閑話・彼は辿り着く
硝子窓の外は、乏しい灯りが遠くに見え隠れする闇が満ちる刻限。
営業を終えて、すっかり静けさの中にある自鳴琴の店内に、奏の姿があった。
奏は、彼が探していたという時を経た、過ぎし時の中に音色を失ってしまったオルゴールの前に立っている。
彼の表情は何処か夢の中にあるようなあやうい様子であり、光がぼやけた瞳はまっすぐに動かぬ円盤を見つめている。
「僕は、戻ってきました」
熱に浮かされたようにも思える切ない様子で、奏はオルゴールから視線を少しも動かさずに呟く。
ただの独白にすぎないはずの言葉は、必死に訴える声音で紡がれている。
奏はぼんやりとした表情のままで、緩慢な動作で右手にて静かにオルゴールに触れる。
「彼女と彼の『約束』を果たすために、ようやく辿り着きました……」
声音に満ちるのは、哀しみであり後悔。そして、長い間願い続けてきたものが漸く叶うのだという喜び、そして祈り。
だから、どうか、あの二人が。
奏の唇から音のない言葉が紡がれた瞬間だった。
「奏? どうしたの?」
「え……? え、詩織さん? あれ、僕は、一体……」
突然かけられた声に驚いて奏がそちらを見ると、開いたドアから詩織が不思議そうに顔を覗かせている。
電気もつけないでどうしたの、と言いたげな眼差しを受けて、奏の意識が急に明瞭になっていく。
何故自分がここにいたのか、いつの間にその場に立っていたのかも分からない。気が付いたら、オルゴールの前にたっていた。
自分でも何をしていたのか分からなくて困惑する奏に、詩織は明るく声をかける。
「兄さんのお土産のケーキがあるから、早くおいでー」
「はい!」
ひらひらと手を振りながら呼ぶ詩織に努めて明るく応えて、奏は急ぎ足でそちらへと歩み寄る。
その表情には先程までの不思議な熱はなく、いつもの落ち着いて穏やかなものだった。
奏は振り返ることなく店舗を後にして。
去り行く青年の背を、黙したまま歌うことなくなってしまった自鳴琴は、ただ見守るように佇んでいた。
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