに元気になるからそう心配しないで」


 すっかり細くなってしまった腕で力こぶを作る母さん。あまりの弱々しさに、僕の心臓が激しく動悸する。僕は色んな動物たちの死を見てきた。だから分かってたんだ。母さんの命があと少しで消えてしまうことを。


「もし人間が私を捕まえにきたら、その時はフェイは南の里に向かうこと。そしてそこで愛する相手を見つけて幸せになってちょうだい。約束よフェイ」

「母さん……」

「愛してるフェイ。心から愛してるわ」

「うん、僕も。僕もだよ、母さん……っ」


 そんな風に優しく抱擁した日の、翌朝。


 珍しく咳の音が聞こえないと思い母さんの寝室を覗くと、穏やかに微笑みながら枕を血に染めた母の亡骸が、寝台に横たわっていた。



 僕は母さんを、父さんの隣に穴を掘って埋めた。


 母さんが植えた木は、父さんの羽の色とよく似た花が咲く木だった。


 母さんを埋葬して数日後、鮮やかな夏空色の花が満開になる。まるで母さんが来てくれたのを歓迎するかのような咲き方に、僕は二人が心底深く愛し合っていたのだとつくづく感じた。


「いいなあ……」


 もう話す相手は誰もいないのに、僕は声に出す。自分の声でも声が聞こえると、少しだけ寂しさが薄れたからだ。


「……南の山脈かぁ」


 鳥獣人の里に行けば、僕を愛してくれる誰かが現れるかな。


「いってみよう」


 僕はひとりに耐えられそうになかった。早速支度を始める。母さんがいつか南に行く僕の為にと渡してくれた、人間の世界のお金というもの。僕の羽を隠してくれる大きなマントに、携帯食なんかを入れる革袋。


 二人が眠るお墓の前で、膝を突く。


「父さん母さん。僕も愛する人を見つける為に、いってくるね」


 勿論、返事はない。だけど風の中に、二人の笑い声が聞こえた気がした。



 できるだけ人がいる場所は避けた方がいい。


 僕の羽は上昇はできないけど、緩やかな降下ならできる。勢いをつけて高い場所から低い場所へと飛ぶのを繰り返せば、地上を行くよりも遥かに早く進むことができた。


 試しに人里に降りてみた。だけどマントを被ったままの僕は怪しかったらしい。胡乱げな目で見られて、警邏隊とかいう人たちに取り囲まれた。


 その時、マントを剥がされて羽を見られた。すると「こいつ鳥獣人じゃねえか! おい、捕まえて奴隷にして売ったらいい金になるぞ!」と捕まりそうになり、慌てて逃げたんだ。


 僕の羽は人間の中では目立ちすぎるってことがよく理解できた。父さんはこうやって捕まっちゃったんだろうな。


 場所を変えたらもしかしてと思ったけど、どの町でも人は僕の羽を見た瞬間から目の色を変えて捕まえようとした。だから人間と仲良くなるのは早々に諦めた。


 だったらやっぱり鳥獣人の里しかない。それからは、人里に立ち寄ることなく旅を続けた。


 やがて、南の山脈に到着する。僕は意気揚々と鳥獣人の里を訪れた。


 ……だけど、ここでも僕は受け入れられなかった。


 僕の羽は未熟で、鳥獣人だったら踵についている鈎爪もない。お前は何者だと問い詰められた僕は、母さんが人間だったことを喋った。言った直後、顔を殴られた。


「人間の血だと! 追い出せ! 混ざりものが二度と入ってくるんじゃない!」

「ま、待って! 僕の父さんはこの里の出身で……っ」


 父さんと同じ羽の色を見せたら、もしかしたら血の繋がった親戚だっているんじゃないか。そう思ったけど、里の男はさも汚らわしいものを見るような目で僕を見たんだ。


「人間と番った者など一族の恥だ! 殺されたくなければ今すぐ消えろ!」


 男たちに一斉に襲われた僕は、ほうぼうの体で里から逃げ出すしかなかった。


 まさか、鳥獣人がそこまで人間を厭っていたなんて知らなかった。でも奴隷にされちゃうって分かってたらそうもなるよな、というのも同時に理解できた。


「……帰ろう」


 互いを忌み嫌う種族の合いの子として生まれた僕には、そもそもどこにも居場所なんてなかったんだ。だったら父さんと母さんが眠るあの場所に帰って、二人の墓を守り続けよう。最後に自分が死ぬ時は、二人の間に穴を掘って身を投げ入れよう。


 とてもいい考えに思えて、殴られた頬は痛んだけど、帰り道の足取りは軽やかだった。


 人間も鳥獣人もいらない。僕には家族がいるから、それでいいんだ――。


 何故自分が涙を流しているかも理解しないまま、僕は帰路を急いだ。



 懐かしの我が家に帰ると、早速雑草取りを始めた。


 父さんと母さんのお墓は常に綺麗にしなくちゃだ。


「ねえ父さん母さん。僕ね、今日はこんなことがあったんだよ」


 話し相手は青い花が鮮やかな墓標だった。返事がもらえないのは寂しくはあったけど、青々とした葉や父さんの羽の色の花を見ていると、その内寂しさは薄れていった。


 だけど、温もりが感じられないとやっぱり寂しくなる。寂しいと辛くなって、何度も叫んだり泣いたりした。もういっそのこといなくなりたいと、何度も願った。


 だけど、僕の命は父さんと母さんが守ってくれた大切な命だ。自分から断つことは、どうしてもできなかった。


 外に出て行けば誰かが殺してくれるだろうけど、そうしたら父さんと母さんの近くで眠ることができない。だからいつしか僕は、僕を殺しに来てくれる存在を求めるようになっていた。


 抵抗なんてしないから、最後に父さんと母さんの間に埋まらせてもらえればそれでいい。


 僕はその日を待ち侘びながら、静かで穏やかな毎日を過ごした。



 変化が訪れたのは、季節が移り変わり、今年もまた父さんの色の花が咲き始めた頃だった。


 今日はやけに鳥たちがうるさい。何かが入り込んできたのかと、僕は期待に胸を躍らせた。


 できれば痛みは長続きしない方が望ましい。だけど僕の遺体をここに埋めてほしいと頼めるだけの時間はほしい。


 どうやって殺されるのが一番いいんだろう? と悩んでいた、その時。


 森の茂みがガサガサと音を立てて揺れた。来た! と思った僕は、歓喜を顔いっぱいに浮かべる。


「ここは……!」


 茂みの中から出てきたのは、体格のいいおじさんに雰囲気が似た人間の男だった。顔の下半分が薄汚れた金色の髭で覆われているけど、よく見るとあの人よりは大分若い。つまりお兄さんだ。


 長いこと旅をしていたのか、マントはかなり汚れて裾はビリビリに破けているし、全体的に汚い印象だ。


 お兄さんは僕の顔をジロジロ見ると、何故か驚いたように青い目を大きく見開いた。


「君は……鳥獣人か?」

「うーん、まあ」


 僕には羽はあるけど、鳥獣人の仲間としては認められなかった。かといって人間からしてみれば、羽が生えているだけで鳥獣人に見られるどっちつかずの存在だ。だからあやふやな回答しか返せなかった。


「お兄さんは人間だよね?」

「あ、ああ」

「迷ったの?」

「いや……」


 僕はゆっくりと立ち上がると、お尻についた砂をパンパンと払う。


「君はまさか……王女の……?」

「僕の母さんのことを知ってるの?」

「やはり!」


 母さんがお城から逃げたのは随分と昔の話なのに、なんで若いお兄さんが母さんの顔を知ってるんだろう。


「お城にある王女の肖像画と君の顔は瓜二つだ……! 羽があるということは、やはり噂通り鳥獣人の奴隷が王女に懸想し誘拐して、その上子どもまで……! ああ、なんということかっ」


 お兄さんが頭を抱えた。


「あの、母さんと父さんは駆け落ちしたんだよ。公爵って人と結婚させられそうになって、嫌で逃げたんだって。お兄さん知らないの?」

「は……? 駆け落ち……?」

「うん。父さんと母さんは相思相愛っていうんだって。とっても仲良しだったよ」


 にっこりと笑いながら教えてあげると、お兄さんの口が大きく開き、顎がガクンと落ちた。



 よく分からないけどものすごく凹んでいるお兄さんの話によれば、お城では王女は飼っていた鳥獣人に攫われた話になっていて、公爵は愛する王女様を助け出すんだと言って何年も探し続けていたそうだ。


 だけど全然見つからない。このままだと王様を継ぐ人がいなくなってしまう。最初の数年はまだ同情的だった周りの人たちも、次第に「さすがにもう王女は死んだだろう」と言うようになっていったとか。


 そんな時、王様の親戚の人たちが騒ぎ始めた。直系子孫がいないのだから、王位継承権は自分たちのものだろうと。


 公爵は王様を説得して、必ず王女を見つけてみせるからと粘った。だけどいよいよ王様が年を取ってきて、体調が芳しくなくなってしまう。焦った公爵は、どんな噂でもいいからと国中から情報を集めた。


「――そうしてこの森の近くで姿を見られたのを最後に、消息を断ってしまわれた。護衛についていた私の父と共に」

「あ、やっぱりあの体格のいいおじさんとお兄さんって血が繋がってたんだ」


 僕の言葉に、お兄さんが血相を変える。正面に立つ僕の両肩を、ガッと掴んだ。


「! 君は私の父のことを知っているのか!?」


 僕はいいことを閃いた。この人のお父さんを殺したのは僕の父さんだ。こういうのって、親の仇って言うんでしょ? だったらあの時起きたことを全部正直に聞かせてあげれば、お兄さんは僕を殺してくれるんじゃないかって思ったんだ。


「うん、知ってるよ!」


 だから僕は全部ありのままを話した。そうしたら、てっきり怒り出すと思ってたのに、驚いた顔をしただけで他には反応がない。不安になって、思わず「聞いてる?」って聞いちゃったよ。


 ひと通り話し終えると、何故かお兄さんは頭を抱えてしまった。「清廉潔白な筈の公爵がまさか……嘘だろう……誰か嘘だと言ってくれ……」とぶつぶつ言っている。


 考え込んでいるところ申し訳ないけど、僕にはお兄さんにやってもらいたいことがある。お兄さんの腕をトントン叩いた。


「あっちにね、お兄さんのお父さんと公爵って人の骨とかあるから見て」

「あ、ああ……」


 顔色が真っ青になってしまったお兄さんは、骨と一緒にあった服や装備の残骸を見て本人だと納得してくれた。


「ほら、僕が言ったことは本当でしょ?」

「ああ……」

「だからね、僕をお父さんと公爵の仇だって殺してよ」

「は……?」


 何故か、お兄さんが思い切り顔を歪めてしまった。


「ま、待ってくれ。何故そうなる? 貴方の話が真実ならば、押しかけてきて真っ先に襲ったのはこちらで」

「理由は何でもいいんだよ。僕はもうひとりは嫌なんだ。人間にも鳥獣人にもなれない半端な存在だからね」

「だからって殺してくれはいくらなんでも」

「ねえお願い。自分で死ぬのは怖いんだ。だから申し訳ないんだけど、殺した後は父さんと母さんのお墓の間に穴を掘ってそこに僕を埋めてもらえないかな?」


 にこっと笑いかけると、お兄さんは震える手を僕に伸ばしてくる。首を絞めて殺すのかな? 苦しそうだけど、痛くないならその方がいいかも。


 そんなことを思いながら瞼を閉じると、次の瞬間、予想外のことが起きた。


「――えっ」

「そんなこと、できる訳がないだろう!」


 僕の身体は、お兄さんの腕に包まれていたのだ。え、なんで?


「で、でも」

「罪滅ぼしをしなければならないのは私の方じゃないか!」

「いやだから、じゃあそれでいいから僕を殺し――」

「できない!」


 お兄さんは僕の頬を両手で挟むと、泣き顔で覗き込んできた。


「貴方から大切な家族を奪ってしまった償いは、この私がする!」

「じゃあ、殺してほしいんだけど」

「駄目だ! 貴方には幸せを感じてもらわねば私は自分が許せないッ!」

「ええ……」


 そこで、僕はまたいいことを閃く。帰る場所があるお兄さんには、絶対できないだろうことだ。僕って頭いいかもしれない。


「だったらお兄さんが僕とここで暮らせる? 僕のことを誰よりも大切にしてくれて、愛してるって毎日言って抱き締めてくれる?」

「……あ、愛、愛、愛し……?」

「できないならできないでいいんだ。その代わり僕を殺してくれたらいいから。そのどっちか。どうする?」


 もう一度にっこり笑いかけると、何故かお兄さんの顔はどんどん真っ赤になってきて。


「――貴方のことを誰よりも慈しみ、愛することを誓おう」


 お兄さんはそう言うと、よく父さんと母さんがしていたように、僕の唇に彼の唇を押し当ててきたのだった。



 お兄さんは、本当にそのまま居着いてしまった。


 飽きたらいつでも殺して埋めてねって言うと、何故かいつも顔を真っ赤にして、「こ、こんな可愛い人を殺せるか! だから好きだって言ってるのにどうして理解しない!」と怒られるんだよね。


 その後教えてくれた話によると、お兄さんはお城にあるお母さんの肖像画が初恋っていうやつだったんだって。だから僕の顔を見た瞬間驚いていたのは、初恋の人が肖像画から出てきたと思って動揺しちゃっていたかららしい。


 お兄さんは、約束通り毎日愛の言葉を囁いては僕を抱いた。最初の時は予想してなくて驚いちゃったけど、今はもうこれがないと寂しくなるくらい、毎日が満ち足りている。


「ぎゅっとしてほしいって意味だったんだけど」と後で言ったら顔を赤くしたり青くしたりしていたけど、「今日もしようね?」て言ったら何度も頷きながら「愛してる」を沢山言ってくれたんだ。


 もう僕の青い羽も黒い髪も綺麗で大好きだって言ってくれる人はいなくなったと思ってたけど、違ったよ。


 だから僕は、父さんと母さんの墓標に向かって、心の中で話しかける。


 ねえ父さん母さん。僕がそっちに行くのはもうちょっと後になりそうだよ、と。

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