その心は何処から

 宙を舞う粉雪が太陽の光を受けてきらきらと輝くのが美しい、とある日。

 ところは、自鳴琴店内のカウンターの内側。

 兄と妹は、真剣な面持ちで会話していた。


「……お医者さんって、そんなに暇なの?」

「馬鹿言うな。俺の日常を見ておいて、よく言えるな」


 互いに声を抑え気味なのは、その場に兄妹以外の存在があるからだ。

 営業中の店内には女性客の姿がある。来店時の話によると、本州から観光に来たらしい。

 冬の函館の寒さに驚きつつも、調度よいところにカフェがあって良かったと喜んでくれていた。

 メニューを眺めながら楽しそうに会話する女性達の様子を気にしながらも、詩織は兄の言葉に思わず叫びかけて。

 しかし、何とか自制して。声を低くしながらも、出来る限りの強さで訴える。


「本気で言って無いって! それなら、休みの日ぐらいちゃんと休んでよ! 倒れたらどうするの?」

「そんなにやわじゃない。それに、休みの日ぐらいしかまともに手伝ってやれないんだ。人の好意は素直に受け取れ」


 今日も今日とて、忙しい合間の貴重な休みの日を、祥也は自鳴琴の手伝いにあてていた。

 詩織は、兄の仕事の過酷さを傍で感じているからこそ、休みの日はしっかりと休んで欲しい。

 しかし、何度それを訴えても兄が頷くことはなく。今もこうして、先程去った客の使った食器を丁寧に洗っている。


「それに、出来ることっていっても、そうそう大したことはしてない。そんなに邪魔をしているつもりはないんだが」

「誰も邪魔とか言ってない! そうじゃなくて、もう!」

「あの……。注文頂いてきました……」


 言いたい事はそうじゃない、と思わず声のトーンが一段階跳ねる。

 祥也が、何だ、と言いたげに眉を寄せた瞬間、申し訳なさげな声が二人の会話に入って来る。 

 詩織がそちらを見たら、邪魔をして申し訳ない、という様子の奏が記入済みの注文用紙を差し出しているではないか。

 いつの間にか注文を取ってきてくれた奏に礼を言って受け取りながら、注文の品の用意にとりかかる。

 詩織は手際よく、お洒落な模様の皿に切り分けたケーキを盛りつけ、カップを用意して丁寧な手付きで珈琲を入れる。

 二人は、それぞれに手を止めないまま、声をなるべく低くして会話を続けている。

 詩織は、横目に奏が嬉しそうに笑っているのを捉えた。

 喧嘩しているようにも聞こえるが、あくまで内容はお互いを思い合ってのこと。奏は、よく詩織と祥也の会話を聞いては微笑ましいと笑うのだ。

 詩織にしてみれば、兄をしっかり休ませたいので、割と切実な問題なのであるが。

 内心で若干釈然としないものを抱えつつも、さほど経たずに品が揃い。奏が速やかに女性達のテーブルへと運んでいく。

 流れるような手付きで卓上に並んだ品々を見て、小さな歓声があがる。

 雪のように白い生クリームを添えた、口にすると優しい甘みが広がる南瓜のシフォンケーキ。昔ながらの固めのプリンには、同じく生クリームを添えて。

 スイーツばかりではなく、味わい深い色味のカップに注がれた珈琲の香りにも目を細めてくれている。


「何だか、昔懐かしいこの感じ!」

「何だろう。初めて来たっていう気がしない」

「そうそう。何か、前にもきたことがある感じする!」


 話に花を咲かせていた女性達は店内を見回して、ほっとしたように息を吐いて。そして、改めてそれぞれの前にある品にとりかかる。

 どうやら喜んでくれていることに安堵しつつ、詩織は使った道具などを片づけ始める。

 それをやはり祥也が横からさらっていき、至極当然のように自分が片づけ始め。詩織は思い切り物申したそうな顔で、涼しい顔の祥也を半眼で見つめてしまう。

 しかし、暫くして諦めたように大きく息を吐く。

 反論をやめた詩織に満足したのか、どこか祥也の表情に勝ち誇ったような色が滲み。それを察した奏が若干苦笑い。

 そうして、暫くの間。店内には女性客が会話の合間に喜びの感想を交えながら流れる、温かな時間が過ぎていく。

 しかし、不意に詩織がぽつりと口を開いた。


「この間の、何だったんだろうね」


 詩織の視線は、カウンター席のある場所に据えられている。

 何のことだ、と祥也も奏も問わない。詩織が何について触れたのかわかっている。

 そこは、少し前に不思議な出来事が起きた場所だった。

 常連客の一人の狭山の定位置である席の隣には、その日、二年前に亡くなったはずの彼女の恋人が座っていたのだ。

 まさか、と笑ってしまう出来事ではあるが。その時も、数日たった今も。思い返す詩織達の顔には、真剣な表情が浮かぶ。


「……俺一人なら夢だったのか、で済ませるが。お前も奏も覚えているし。何より、狭山さんがな」


 目にしたのが一人であれば夢や幻だと片づけることも出来ただろう。

だが、生憎と一人ではない。詩織も祥也も奏も、そして、亡き人の恋人である狭山も揃って彼がそこにいるのを見た。

 見ただけではなく、言葉すら交わした。

 亡き人は祥也にとっては同僚であり、間違いなく本人だという不思議な確信があるのだという。

 多分、それは狭山も同じようで。ここしばらく、職場での様子は少し違うのだという。

 仕事に影響を出すような変化ではないが、明確に以前とは何かが違う、と周囲が思うどこか前向きな変化が見られる、と人々が話しているらしい。

 本当のこと言えないまますれ違い、結果としてそのまま永の別れとなってしまった二人。


「伝えたいことを言えないままで離ればなれって、辛かったろうね……」


 呟いてから、詩織ははっとして目を瞬いた。

 今の言葉は、完全に無意識のうちに唇から零れていた。ぼんやりしていた間に、気が付いた時には口にしてしまっていた。

 何を考えてそう呟いていたのか、わからない。完全に、我知らずのうちのことだった。

 わからないはずなのに、心にある。知らないはずなのに、覚えている。

 伝えたい言葉を伝えられないまま、途切れることの哀しみを。伸ばした手が二度と届かないことの、後悔を。

 そう思わせるような経験など、記憶にある限りではないはずだ。それなのに、何故……。


「坂出は、そういうところが不器用なやつだった。言えていたら、違ったことも多かっただろうが」


 詩織の内心の葛藤には気づかぬ様子で、祥也が溜息交じりに呟く。

 亡き人を思い出しているのだろう。過去を振り返るように目を細めて、眼差しは僅かに遠くを見つめている。

 やがて、祥也は誰に聞かせるでもなく呟いた。


「後から知った方も、どっちも辛かっただろうさ……」


 伝えられなかった方も、伝えてもらえなかった方も。取り返しのつかない哀しみに等しく傷つき、苦しむ。

 祥也の声音にも、後悔にも似た響きが滲んでいて。まるで、過去を振り返り、噛みしめるように言っているように聞こえて。

 優しく懐かしい音楽が流れる中で、二人の間には一時沈黙が満ちる。

 いつの間にか握りしめてしまった手に、祥也の手がそっと添えられる。

 感じた温もりに、曇っていた詩織の表情が緩んで。やがて、少し恥ずかしそうに、顔には笑みが戻る。

 詩織の顔に笑顔を確かめた祥也の顔にも、優しく穏やかな表情が浮んだ。

 互いがそこにいることを確かめるように微笑む二人を、奏は何も言わずにただ静かに見つめていた……。

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