第7話 背後に潜む微笑み
「菊の花、気に入ったかしら?」
突然、背後から低い声が響いた。まるで冷たい風が背中を撫でるような感覚とともに、その声が翔の耳元に届いた瞬間、全身の血が凍るような恐怖が襲った。
「……!」
息を飲む音すら漏らせず、翔は硬直した。背筋にじっとりとした汗が流れるのを感じながら、ゆっくりと振り返る。その動作は自分の意志というより、恐怖に支配された体が反射的に動いているかのようだった。
視線を背後に向けた瞬間、翔は見てしまった。
ベッドの隅、花々の上にちょこんと座る老婆がいた。昨夜、インターホン越しに見た、あの老婆だ。彼女は微動だにせず、不気味な微笑みを浮かべている。その顔には感情らしきものはなく、まるで能面のようだった。深い皺の刻まれた顔と、その奥で光を失ったような目が、翔をじっと見つめている。
老婆はゆっくりと首をかしげながら、再び口を開いた。
「とても美しいでしょう? 菊の花……あなたにぴったりだと思って……」
その声は異様なほど穏やかで、まるで日常会話をしているかのようだった。だが、その穏やかさが逆に恐怖をかき立てた。翔は声を出そうとしたが、喉がひりつき、言葉にならない。
老婆の目がわずかに細まり、口角がさらに吊り上がる。その笑みはもはや微笑みではなく、何か恐ろしいものの予兆のようだった。
翔は震える足で一歩後ずさる。しかし、床に散らばった花びらを踏む音がやけに大きく響き、老婆の視線が鋭く彼を捉えた。
「菊の花、いりませんか?」
老婆の言葉が、部屋の空気に重く染み渡った。翔は呼吸を忘れたかのように固まる。老婆の表情は変わらず、冷たい笑みのまま彼を見つめ続けていた。
(完)
菊の花 あまねこ @amaneko1117
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